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娘子軍秘話 中野家と八重は交流があったか。 [会津]

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中野竹子が銃弾に斃れ、母、考子が介錯しようと懐剣を当てたシーンでジャン妻は固まった。
「えっ、これってやったの?」(ジャン妻)
愛娘の首級を持ち帰ったのかと驚いてた。
介錯はできたのだろうか。諸説あって、妹、優子が三度刀を振り下ろし、首級を小袖に包んで会津坂下に落ち延び、前夜泊まった法界寺に葬ったという説と、上野という農夫か農兵が首級を持ち帰ったとも言われている。
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中野竹子の戦跡は3つあって、
①娘子軍が大垣藩兵と遭遇して白兵戦になった涙橋。
②竹子の像と碑、これは涙橋から数百メートル北の工場脇にある。
③竹子が葬られた会津坂下の法界寺。前夜、照姫が会津坂下に退いたというのが誤報とわかり、落胆して泊まった寺。竹子と母、妹、最後の一夜となった。
法界寺.jpg
法界寺説明版.jpg
竹子さんと再会す.jpg
奮戦の地.jpg
前にも載せたが、妹、中野優子の後年の回顧録には、
『ワラワ共ノ戦場ハヨク判リマセン。憎キ敵兵ト思フ一念ノミデ敵ニバカリ気ヲトラレ、何処ニドンナ物ガアッテドンナ地形デアッタカ等トイフ事ハ少シモ念頭ニ残ッテオリマセン。タダ柳土堤ニ敵ガ多勢オッテ盛ンニ鉄砲ヲ撃チ、味方モ之ニ向ッテシキリニ撃チ合ヒマシタガ、ナカナカ埒アカナイノデ一同マッシグラニ斬込ンダ事ハ覚エテ居リマス。ワラワハ母ノ近クニテ少シハ敵ヲ斬ッタト思ヒマスガ、姉ガヤラレタトイフノデ母ト共ニ敵ヲ薙ギ払イツツ姉ニ近ヅキ介錯ヲシマシタガ、母ト共ニ一方ヲ斬リ開キ戦線外ニ出マシタ。コノ時農兵ノ人ガワラワト共ニ一緒ニ戦ッテ坂下ニ帰ル途中ハ首ヲ持ッテ呉レタト記憶シテ居マス。斬合ッタ場所ハ乾田デ橋ノ東北方六丁位離レ湯川ニヨッタ所ノ様ニ思ハレマス』
(途中、省略してあります。)

斬り合った場所の記憶は定かでないらしく、『柳土手に敵が多勢おって盛んに鉄砲を撃ち。。。』、『斬合ッタ場所ハ乾田デ橋ノ東北方六丁位離レ湯川ニヨッタ所ノ様ニ思ハレマス』
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現在でも戦場と伝わる涙橋の土手には柳の木が植わっていた。東西の位置関係から推測すると、前夜、泊まった法界寺を出た竹子たちは城内に戻ろうと東南へ向かい、神指城のある高瀬方面から涙橋に向かったのではないだろうか。
鶴ヶ城はその先にある。城内への補給路を遮断していた大垣藩を中心とした新政府軍に遭遇する。鶴ヶ城方面を向いていた新政府軍は竹子たちに向かって反転したと思われる。
『斬合ッタ場所ハ乾田デ橋ノ東北方六丁位離レ湯川ニヨッタ所ノ様ニ思ハレマス』この談話にある湯川という地名は今でもあって、柳橋のすぐ東北隣です。
竹子は「お城はもうすぐですっ」と叫んだ。その通りで直線距離で2km程度。あと少しだったのだが被弾に斃れた。
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娘子軍隊士に依田菊子という女性がいる。
演じたのは吉谷彩子さん。この女性は姉、まき子(演:小出ミカさん)と姉妹で娘子軍に加わり、八重でも冒頭にその他大勢でテロップが流れた。
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登場した女性たちのどれが依田姉妹なのかわからないが、この女性の談話に、娘子軍集結の模様と、涙橋前夜の緊迫した光景が語られている。
城下に集結した朝、西出丸の大手門が閉ざされていたので西へ避けたら、中野竹子、母考子、妹優子と出会い、他、数人が合流してに娘子軍が集結したというのである。
そこへ竹子の運命を決した誤報が伝わる。ある藩士が「照姫様は坂下宿へ御立退きになった」と。だが会津坂下へ向かうと照姫一行は来ていなかったので、竹子らは坂下にある法界寺・・・(現在、竹子の墓がある寺・・・)で一夜の宿をとる。
では、出撃前夜の緊迫した光景はどのようなものだったか。

『其夜夜半ノ事、秘々話ガ聞コエマスノデ耳ヲ澄マセマスト、中野竹子様ト御母様ガ優子様ヲ殺ソウト云フ相談ヲシテ居ラレルノデアリマシタ。』
母考子と竹子が、優子を亡き者にしようとしていたというから驚く。

『中野ノ三人共世ニ勝レテ美シイ方々デアリマシタガ、殊ニ十六ノ優子様ハオ年モ一番若イ上ニ一層美シテ稀ナ美人デアラレマシタノデ、若シ敵ニ押ヘラレテハ恥辱ダカラ、寧ソ今夜ノ中ニ殺シテ了ハウト云フ御相談デシタノデ、私共ト姉(まき子)トガ飛起キマシテ御二人ニオ話シテ、殺サナイデモト申シテ、暫ク思ヒ止ツテ戴キマシタ』

これとは別の談話にも、
『考子サンハ側ニ寝テ居ル優子サンヲ、呼ビ起コシテ自刃セシムベキカ、イヤソレヨリハカクセント太刀ヲ抜キ將ニ優子サンノ寝首ヲ掻カントシマシタノデ、ココハ大変トスグトビツキテ其手ヲ抑ヘ其訳ヲ聞キマスト御両人ハ異口同音ニ、優子ガ居ツテハ思フ存分ニ働ケマセンシ皆サンノ御邪魔ニモナリマスカラ冥途ニ先立タシタ方ガヨロシイトオモヒマス』
優子は母と姉に殺されかかったのである。これを武士の情と取るかどうかの是非はともかく、緊迫した遣り取りが目に浮かぶ。

中野優子は戦闘の回顧があり、依田菊子は戦闘前夜の回顧がある。優子には前夜の回顧はない。だって何も知らずに寝ていたのだから。
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中野母娘と八重との交流はあったのだろうか。
城下で有名なトンガリ娘同士、見知った関係ではあったらしい。お互いが何処まで意識してたか想像の範疇の域を出ないし何を演出しても自由だが、竹子が「八重さんに鉄砲を教わりましょう」と言ったにせよ、城内に戻った考子がそれをそのまま八重に伝えたのにはドッ白けた。中野家側が八重に配慮してどうする。出来レースみたいなオチでオモシロくない。
甘いと思う。実際、後年、八重の談話によると、
『籠城六日目ニ中野コウ子さんガ入城サレ、妾ヲ見テ、何故娘子軍ニ加ハリマセンデシタト。妾ハ鉄砲ニテ戦スル考ヘデ居リマシタ』
何故貴女は娘と共に娘子軍に加わらなかったのかと詰め寄ったというのである。それでも八重は、城内に入った中野優子に鉄砲を貸し与え、共に狙撃をしたともいう。交流はあったのだ。
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どうしても謎が解けないのだが。照姫が会津坂下にいるという運命の誤報はどっから流れたのだろうか。
こればっかりは永遠の謎である。
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