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宇都宮鎮房 [気になる人物]

クランクアップしたそうです。
1年間、お疲れ様でした。
クランクアップ.jpg
最期まで観ますけど私はイマイチだったね。兵は詭道也と言ってはいるけどあまり相手を騙してないでしょう。岡田さんの人物もあるんだろうけど、相手の側に立ってる策謀家なんているのかな。同じ軍師でも風林火山の方がよかった。

だけど後半、僅か3話だったが、この人とその家族が登場したのは初めてではないだろうか。
村田雄浩さん.jpg
私は宇都宮重房役に村田雄浩さんが決まった時は手を叩いた。村田雄浩さんは中央政権に反抗する役が似合っている。炎立つでも安部貞任を演じていたしね。
現代のホームドラマ然とした甘い描写の大河官兵衛だが、宇都宮氏(城井氏)のネタだけは甘く描けないだろう。描ける筈がない。期待しました。
「宇都宮重房って誰?知ってるの?」(ジャン妻)
「う~ん・・・九州の人だよ・・・」
「何で九州なのに宇都宮なの?」
ごもっともな質問ですね。上手く説明できなかったのでこの本を見せた。
戦国繚乱.jpg
持ってたんです私。2004年に初版が刊行された文庫本です。自室の棚で埃を被っていた。三話の中編を纏めていて、宇都宮鎮房の謀殺、大友宗麟の二階崩れ、御館の乱、3編が収められている。
あまり書店で見ないがまた復刊するかも知れない。
これとは別に、ジャン実家から、古~くなって紙の色が変色した播磨灘物語が出て来た。ジャン母が読んでたので聞いてみた。
「どう?オモシロい?」
「オモシロいけど字が小さいわね」
今売ってるヤツは文字が大きくなっていて読みやすいと思う。その播磨灘物語4巻めの最終章255頁でこの謀殺についてサラリと触れられていて、
長政がこの鎮房をもてあまして陰惨な謀殺をやっているが、このことは官兵衛にとって無縁とは言えず、この男にとっては生涯の汚点といっていい。
馬上の鎮房.jpg
宇都宮なのに九州?
この辺りは説明がめんどくさいのですが、もちろん下野宇都宮が本家で豊前(城井)宇都宮は分家です。ザックリ言うと、源頼朝が挙兵後に鎌倉に入った後、鎌倉と距離を置いた常陸の志田義広という豪族が叛乱を起こし、その討伐軍の中に宇都宮信房という人が見える。この信房が豊前宇都宮氏の祖となった。
だから鎌倉時代からずーっと続いた名族なんです。鎮房の時代まで本拠城井谷を外敵から侵されることはなかったようである。
それほど強大な勢力ではなく、村田雄浩さん演じる鎮房の時代は、耳川で島津に大敗して没落しかけた大友氏を主家としていた。大友宗麟が島津に押され秀吉に援助を乞うたことで、城井宇都宮一族も島津討伐にやって来た豊臣の上方軍に参じることで生き残ろうとするのだが。。。

事実は小説より殺風景だとは思うが、この小説から抜粋させていただくと。。。
宇都宮鎮房は我の強い国人衆を束ねる総領として存在していたが、鎮房本人は豊臣軍に参陣せず、嫡男の朝房(演・橋本じゅんさん)と幾つかの分家が参陣した。この時点で既に秀吉の不興を買う要素はあったのである。
(事前に恩賞を約束されていた?)黒田官兵衛は軍司令官か作戦参謀長のようなものだから、直接に宇都宮鎮房へ城井谷の本領安堵を請負ったのは甚だ疑問である。
取次は別にいて毛利勝信(吉成)という人・・・(・・・この人の息子が毛利勝永といって、大阪陣で豊家に殉ずるのだが・・・)・・・この人もちゃっかり豊前2郡と小倉城に収まる人だが、この人が伊予6万石への転封を命ぜられて態度が硬化した鎮房と、嫡男の弥三郎朝房に折衝する。
提示された伊予は城井谷よりは若干の加増だという。だが鎮房は先祖代々の地、城井谷に拘った。加増は要らないからこの地に置いて欲しいと。
その要望を自信満々?請負うように言った毛利勝信は、鎮房の嫡子、弥三郎朝房にこんな事を言っている。
「伊予転封の朱印状を持ったまま城井谷に居座るのは殿下の心証を害すのでお返しなさい」
だが勝信はその朱印状を、官兵衛の命で秀吉に返してしまったというんだな。
官兵衛のせいにしているが、秀吉にしてみれば転勤命令を拒否され、朱印状を突っ返されて激怒したに違いない。
この結果に対して、約束を違えたのかと詰め寄る朝房に毛利勝信はまたこんな方便を言っている。
「一旦は城井谷から出られよ。某の所領3ヶ村を進呈致すのでそこで時節をお待ち荒れ」
ここで一旦は城井谷を出た。明け渡したのである。
鎮房、朝房父子は、結局この地を黒田、毛利に与えられるので我々がジャマなんだなと気付いた。官兵衛も毛利勝信も取り成す気など初めからなかったに違いない。肥後、豊前と国人の叛乱が起こり、鎮房は城井谷城を奪回して立て篭り、ゲリラ戦で黒田長政軍を大敗させた。
長政が行く.jpg
城井勢の伏兵たち.jpg伏兵が殺到する.jpg
戦況は長政軍に不利1.jpg
黒田軍を刈る鎮房.jpg

局地戦闘では勝った。だが豊前一揆は烏合の衆なので、肥後から戻った官兵衛が宇都宮氏以外の土豪を陥落させて城井谷を孤立させる。
和睦→黒田家中へ.jpg頭を下げる宇都宮父子.jpg
一旦は和睦という名の臣従だが、その席上、ゲリラ戦でヒドい目にあった長政の心中含むところある視線。。。
心中含むところある長政.jpg
鶴姫を人質にしたのは和睦の条件だったというが。。。
父娘1.jpg
謀殺は長政の独断だったのだろうか。私は官兵衛の意志があったと思うよ。
召し出された鎮房.jpg肴を・・・が合図.jpg
「肴を持て」と命じる場面もありましたね。
長政が単独で決行したように描かれたのは単にこれまでの官兵衛が甘かったからである。実際に鎮房を誅殺したのは官兵衛の命に決まってる。長政が逆らえる筈がない。
結果、戦闘シーンはショボいけど、騙し討ちの場面は殆ど伝承に基づいて描かれており、長政の松坂桃李君の冷たい目線がいい。
長政の一刀.jpg
恨み鎮房.jpg
城井家臣惨殺.jpg
冷徹長政.jpg
宇都宮一族にしてみりゃ官兵衛と毛利勝信に騙されたといっていいが、ドラマでは秀吉のせいにしていたが、グルに決まっている。
宇都宮一族が豊臣家中と相容れるわけがない。根底にあるものが違うからです。ナショナル社員とエリア社員の違いで・・・いや、エリア社員にもなっていない宇都宮氏に加増も含めた移封が理解できる筈がない。400年も城井谷にいてそこから殆ど出なかったのだから。
宇都宮鎮房は、城井谷の草木の一本まで宇都宮一族の血同様で、「拠って立つ領地を失った時はお家は滅びる時」と頑なだった。だが秀吉は信長にいいようにコキ使われ各地を転戦、住居や居城が変わる転勤を経験しているし家中も同様で、播州出身の小寺官兵衛他、豊臣家中は何処へでも行けと言われれば行かなくてはならない。ナショナル社員なので、転封、移封、栄転は当然の社風だが、宇都宮鎮房は外様新参のエリア社員でもない。現代で言えばM&Aされた小企業の社長と社員で、仕組みを理解する前に反抗して潰されてしまった。
転封、移封=転勤だから、伊予で提示された若干の加増分は転勤手当のようなものではなかったか。先祖墳墓の地に固執したのもわからないではないが、思い切って新天地、伊予へ行けなかったのだろうかとも思う。
行けばそこで善政を敷き、何かいいこともあったのではないだろうか。
父娘2.jpg
人質だった鶴姫13歳はどうなったのか。黒田父子は、信長がかつて荒木村重の家族に対してやった仕打ちと同じようなことをした。鶴姫13歳は実在の女性で、劇中では逃げてたけど事実は13人の侍女たちと磔刑に処せられたとある。
中々に 城井で果てなんから衣 我がために織るはた物のおと。。。
磔刑の柱を切ってる音を聞いて、機織の音、はたおり、はたもの(磔)にかけた辞世です。
逃がされた鶴姫は後で出て来るのだろうか。何かの伏線かい?
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黒田高友(休夢) [気になる人物]

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観てはいるがどーもイマイチしっくりこない。
イケメン過ぎです。アクが無さ過ぎて軍師に見えない。爽やかな小領主でしかない。
軍師ってのは家中から嫌われる役ですよ。それはやってることがアヤしく異能だからです。駆引、謀略、調略、騙討・・・、「兵は詭道也」・・・騙しの達人でなければならない。
それは味方が勝つ為、生き残る為なんだけど、それだけに平時は警戒され嫌われがちである。アイツは何を考えてるのかわからないというわけです。

でも主君には重んじられる。だから余計に家中で嫌われる。軍師が立てた戦略は主君の上意なのだが、命じられた側は承って陣幕を出てから主君に聞こえないようにブツクサ朋輩にコボす。「何であヤツの意のままに動かなきゃならねぇんだ」という屈折した心理になる。
風林火山で内野聖陽さんが演じた山本勘助なんか家中はおろか登場する女性たちに警戒されて嫌われまくってましたね。ジャン妻は「あんなにドラマの中で女性陣に嫌われてる主役も珍しい」って言ってた。
山本勘助は隻眼で片足に障害があった。それが為に異能が研ぎ澄まされるのだろうか。官兵衛も摂津の有岡城で散々な目に遭うのでそれから変わるかも知れないが今のところアクが無さ過ぎる。
天下布武と吠えまくる信長の大根にも苦笑せざるを得ない。
足利義昭も出て来たと思ったらすぐに退場してしまったし。「展開が早いねぇ」(ジャン妻)

結局この時代って知られてるから結果が見えちゃってるんですよね。あまりソソらないドラマだが、それでも気になるキャラはいる。
この人です。
シブい顔の休夢.jpg
黒田休夢。
俗名は高友。通称は千太夫。演ずるは隆大介さん。
隆大介さんは故・黒沢監督の「影武者」信長役、「峠の群像」浅野内匠頭、ワースト視聴率に喘いだ「平清盛」第一話では京の盗賊、朧月役といったところかな。
もう一人の弟友氏と.jpg
出陣前の休夢.jpg
カッコいいねこの人。
異色です。他がアクが無さ過ぎなので、この人を観る為に録画してるようなモンです。
僧形だけど薙刀ブンブン振り回してバッタバッタ薙ぎ倒してます。
官兵衛を助ける休夢.jpg
何故、僧形なのか。
当時、一族の誰かひとりを僧籍に入れるケースは珍しくない。一族が生きていく為に日本人同士で戦う時代なのだがそれは殺らなければこっちが殺られるからです。誰かを僧籍に入れるのは斃した相手や討たれた者を弔い、それによって己が安堵する為でもある。極楽までいかなくても地獄の一歩手前で済むように。
当主自らが晩年に剃髪する場合もあるが、それでいてまだ戦場に出ているのが多い。ホントの出家には程遠い。
隠居して出家するのもそうだが、出家させられたのにお家の事情で嫌々還俗させられたケースもある。この後、上月城で登場するであろう尼子なんかもそうです。
だが休夢は僧形なのに現役である。還俗したワケでも無さそうである。
戦場での休夢2.jpg
休夢は播州増位山地蔵院にいた。それは播但線野里駅というJR姫路駅から2つめで下車。おそらく寺自体が要塞で自衛の為の戦力、僧兵を抱えたたと推察される。
別に珍しくない。寺院はその地の象徴でもあり、領主の菩提寺でもあり、地域に影響力があり、寺院イコール城塞に等しかったり、自衛の為に僧兵を配している場合も多い。
休夢が僧形なのはその辺りに事情があるのと本人も僧になりきれなかったのであろう。休夢という名前からして、「休むのは止めた、夢だった」という半ば自嘲気味、諦めの境地なのだろうか。
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休夢は柴田恭平さん演ずる黒田職隆の一つ下の実弟だという。信玄と信繁の関係に近いのではないだろうか。
晩年は秀吉の御伽衆を務めたというから、そこら辺りは官兵衛を危険なヤツと警戒した秀吉が黒田家を弱体化させようと切り崩しを図ったように感じる。

第二子懐妊の兆しが無いからって、正室にウナギを持って来る辺りは未だ俗世に還りきってないようですが。。。
鰻を持って来た休夢.jpg

戦場での休夢1.jpg
目を剥く休夢.jpg
私の中っでは前半、殆ど主役を喰ってますね。
「またそういうサイドキャラを観てる・・・」(ジャン妻)
「・・・」
「主役を見なさいよ」
「・・・」
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長連龍 [気になる人物]

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長屋門.jpg
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上級武士の武家屋敷が並ぶ一帯です。
ご子孫の家々でもあります。居住されているので中を覗いたりしないようにお願い致します。
歩きながら、観てまわりながら、「いい家にお住まいだが維持管理や補修整備がタイヘンだろうな。下手に建て替えもできないだろうし・・・」って思いました。
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この一帯を長町というのですが、長町の“長”に纏わる話です。
舞台は一旦、能登へ飛びます。
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昨年訪城した七尾城に上杉謙信の越後軍が攻めて来た天正4年(1576年)、七尾城内の能登畠山氏は名門凋落の末期的症状で、遊佐、温井、三宅、長(チョウ)といった重臣たちの内輪もめがピークに達していた。謙信に付くか信長に付くか、日ごろの家中不和が沸点を超え、誰が敵で誰が味方かわからないくらいの状態だった。
謙信に付こうとする遊佐続光、光盛、温井景隆、三宅長盛は信長派で不仲の長一族をターゲットにする。危険を感じた長一族は信長と繋ぎをつけようとした。
一族の三男、長連龍という人がいる。
この長連龍がこの記事の主人公です。僧籍にあったのを還俗してチョウツラタツか?・・・一族は長連龍を七尾城外に脱出させ、海路安土へ向かわせ信長と繋ぎをつけるのに成功した。

後年、この長連龍の家系が前田家の重臣筆頭に据えられ、長氏他、上級家臣の邸宅を配し、長の姓に因んで長町武家屋敷といふのだがそれは遥か後年。。。
そこに至るまで長連龍の前半生について。

柴田勝家率いる織田の北陸方面軍は七尾城に間に合わず、天正5年(1577年)9月15日、長一族と不仲だった遊佐続光、温井、三宅らが上杉軍に内応し、遊佐の手引きで七尾城は陥落した。この時、果敢に抵抗する長一族の長続連、綱連他一族百余人は全滅する。
ひとり生き残った長連龍は安土で慟哭。遊佐、温井、三宅に対して復讐を期した。

以下の城内マンガに、長、遊佐、温井の屋敷跡が表示してあります。 ↓
七尾城マンガ頂上拡大.jpg
これは仇役にされた遊佐氏の屋敷跡 ↓
遊佐屋敷跡.jpg
ところがご存じのように謙信がその後死去する。
遊佐、温井らはこれ幸いとばかり、図々しくも内応して越後軍を導いたクセに、七尾城を奪還して我が物とし、長連龍に対して詫びと誓書を兼ねて和睦を求めてきた。
だが長連龍はザケンナとこれを蹴り、織田軍を後ろ盾に、あるいは単独で以後数年、能登を転戦することになる。
仇敵からの和睦を許さなかった長連龍の頑な態度を安土の信長が気にした。「意趣残すべからず」と。織田軍の北陸線戦は天下布武の一環でお前の私戦ではない、自重せよと諭したという。

能登畠山の七尾残党軍の他、加賀一向一揆も蜂起して柴田勝家軍と交戦しその中に長連龍も従軍している。信長や柴田にしてみればそっちが主戦場なのだが、長連龍は七尾残党三軍(遊佐、温井、三宅)にどうしても目が向いてしまい果敢に戦闘を挑む。
ここでまた信長は長連龍に「自重せよ」という書状を送り、信長にしては珍しく温井景隆からの降伏を許した。事態の早期収拾を図ったか、長連龍の私怨に構ってられなくなったのであろう。
だが長連龍は収まらない。私戦のように七尾三軍と交戦を繰り返し、局地戦とはいえ殆ど連戦連勝で止まらなくなった。信長は最初は長連龍を北陸戦線の案内役程度にしか思っていなかったのだろうが、長連龍の戦意(私の)の度が過ぎていたのでちょっと困った部分もある。
仇敵・温井らにしてみれば、自分は信長に降伏した筈なのに、信長の旗下にある長連龍が休戦せず戦いを挑んで来るのはどういうことかと思ったに違いない。

記録では能登の菱脇で大規模な戦闘があった。菱脇とはおそらく現在の石川県羽昨市にある菱分という地ではないかと思うが、この地で長連龍は遊佐続光、温井景隆、三宅長盛の七尾残党三軍を執念で撃退した。温井、三宅は越後春日山まで逃げたという史料もある。
長連龍の執拗さにたまりかねた温井景隆は信長のもとに再度使者を送り、自分らが奪還していた七尾城の明け渡しを願い信長もこれを容れ、またまた長連龍に対して諭すように、「温井らへの宿憤を残さず我が命に従え」と命ずる。
それでも信長にとって困ったことに長連龍は頑として命令に従わないのだ。従うどころか信長に向かって、「温井らを誅殺して仇を報ぜん」と願った。口答えするかのような態度に困惑したか、信長は温井らへの誅殺を許さぬ代わりに菱脇戦勝の恩賞として、鹿島郡(現在の石川県穴水町、七尾線の能登鹿島駅辺りか?)を領地として与え、居城はどこそこがよいのではないかと慰撫するように指示している。
信長にしては相当な気の遣い方である。頭を冷やせと言いたかったのであろう。でも長連龍に対する信長の気遣い、鷹揚な態度は意外でもある。

信長から貰うものを貰ってしまったので長連龍は七尾三将の降を受け入れるフリをしたようだが許す訳がない。天正9年3月、信長が菅谷長頼という将を七尾城代に派遣したら遊佐続光・盛光父子は逐電し、取り残された温井景隆・三宅長盛も七尾城を明け渡して退去して遁走した。
そしたら長連龍は逃がしてなるかと遊佐父子とその一族を草の根分けて探しだし全員を誅殺した。この時信長はもう七尾残党三将は用済みと思ったのであろう。

長連龍が遊佐一族を討ったのを知った温井景隆らは怖気を奮って越後に亡命する。天正10年6月、信長が本能寺で横死するが、長連龍は復讐の念揺るがず。信長不在で楽観したか温井・三宅が能登に攻めて来たのを前田利家軍が撃退する。温井景隆と三宅長盛はこの時に敗死した。この時、長連龍は利家の寄騎になっていたが、利家が成敗したか、長連龍に成敗させたかはわからないが、七尾城脱出から4年か5年で長連龍の“復讐するは我にあり”の大願は成就した。

それ以後、ターゲットがなくなった長連龍は付き物が落ちたようにおとなしく前田利家の旗下になった。利家は信長も辟易した扱い難かったであろう長連龍を上手く使いこなしたらしい。もしかしたら利家は己の若い頃を見たのかも知れない。
七尾城の旧臣で唯一、復讐を成就させることで生き残った長連龍の戦歴数は40数回、最後の戦闘は大阪の陣だという。74歳まで生きた。
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前田家は地元豪族だった長氏を筆頭に据えて家を残すことで、最初は能登、越中、越前一帯の信頼を得ようとしたのだろうか。
信長から慰撫するように与えられた鹿島郡に居城を与えられ穴水城という。前田家が藩になってからも穴水城代として据え置かれ3万3000石、殆ど大名だが、もうこの頃になると能登半島の城砦は機能しておらず殆ど廃城同然だったのではないか。
長連龍の曾孫、尚連の時代にお家騒動を収拾できず、前田家四代藩主・綱紀は長氏の領主権を取り上げた。でも金沢城下在住の前田家重臣で禄高はそのまま。長氏は存続する。それが長町武家屋敷になるのだが、何処に長さんが住んでいたのか、今でもご子孫が居住しているのかはわからない。

余談だが、東京の紀尾井坂で大久保利通を暗殺した首魁に長連豪という人がいて、この人も末裔のひとりである。
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長連龍の肖像画はない。
名前からして僧籍にあったのを還俗したのは間違いないが、還俗してからの執拗さ、信長を困らせるくらいなブレない生き様、執念には惹かれる部分もある。
知らない人の方が多いだろうし、私も最近知ったくらい。大河ドラマにも登場しないだろうけど。
復讐の鬼、長連龍を主役に描いた著書はないようだが、作家の伊藤潤さん辺りが描いてくれないかな。

さぁ、この辺りでジャン妻は疲れて来たらしいぞ。
「幾つ見て廻ったっけ?」
「尾上神社とぉ、兼六園とぉ、金沢城公園とぉ、武家屋敷とぉ、足軽とぉ・・・」
「随分、歩いたよね」
「おまえにしてはな」
「誉めて誉めて」
「大儀!!」
「さぁて、何かご褒美が出るのかなぁ、コーヒーとか、ケーキとか」
「・・・」
私は憮然とした。いつもこうである。まだ歩くの?何処まで歩くの?後でコーヒーとか飲ませて貰えるの?この類の不法な要求は、会津田島の鴫山城、伊豆の狩野城と韮山城、上州安中の後閑城、会津若松の小田山、いっつものことだが。。。
私も疲れた。寒い。何処か一服できる喫茶店はないか。

喫茶店が見当たらないので、長町近くの金沢ニューグランドホテル2階でお茶。
(金沢はホテルの多い街です。)
どれになさいますか?.jpg
手前ジャン奥ジャン妻.jpg
ジャン.jpg
ジャン妻.jpg
私も付き合いで珍しくイチゴショートを頬張った。ケーキなんて詳しく知らないから安全パイでショートケーキ。
金沢城下の散策が終わった。
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