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船山温泉 散歩する閑人 [船山温泉]

前夜、寝付いたのは21時半か22時だった。
日常の就寝は12時過ぎの私にしてはトテモ早く寝ました。そしたら翌朝5時に目覚めてしまった。
しばらくうとうとしてたのだが、布団から出ました。
翌朝の船山館.jpg
船山橋の上から船山川を見下ろすと、2011年の豪雨の爪痕はまだ残っている。
風化されていない白い岩は上流から押し流されてきた岩です。この岩々の合間に少しずつ草が生えてきている。
クレソンかどうかは近づいてみないとわかりませんが、歳月を重ねてく毎に、少しずつ自然らしく戻っていくのでしょう。
船山橋の上から1.jpg
船山橋の上から2.jpg
船山川1.jpg
船山川は総延長5kmほどの短い川だが、源流部の斜面が急なのと、粘板岩や凝灰岩といった軟弱な地質のせいで、明治31年、40年、43年と度々氾濫、決壊した。
だからこの川、大小合わせて堰堤が多いのです。
99の謎初期で取り上げましたが、この堰堤の写真は大正14年から砂防工事が施工された工事の一環で、昭和8年に完成した堰堤1号、杉尾堤というもの。
それ以降の増水にも崩れることなく耐え続けている。
杉尾堰堤1号.jpg
二段堰堤.jpg
私は船山温泉の初期のブレイクは、この砂防工事に携わった人たちが利用したのが最初ではないかと推測している。
船山川3.jpg
思親山から朝日が.jpg
この辺りでT館長は夜半、光る六つの目を目撃した。
それは3頭の猪。親子らしい。餌を探して成島方面からやってきて身延方面へ去ったのではないか。
では館主はそんな夜に何処へ何をしに行こうとしたのだろうか。アっヤしぃ~限りである。
船山方面を振り返る.jpg
朝日に映える御殿山.jpg
これは御殿山という。
登山コースがあるのかどうかはわからない。館主は学生の頃、この山に登ったことがあるとか。
林道鉈取線を戻るところ.jpg
宿に戻りかけたら後ろからくるまのエンジン音がるす。
掃除部のMさん(女性)が軽で出勤してきたのです。
Mさんは船山で最も長く勤務されてる方だそうです。私は軽く手を挙げた。
大森山1.jpg
この山も2011年の台風で崩れた。今も木々が倒れたままになっている。
5月末から6月にかけて、この一帯には夜に蛍が舞う。
大森山2.jpg
対岸から.jpg
少しだけ上流部へ。
上流への道1.jpg
上流への道2.jpg
上流の堰堤.jpg
この堰堤の先、船山川は三方向に分かれる。
左が大森山系、真ん中が御殿山系、右が水呑系です。左奥には無名だが、堰堤ではなく自然の大滝があって、そこには源泉があって硫化水素が染み出ている。
前に探検に行ったのですが、単独では足場が危険です。絶対に避けてください。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-12-25-1
船山川は三つに分かれます.jpg
苔むした欄干、古いコンクリートは昭和36年に竣工した初代、船山橋です。
船山の「山の神」はここから更に上流、かつて2軒の人家があったうちの1軒、W家のお墓の辺りにあります。久々にお参りに行こうかと思ったのだが、WCに行きたくなったので引き返した。
船山橋.jpg
部屋に戻ったとこ.jpg
部屋に戻ったらジャン妻はまだ寝てやがる。
朝飯までまだ時間があるので渓流の露天へ。貸切状態です。
冷えたので湯へドボン.jpg
毎回毎回これだけ空いてるといいけど、それじゃぁ宿の経営が立ち行かなくなるからなぁ。複雑な気分でもある。

ええっと、ちょっとここで追記します。
船山温泉の湯の注ぎ口は2本あります。
1本は循環用、もう1本は源泉補給用です。
見てると常時、1本の管から給湯されっ放しですが、時折2本めからも供給されます。時々噴き出す2本めが源泉供給用なんです。
これは湯船の水位が下がった時に、源泉がボイラーを通って源泉補給用から補給されますが、大浴場だと水位変化のキャッチが難しいから、静山の露天、渓流の露天、二人静で試してみて下さい。どっぷり浸かりながら見てると1本だけ給湯されています。(下左写真)
ザバーッと上がったら私の体積分だけ湯が減ります。そうするともう2本めから源泉が給湯されるのが確認できますよ。(下右写真)
1本のみ給湯.jpg2本給湯.jpg
この時、硫黄の香がします。
クレソンの記事でひよこさんへのコメントお返しの為にこのネタを追記したつもりだったのですが、ちょっと落丁してたようで。ここに改めて追記致します。スミマセンでした。
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船山温泉 殆ど貸し切り状態 [船山温泉]

雨上がりの船山館.jpg
朝飯後に散歩に行こうと玄関に行ったら、お客さんの靴が3足しかなかった。うち2足は私とジャン妻のものです。
昨夜、食事処の名札は3つあった。では既に1組は朝飯早々に出立されたのかな。T館主がいないのでフロントにいた男性スタッフに聞いてみた。
この男性スタッフは先日TVに映っていた。昨年から勤務されています。1年間よく辞めずに頑張ったエライエライ、辛抱するんだよ~と思う。
「靴が3つしかないぞ」
「もう一組の方は日帰りプランだったので夜に立たれました」
「ってこたぁ、お客さんより従業員の方が数が多いんか昨夜は?」
「・・・笑」
この時点でのタイトルは、「大丈夫かよ船山温泉(仮題)」というのが脳裏に浮かんだ。
「大丈夫か?」
「今日からGWに向かってかきいれ時ですので・・・」
「・・・」
あまりTVの効果はなかったのかな。客が少ないせいか、T館主も奥に引っ込んじゃって、客との応対は男性スタッフに任せていた。

クレソンの写真を撮るべく外に出たら、駐車場も従業員のくるまの方が多いじゃぁないか。
駐車場とクレソン.jpg
ご先代(T館主のオヤジさん、四代目)が軽トラで山に上がっていく。
前に先代にお話しを伺った際、こう仰っていた。
「今の客室数は12部屋だっけ?それだと毎日満室でないと儲からないんだよね。フヒャヒャヒャヒャ(笑)」
ガラガラ(午後).jpg
ガラガラ(朝).jpgガラガラ(夜).jpg
これだけ空いている船山温泉は3.11震災直後に2連泊して以来です。
風呂でも誰ともかち合わず。「二人静」、「清水」はもちろん、大浴場の「静山」、「渓流」とも全て貸切り放題だったのです。
二人静でひとり.jpg
静山の湯露天でひとり.jpg
見上げる.jpg
おっ、生ビールが復活しているぞ。
生ビールサーバは畳廊下の奥、食事処寄りにある。その場で支払うのではなく、翌朝、まとめて会計します。
生ビール始めました.jpgビールサーバ.jpg
ジャン妻は旅館での生ビールに抵抗がある。「居酒屋は生でいいけど宿では瓶ビール」というもの。向かいあって注いだり注がれたりがいいんだとさ。
「いいじゃないか。生ビール飲もうよ」
「う~ん。。。やっぱ宿の食事は瓶ビールの方が・・・」
結局OKが出たのだがこれには条件が付随した。風呂上りに一杯飲ませろというもの。生ビールは男性スタッフが持ってきてくれた。
「中庭に出ようよ」(ジャン妻)
「雨上がりで濡れてないか?」
中庭には椅子とテーブルが3組、池に向かって置いてある。あまり利用する人はいないそうです。
チェックイン前に軽い雷雨があったので椅子が少しだけ濡れていた。生ビールを飲む傍ら池の鯉が跳ねる音がする。
飲みながら、「そういばこの間・・・」とジャン妻が話を切り出した。
「声が大きい。抑えろ」
中庭で喋ると意外と客室に響くものなのだ。ただでさえジャン妻の声はこれがオンナの声かよって思うくらいに太く響くんです。
こっちも返す声のトーンを抑える。でも今日はお客が少ないから、そんなに気にする人いないかなと思ったりする。
池を見ながら1.jpg
「生ビールは前にもやっていたんですが、あまり出ないのと、廃棄する量もバカにならなかったので・・・」(T館主)
その当時のビールサーバは駐車場脇に並んでる3つのログ(改装前の食事処で現在は倉庫)にしまってあるとか。
池を見ながら2.jpg
「いい風だね」(ジャン妻)
「・・・」
「あまりテラスに出る人っていないってTさん言ってたね」(ジャン妻)

この後、ジャン妻は夕餉のアナウンスまでず~~~~~っと寝てた。
お前は船山に寝に来てるのか?
対岸から見る船山館.jpg
おしながき.jpg
スパークリングワイン.jpg食前酒.jpg
猪鍋にもクレソンが.jpg
グツグツ.jpg
おっ!!猪鍋にオプションが付いたぞ。
ほうとう1玉(追加汁・薬味セット)・・・330円
おじや、白ご飯1人前(追加汁・薬味・生卵セット)・・・330円
釜飯をおじやにする・・・108円
この108円が如何にも8%増税分なので笑えるね。
釜飯をおじやにすることもできます。ご飯を追加するんじゃなくて追加汁(ダシ汁のことか)・薬味・生卵です。
「でもそれだと釜飯じゃなくなっちゃうんじゃない?」(ジャン妻)
私もそう思わないでもない。そういうのを好むお客さんがいたんでしょう。
私は迷わずほうとうを頼んだ。前々から、「この猪鍋でほうとう喰ってみたい」と思ってた。そういう人って私だけじゃないと思う。
最近だとヒロさんとこに「猪鍋でほうとうが喰いたい」ってコメしたらその効果が早くも現れたか?
「あのコメントは見ました。4月4日から出すようにしたんです」(T館長)
ほうとう(オプション).jpgほうとうを煮込む.jpg
ほうとうは別に難しい要求ではないし、甲州に昔からある地の素材なんだから船山だったら可能に決まってる。
甲陽軍鑑に麺子という食が出て来る。これがおそらくほうとうだと思われます。
陣中で小麦粉を練ってこねて平らたく伸ばして帯紐状に切り、ネギ、ゴボウ、三つ葉、ニラ、椎茸、山菜と併せて味噌で煮込む。信玄の頃にカボチャや白菜はないです。クレソンもない。あったら時代考証がおかしいです。
野生の鳥獣をブツ切りにして入れてたかも知れない。

ダシは昆布、あれば煮干が用いられた。それは戦場で平常心を保つのにカルシウムが必要だったからです。
何故、甲斐でほうとう、粉文化が発達したのか。
慶長3年(1598年)の検地では甲斐は22万8千石、ライバル謙信の越後は39万7千石、お隣の信濃は40万8千石、川中島より遥か後年の検地とはいえ似たような比率だったと思うが、大雑把に言うと越後は米どころ、甲州は山に囲まれ標高が高い地域が多く、米も取れたが米よりも小麦、大麦、粟、稗、黍、蕎麦など灌漑用水が必要ない雑穀が主だったのではないか。気候の影響を受けない雑穀、粉食の文化が発達した。
川中島の戦闘エネルギーは甲州軍が粉で、越後軍が米だったのではないだろうか。
信玄、勘助、飯富、山県、馬場、高坂、原、真田、小山田、穴山、皆、陣中でほうとうを喰ったに違いない。
甲州軍は信濃やその先、川中島へ攻め入ったのは、米が欲しかったからもあると思う。

船山温泉のほうとうは厨房で下茹でして持って来るので多少の時間を要します。
うどんとはまた違った感じがした。
もしかしたらうどんとは別ものかも知れない。
こういうオプション、生ビール導入は、増税で料金UPした分の見返りといえるだろうか。
私は違う気がする。今までなかっただけです。あくまで追加プランですからね。
もちろん歓迎、利用しますけど。
茹で加減を見る.jpgなかなかのコシです.jpg

さて、次の写真を見てください。岩魚に馬刺が加わった。でも岩魚の量が減ってるのがおわかりでしょう。
岩魚と馬刺とクレソン.jpg
これは私が「岩魚を減らして馬刺を加えてよ」と言ったわけではなくて、今後はこれが標準バージョンになるらしいのです。
後でT館主に聞いてみたら、「岩魚だけだと飽きるお客さんがいるから」だそうです。
でも私は岩魚薄造りを減らして馬刺を加えるより、岩魚単品で一本勝負の方がよかったな。この是非については明後日の記事で後述しますけどね。
馬刺、もちろん悪くないのよ。でもT館長には悪いが、私の場合、馬刺は会津若松、会津坂下、会津美里の方が断然いい。
次回、可能なら馬刺はパスするつもり。

これはいずれ登場するであろう地産のハム。お試し料理です。
このまま食べるにはアクが強いのでレモンをかけていただく。私はベーコン焼きにした。
試作品.jpg
ワインビーフ登場.jpgベーコンとクレソンを焼く.jpg
焼いてるところ.jpg焼いたら美味い.jpg
素揚げ.jpg
ワインビーフ、岩魚素揚げ、いつも同じものだが、同じものが出ると安心する私らです。
岩魚の素揚げに添えてある花は、今は厨房にいるベテラン、Mさん(女性)が摘んで来た花。こういうセンスも査定対象になるに違いない。
Mさんは散策中の私の傍を猛スピードで軽トラで走っていった。
「飛ばすねぇ」
「トシの割にねぇ」←これは私が言ったんじゃねぇです。Mさん本人が自虐的に言ったの。
そのMさんは熱燗お代わりの時にお顔を出されました。
岩魚素揚げ.jpg
筍と菜の花の釜飯。
実は先日、会津の知人から菜の花が山のように、ホント、山のように二袋も届いた。
家の冷蔵庫に入りきらず、茹でて茹でて冷凍して今でもストックが残っている。入りきらなかった菜の花は近所の小料理屋に「原価タダだからお通しで出してよ」・・・引き取って貰った。
その時、小料理屋のママに、「これってどーやって下ごしらえするの?」と聞かれた。
「花咲いたらもうダメだから、咲く前に全部茹でて冷凍してください」
「その後の調理方法は?」
「おひたしとか、バター炒めとか」
後日、ジャン妻が大残業後にひとりで行ったらおとおしで出たそうです。おひたし、煮びたし、バター炒めもいいけど、でめて菜の花だったら天ぷらぐらい家でやって欲しいのだがジャン妻は最近、揚げ物をやりたがらない。喰うと己が太るからである。
そしたら菜の花の炊き込みご飯ってのがあったか。
釜の蓋を開けながら、「この間家で茹でたのを思い出したわよ。それと同じ香がするワ」
ほうとうを喰っただけに釜飯喰いきれるかなと危惧したが、あっさり完食してしまった。
菜の花釜飯.jpg

夜もガラガラ。これほど人気を感じない船山温泉は初めてです。
渓流の湯、内湯の木が新しくなってた。
木が新しくなった1.jpg木が新しくなった2.jpg
夜の渓流の内湯.jpg
夜のエントランス.jpg
寝酒とおにぎり.jpg
寝酒(笹一)を飲んで21時半に寝てしまった。
翌朝目覚めたのは5時です。これはトシのせいか?
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船山温泉99の謎108 船山の自生クレソンについて [船山温泉]

雷雨の後の船山温泉館.jpg
船山温泉の料理にはクレソン(Cresson)がふんだんに使用されています。
岩魚薄造りの下にあるツマ、猪鍋の具、前菜にも。。。
岩魚と馬刺とクレソン.jpg
刺身のツマに.jpg
前菜にも.jpg
以前は駐車場から船山川に降りた河原辺りにクレソンが自生していた。この写真は宿に渡る赤い船山橋の下で2010年4月頃のもの。拡大撮影したので生えてる場所まではたどりつけなかったが。。。おそらく激流に根を洗われてるのはクレソンではないだろうか。
これってクレソン?.jpg
だが2011年の豪雨増水で船山川のクレソンは全滅、その際に起きた大森山側の地滑りで、駐車場側の湧水で栽培していたクレソンも殆どがやられた。
その後しばらく刺身のツマは大根だけだった。でも割と早い期間でクレソンは復活、載るようになったと思う。
「どうやって復活させたの?種でも撒くの?」
「僅かに残っていた根を植えたり、他からとってきて植えたんです」(T館長)
現在、船山川の河原には自生クレソンは見当たらないが、駐車場の山側の水路で自生している。この草の繁殖力は非常に強く成長も早いので、切った茎なんかも水にポンと入れておけば割と容易に発根する。それが幸いして水害後も割と早く船山の食卓に復活したように思う。
クレソン(Cresson)は外来種の草です。おそらくは明治の頃、横浜か神戸辺りの外国人居留区に持ち込まれたと思われます。持ち込んだのは貿易商か宣教師さんかも知れない。
水中や湿地に生育する草です。川や池沼の浅瀬、湿原の清流などの水辺に自生し、水の底に根を張って流水に浮いています。
水辺に生えるので水生植物だと思われがちだがそうではなく、ダイコンと同じアブラナ科の植物。

クレソンは外来生物法で要注意外来生物に指定されています。(環境省のHPに載っています) 爆発的に繁殖して水路を塞いだり、もともといた希少な植物を駆使してしまうんだと。それほど大きい話題にはならないがクレソンを駆除するケースもあるという。
青々と・・・.jpg
私はクレソンはきれいな水でがないと栽培できないと思っていたが、そうでもないらしい。というのは水辺で水耕栽培をしなくても、庭が無い暮らしでもベランダや窓辺でプランター栽培することができるから。もし食べるのが目的なら水をこまめに替えること。
料理はサラダ、刺身のツマ、肉料理の付け合せ、味噌汁の具、鍋物の具、おひたし、ごま和え、天ぷら等。
では外来種のクレソンが何故、船山温泉の周囲に自生してるのだろうか。
「誰が持ち込んだの?」
「先代ですかね」
先代とは船山館主、四代目、現在のT館長のオヤジさんです。今は宿からは引退して宿周辺の大森山で山仕事をされてる。
「船山でクレソンを初めて出したのっていつ頃です?」
「う~ん・・・忘れました。でももう10年くらいは出ししていると思いますよ」
私が初めて船山温泉に行ったのは確か2006年頃だったと思うが、当時の写真を見たらクレソンなかった。その辺で採って来た青い紅葉みたいな葉で彩ってある。
岩魚薄造りと鹿.jpg
私のストックだと2009年9月、T館長の運転で船山温泉前を通る林道大森鉈取線を上流部のエンドレスまで探索したことがあって、その時の夕餉に初めてクレソンが登場しているのを確認した。湯葉刺身から顔を出している。
湯葉刺身.jpg
刺身のツマにするのは辛味があるからだろうか。それはワサビやダイコンと同じくシニグリンという抗菌性物質が含まれているからです。
「刻めば薬味にもなりますよ」(T館長)

じゃぁ何でクレソンを出すようになったのか?
「目の前でとれる食材なので新鮮だし・・・」(T館長)
ってことは原価が無料(タダ)だから?
「味ですよ。スーパーのものとは比較にならないくらいの味だと確信してますので・・・」(T館長)
えっ!!クレソンってスーパーで売ってるの?
実は恥ずかしながらクレソンを食べたのは船山温泉が初めてといっていい。もちろんそれまで何処かの外食で喰ってるかも知れないが全く意識しなかった。
スーパーでクレソン見たことないなぁ。

ここで余談ですが。。。
T館長が煮込んだ熊鍋を試食したことがある。それにはクレソンではなく春菊が大量に入っていた。
何の鍋かな-1.jpg春菊がいっぱい.jpg
この熊鍋は試作品です。お客に出せるくらいまで煮込むのに相当な時間がかかるのがわかったのでボツになったが、これを試食した時にT館長は、
「自分は肉食です。ホントの熊鍋は殆ど野菜なんて入れません。でも現代の人、お客さんはそういうわけにいかないし・・・」
私は彼のことを「野菜を喰わない人」だと思い込んでいたのである。T館長も私が葉野菜を好んで喰うのを意外に思ってるのかも知れない。
私はクレソンが無くても生きていけるけど、むしろスーパーの青菜売り場では春菊の値段と束を気にするタチなのです。でも春菊よりもクレソンの方が女性客を惹きつけるのかも知れない。

クレソンは栄養価が非常に高いそうだが私は栄養士じゃないのでここで詳しく述べませんが、ジビエ料理は肉が中心なので、血液酸化防止にもいいでしょう。
私は猪鍋に春菊が無いのがやや不満で仕方なく岩魚刺身の下からクレソンをズルズル引きずり出して猪鍋に入れていたのだが、今回は最初っから鍋にクレソンが入っていた。赤いボタン肉の下から顔を出しています。
猪鍋にもクレソンが.jpg
では何故、春菊ではなくクレソンなのか。
理由は簡単。おわかりですね。自生だからです。春菊は高いし価格が一定じゃないからね。
「クレソンって、バター、塩、こしょう、しょうゆで炒めてもおいしいですよ」(T館長)
甲州ワインビーフを焼く際に、クレソンを焼いて塩胡椒で喰ったら確かに美味かった。アブラを吸いやすいんです。

では船山温泉でのクレソンの天敵って何か?
アオムシが付いたりするがそれは新鮮な証拠でむしろ害虫には強い方だという。虫なんかよりも天敵は鹿だそうな。
駐車場脇で自生しているクレソン畑(・・・といっていいのか・・・)にはネットがかぶせてある。これは泥棒除けよりもむしろ鹿害、猿害防止の為です。
私は船山温泉近郊で動物を見たことは一度しかないが(大和峠を降りた辺りでエテ公を目撃)、まれに宿の敷地内に鹿が迷い込むらしいのだ。(猿も出ます。目撃者はりんく氏)
船山館より上流にある畑もネットで仕切られている。これも鹿、猿防止の為です。
鹿害防止.jpg
無粋な質問をしてみた。
「駐車場のクレソンって盗られたりしないの?」
「今のところそういいことは起きてはおりません。ほかの場所ですと取りに来る方はいらっしゃいますよ」(T館長)
要注意外来植物とはいえ、そこは個人の敷地内なので訪れる人のマナー、倫理に委ねたい。もっとも船山温泉って駐車場から上流の畑、裏山一帯まで広大なので、何処までが宿の敷地なのかわからないのだが・・・。

ではT館長の食卓でもクレソンは出るのだろうか?
「たまに食べますよ。でも基本的にはお客さまへの食材ですので・・・」(T館長)
駐車場とクレソン.jpg
↑ 見てくださいよ。客が少なすぎる。
大丈夫かよ船山温泉。値上げなんかするからだい。この時の様子は明日以降Upします。

今回の記事はT館長からも「当館のクレソンは自慢の食材ですのでぜひお願いします」と許可を得たので取り上げました。
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お肉大好き [人間ドラマ]

今は管理部門なので現場に出ることはなくなった私ですが、上州に転勤する前、私が週1日勤務していた現場支店の仲間からお誘いがあった。
「彼女合格しましたよ」
「合格した?」
「合格したら焼肉おごって貰えるってお話でしたよねぇ」
「・・・」
シマッタそうだった。上州にいた頃、その女性がある国家資格に合格したら、戻ってから焼肉をおごる口約束だったのです。忘れてた。
合格した女性を仮にSさんとしておきます。彼女は呟きⅠで登場していて、現場の夜食で寿司の出前を取った時、私はSさんがオーダーした山葵抜きの寿司を喰ってしまい大ヒンシュクをかったことがある。
T子というお肉が大好き、野菜は殆ど食べない女性に言われた。
「あ~あ、食べちゃった」
「・・・」
「Sさんのワサビ抜き食べちゃた」
「・・・」
「言われるよ」
「・・・」
「この先ずっと言われるよ」
「・・・」
「年内言われるよ」
「・・・」
チクチク言いやがってからに。T子はお肉が大好きなので今回の焼肉会に来るかもしれない。誘われた電話では、「皆で行きましょうよ」というノリだったが、皆で??何人来るんだろう。
その現場は大型店なのでちょっとした派閥というかグループに分かれている。最低でもそのグループは3人、プラス、スポンサーの私で4人、もしかしてT子が加わって5人か。
う~ん、約束は約束だし、まぁ5人くらいなら何とかなるか。行くことにした。

当日、現場の閉店時間過ぎに行った。奥の控室に電気が点いていて、その合格した女性ともう3人プラス、案の定、T子がいやがる。
T子はニコニコしながらチラシを見ていた。
「何を見てるんだ?」
「スーパーのチラシだよ。今日はいいお肉が安い日なの。今日誘われなかったらお肉買って帰ったんだけどな~」(T子)
「これから焼肉を喰いに行くんだぞ」
「買って行けばいいじゃん」(Sさん)
「これから焼肉喰いに行くのにスーパーの肉を買って行くヤツがあっかよっ」
「そ、それもそうですね」(Sさん)
「その場で焼いたりしてね」(T子)
「・・・」
私はこの時、無意識にネクタイを外してテーブル上に置いた。それが後でちょっとした騒ぎになった。
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行った店の名前は忘れた。私以外の4人はメニューを見て垂涎状態である。
主役は合格したSさんなので、「合格オメデトウ」の乾杯の後、「肉は何にする?」
ところがコイツら俺に「おごって貰おうよ」と言ってたクセに、いざこの場に着いたら案外と遠慮しがちでなかなか決まらない。
イラッとした私は店員さんに、「じゃぁ特上カルビと特上ロースを人数分」
「と、特上!!」
「いいんですか?」
「肉なんてのは高い方が美味いんだ」
この作戦は当たった。高い肉がズラーっと並び、「見てるだけでお腹いっぱいになっちゃったよぉ」になってしまい、最初の大皿一皿を一気呵成に焼いて食わせたら全員が早く満腹になってしまった。結果、案外と高くつかなかったのである。
ざぶとんっていう部位の肉を初めて喰いました。これは美味かったね。肩ロースの芯の部分で一頭から約3Kg~4Kgしかとれない貴重な部位だそうです。霜降りの部位ですね。柔らかくて舌上でトロケてしまった。
ザブトン2.jpg
ザブトン1.jpg
ふと見たら、T子が野菜サラダを喰っている。
私は目を疑った。T子は肉しか喰わない。焼肉弁当でもハンバーグでも野菜の付け合せは残す。ニラレバとか、チンジャオロースとか、肉と絡まった僅かの野菜は仕方なく口に入れるが、野菜だけの料理はまず喰わない。
「珍しい・・・」
「ホントどーしたの?サラダなんか食べて」(Sさん)
「アタシ、野菜食べるようになったんだよ」(T子)
T子は20台後半で入社、私が面接、外見だけで判断して採用したのだがその彼女も30台後半に近づいた。肉ばっかり喰ってたら健康診断の数値にヤバいのがあるらしい。
「○○さん(私のこと)は数値、大丈夫なの?」
「中性脂肪が150と300の間を行ったり来たりしてる。今んトコ、薬の必要はないよ。さてはヤバイんだろ?」
「へへへぇ(笑)」(T子)
笑ってごまかすんじゃない。
「野菜もちゃんと食べなきゃダメよ」(Sさん)
「まぁね」(T子)
「ファミレスでも野菜食べるのか?」
「前よりはね」(T子)
「前に店員さんに顔を覚えられたって言ってたよな」
T子は肉しか喰わないのでグループで食事に行かない。誰かと食事に行くと自分の食べたいものが制約されかねないからである。自分は自分が好きなものを食べる、他人に合せるのが嫌、そういうワガママなポリシーを維持した女性なの。だからいつも昼はひとり。
ひとりファミレスでバーグばかり喰っていたら店員さんに顔を覚えられ、珍しくパスタなんぞを喰って残したら、「お口に合わなかったでしょうか?」店員がアタマを下げたそうです。
「よくそんな話を覚えてますね。店員さんがトンで来たのは大分前だよ。この間、Uちゃんとそのファミレス行ったら、あら今日は珍しくお二人さまですね、ではテーブル席でごゆっくりどーぞって言われてさ。Uちゃんに、いつもカウンターでひとりで食べてるんですか?って聞かれて説明するハメになったよ。だから誰かと食事に行くのってめんどくさいんだよ」
ブツクサ言い出した。
誰かと食事に行くのがめんどくさいって?
って言いながら俺らに混じって焼肉を喰らっているじゃぁないかい。
処理済~お肉を前にご満悦.jpg処理済~野菜サラダを喰う.jpg
「雪子さん元気なの?」
上州にも出張した雪子はこのグループ、現場の出身で、今は本社中枢にいるが重圧に潰れかかっている。
雪子が抜けてT君(肉子)はひとり取り残されたが、後から入って来た自信満々で生意気な後輩の鼻をへし折ってしまった。今は自分の配下にしている。
その鼻をへし折られた新人の他にも、T子より若い世代が続々入って来ているが、
「仕事を長く続ける秘訣がわかったよ」(T子)
「それは何?」(Sさん)
「イマドキの若い子と会話しないことだよ」(T子)
「・・・」
若い子はT子のことをどう思っているのだろう。T子(肉子)はあと2~3年で四十路になる。でも小柄で小顔な美人なので20台後半か30台前半にしかみえない。美人なんです。肉ばっかり喰ってるからだろうか。
今は小さいお局様の座に君臨している。

会がお開きになって数日後にT子からメールが来た。「この間はごちそう様」の挨拶もそこそこに、
「ネクタイ忘れたでしょっ?」
「ネクタイぃ???」
言われて気づいた。もっともお気に入りのガラのネクタイがない。先日も社長に「まだクールビズになってないんだからネクタイしてくださいっ」と注意を受けたばかりである。
「そういえばなかったな。そっちに忘れてったか?」
「気づかないの?何でここでわ・ざ・わ・ざ・外したのさ?」
「ネクタイに焼肉のタレやニオイが付くのがイヤだったんだろうな」
[わーい(嬉しい顔)]そ、そーなんだ。でも無くて困らないの?」
「それだけしてるわけじゃない。ネクタイなんて50本くらいあるから」
これは事実です。殆ど全部ジャン妻の親父さんに貰ったもの。
「よく俺のだってわかったな」
「控室に置いてあったからさ。このガラ悪いネクタイ誰んだろう?って騒ぎになったんだよっ。ウチの店にこんなガラのネクタイする人いないし、これって絶対〇〇さん(私のこと)のだよってなったんだモン。こういうガラが趣味なの?」
「ガラなんか何だっていいじゃねぇかよ。でもネクタイなんか幾つ持ってたって、結局は自分の好きなの数本しかしないんだよな。しないネクタイの方が多いしさ」
「レターパックで送るよ」
「うん」
ネクタイ.jpg
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Grand Cave [BAR]

グランカーヴ1.jpg
前に部下の女性と行った時は改装中だった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-10-23
今夜は営っているぞ。
でもオカシイ。何かヘンだ。「サンク・サンス」という店だったが前の店名「グラン・カーヴ」に戻っていたのである。
入ってみたらマスターが代わっていた。男性2人で営っていた。
グランカーヴ2.jpg
前にいたマスターはシンちゃん(仮称)といって、私も面識のあるゲストのご子息です。Kitara横浜元町情報誌、元町男子に会いたいイケメンを探せ、朝までイケメンに載っています。
http://www.motomachi-kitara.net/img/kbn09.pdf#search='%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%94%BA+%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9'
グラン・カーヴからサンクサンスに店名を変えた時、シンちゃんは意味を説明してくれた。
「シンクタンクって何よ?」
「サンクサンス(Sinq Sens)です。五感を意味るるんです」
「五感?」
五感ってのは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。
「ウチのBARでは体の五感全て満足して欲しい。例えばウチの椅子なんか座り心地はどうですか?カウンターも肘ついても痛くないでしょう・・・」
「第六感も?」
「六感ですか?」
第六感ってのはインスピレーションのことで、直感とか霊感とか、野生の勘のようなものだろうか。その先の会話は忘れたが、シンちゃんは考え方が船山館主Tさんに何処か似ていた。BAR店内の空間、旅館内の空間、接客、ともに満足度の理想が共通していたように思う。
あの頃のまま.jpg
カウンターを見る.jpg
店内は往時のまま。カーヴ描いたカウンターも、薄暗い照明も。
前に改装話が出た時、こんな会話を交わしました。
「カーヴしたカウンターって高いでしょ?」
「高いです。このカウンターは残そうと思ってますが・・・」

お店の人に、「前のマスターは何処へ行ったんです?」と聞いてみたんだが消息はわからなかった。
復活と謳ってるが.jpg
この時(昨年11月)新・グランカーヴはどうも準備不足のまま慌ただしく開業したようで、お酒以外にあるものは限られていた。
軽く、あるものをいただいた。
グラス.jpg
チーズ.jpg
まぁ悪くはないがやはり比べてしまうね。
焼酎が並んでるぞ。
焼酎BAR.jpg
店内3.jpg
上州に行ってた1年で得たものは大きかったが、その間、消えてしまったものも少なくない。
最後に交わした会話は、「次回、いつか社の女性連れて来るかも。そん時は船山とかジャンキーとか、Blogのことはナイショだよ」
「ワカリマシタ」
で終わっている。
そして店内はあの頃のまま。もちろん悪くない店ですよ。でも私の知る店とは別の店になってしまった。

「何か物足りない。。。」(ジャン妻)
「う~ん・・・」
ジャン妻がこういうことを言うのは珍しい。
「締めに何か喰うか」
「吉野家」
「えっ??」
飲んだ後のラーメンと同じで、私がそういうことをすると制止するクセに今夜はどうしたんだ?
何故か吉野家へ.jpg
処理済~牛丼を喰うジャン妻.jpg居酒屋~BAR、そして吉牛というこのセンスの無さ。
しっかりビールも飲んでるし。
散財しましたね。







シンちゃん何処にいるんだろう?まさかサラリーマンに転職ってことはないだろうな。そういう世界でも大丈夫とは思うが。
何かしっくりしない夜だった。まぁそういう時もあるさ。
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銀座で淡路島を喰らう [居酒屋]

今日の記事は昨年晩秋のものです。
銀座のコリドー通り、ニッタビルの中にある居酒屋へ行った。徒歩で探して歩き廻ったのですが、銀座は不慣れでなかなか見つからなかった。
銀座のビルの中.jpg
幾つか店があって.jpg
ディスプレイ.jpg
インパクトのある店名だがちょっと躊躇した。
う~ん、ビルの中の居酒屋か、銀座という立地からして高そうだな。
当店自慢.jpg
入って着席すると店の女の子が来て懇切丁寧に詳しく詳しくTALKしてくれます。
刺し盛をススメられ、ざる見せといって産地直送の鮮魚をざるにいろいろ載せて見せてくれるんです。その中から好きなものをチョイスし、お造り、塩焼、煮魚、揚げ物など好きな食べ方に調理してくれるというもの。
魚を丸ごと食べつくすのはわかります。釣り人感覚というかそれが供養というもの。だけどやや押しつけがましく感じたのと、その魚だけ一種類だけになってしまいそうに思ったので止~めた。
でも店員さんはマニュアル通り次のお客にも同じセリフを延々と喋ってましたね。ざるの鮮魚は数に限りがあるようで、こういうのがお好きな方は早いもの勝ち。

アラカルトにしてみた。
この店の名物、玉ねぎの溶岩焼き。
丸ごと焼くんです。オモシロいけど喰い難い。甘くていい玉ねぎです。
玉ネギの溶岩焼き.jpg
箱盛りです。
いいネタなんだけど、盛った箱に対してボリュームがイマイチですね。マグロ以外はフツーというか、何処の居酒屋にもありそうなありきたりなネタでしたよ。
店名からして蛸に期待したのだが生蛸ではなく茹で蛸だった。
箱盛り.jpg
横から見てみる.jpg
タマネギのフライ。
タマネギのフライ.jpg
淡路牛の溶岩焼きに期待したんだが、肉が薄いなぁ。
淡路牛.jpg
焼き始める.jpg
自分で焼くのが面倒になってきたぞ。
焼肉屋じゃあるまいし、カウンターで客に焼かせると店側が楽をしてるように思えるぞ。
焼けてきた.jpg
処理済~ボーッと立っている.jpgこの写真、カウンターのアンちゃんは肩肘を腰に当てて隅でボーッと突っ立っているだけ。こっちと目線を合せないんです。
フロアの女性はニコニコ元気がいいです。でも一部の男性スタッフはリーダーに督促されたり確認を指示されたりしてるところを見るとミスが少なくないようで。カウンターの客よりも個室で宴会している客優先という感じが拭いきれなかった。
酒は遅いし、後で伝票見たらオーダーしてない酒が入ってるお粗末さい唖然としました。でもジャン妻には言わなかった。
降りてきたところ.jpg
あくまで私個人の感想ですが、こういう大型ビルに入っている店で見た目のインパクトで惹きつける居酒屋は避けた方がいいかなというのを実感させられました。
「ちょっとイマイチだったね・・・」
「お前が行きたいって言ったんだろが」
そうなんです。ジャン妻が何かで調べたの。そっちの評価は高かったんですよ。でも残念ながらウチらには合わなかったのです。
この店の名誉の為に言いますが、銀座のこの店は4号店らしく1号店は恵比寿です。淡路島活性化推進委員会というNPO法人の協力を得て営業していると謳っています。
インパクトのある店名は、淡路島の豪富な食材、知られざる美味を喰らって欲しいというもの。明石鯛、明石蛸、溶岩で焼いた淡路玉葱、お米はひのひかり、これまた溶岩で焼いた淡路牛、これらは一応の触れ込みとしては、現地の漁師や農家と提携しているとか。
だけど私らにはフツーの居酒屋にしか見えなかったな。(苦笑)
恵比寿とここ銀座以外には、新宿西口店、新宿歌舞伎町の辺りにもあります。団体客、宴会向きならいいでしょう。

まっ、こういう時もあるさ。物足りないので次の店へ流れました。
「横浜で飲み直そう」
「あの店?営ってるかな?」
実は次の店、営ってるかどうか、マスターがいるかどうか不安がある。
行ってみたら。。。
グランカーヴ1.jpg
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九つ井 [グルメ]

いざ.jpg
九つ井本店の離れへ向かうところです。
九つ井だから離れも九つあるかというとそうではなく、私の記憶違いでなければ離れは確か8つだったと思います。幾つか折れながら軽い山道を登っていきます。足場は固まっています。
橋を渡る.jpg
水車を見下ろす.jpg
登る1.jpg
母屋が見える.jpg
私は最後部から付いていく。
風雨がやや強いが、生い茂ってる笹が横殴りの風雨を防いでくれる。歩きながら思ったのは、草むしりや植木の維持管理が大変だろうな、母屋と離れのある山全体の固定資産税が高いだろうなということ。
坂なので、足腰の弱いお年寄りにはキツい箇所もあるかな。ジャン母はゆっくりゆっくり上っていく。
はて?.jpg
途中に中継所みたいなのがあった。
麓からインクラインで引き上げ、ここで整理されて各庵へ運ばれるんです。
厨房と客席が一体になっているホールだったら動線が楽だが、しかも離れといっても平地の離れではなく山上に点在している。天気が良ければスタッフは楽だがこんな悪天候の日は大変だろうな。自分は濡れても料理を濡らすわけにいかないからね。
ってことは、悪天候の方がスタッフは大変だから、スタッフが苦労する分、利用客側にとってはお得なんじゃないかとしょーもないことを考え考え登った。
山中腹の門.jpg
登る2.jpg
そういえばここへ来る途中、橋で道路を跨いでいましたね。
地図でも母屋から道を渡る橋が載っている。跨いでるのは公道だろうか私道だろうか。公道を跨ぐんだったら何か特別な許可を得てるのかもしれない。
離れに向かう橋が.jpg
公道を見下ろす.jpg

まだ歩く.jpg
着いた.jpg
坂の途中にWCがあった。
前回、利用した離れの時はWCが外だったので、やれやれ、この悪天候の中、外に用を足しにいかにゃならんのかと思ったら、前方を歩く私ら一行の誰かが同じようなことを口走ったらしい。
「すみません遠いところまで。今回ご案内する離れはいちばんてっぺんなんですよ」
山の頂まで案内された離れは弥生という庵です。WC付きです。
「よかった~、おトイレ行くのに途中までまた降りていかなきゃいけないのかと思った」(ジャン母)

囲炉裏があって炭火がくべられている。暖かく、煙くない室内です。
九つ井の離れはコースだけです。今回は14000円の蕎麦懐石。
室内は暖かい.jpg
囲炉裏の間.jpg
お品書き.jpg
前菜、まぁまぁ。
前菜1.jpg前菜2.jpg
造り、少ないけどまぁこんなモンかな。
お椀、う~ん。。。
造り.jpg大根餅白味噌仕立て.jpg
本日の魚料理です。
何て魚だったか忘れましたが、身は焼いて、残った骨、アタマ、シッポ、ヒレは揚げてくれました。パリパリした食感でこれが一番、美味かったね。
焼いて揚げて.jpg
お品書きに載ってなかったけど、アワビの残酷焼きが出ました。
私らは海辺の宿に行かないからこういうのを食べたことがない。(行く宿が限られてますので。)
アワビ残酷焼き.jpg
焼かれたアワビ.jpg
黒毛和牛の焼き物。
美味しかったけど、肉ってのは高けりゃ高いほどいいわけで。牛肉なんか特にそう。美味って思ったのはその瞬間だけで、すぐに感動が消えてしまったよ。酔ってたのもあるし。
お肉.jpg
お肉を焼く.jpg
蕎麦寿司と、最後の方に出た二つの小鉢はイマイチ。
蕎麦寿司.jpg小鉢二種の1.jpg
小鉢二種の2.jpgざるそば.jpg
蕎麦屋で泥酔なんて愚の骨頂と言ったのは誰だったか。九つ井は蕎麦屋と呼ぶにはお高い店だが、締めのざるそばが来る頃には酔ってましたね。
酒は麒麟山4合瓶を3本。係の人に最初に「一升瓶で持って来いよ」って言ったら周囲に「止めなさいよ」と制止された。でも最後に、「だから一升瓶で持って来いって言ったじゃんかよ」って言ってしまった。
昼に日本酒を飲むとどーなるか。夜より酔っぱらいますよ。周囲が明るいだけにキツいね。
きりんざん.jpg
登ったからには下山しなきゃなんない。
「いやぁ昼酒は効くねぇ」(ジャン妻)
大丈夫か。ホロ酔い以上泥酔未満のジャン妻は足元がおぼつかない。ヨロケてるのは酔ったせいか、強い雨風にあおられたせいか。
下山中2.jpg
下山中3.jpg
よろけるジャン妻.jpg
下山中5.jpg
橋を再び渡る.jpg
下山中6.jpg
勘定は幾らだって?
5人で110000円ちょいだった。サービス料15%と消費税込でね。

ジャン妻は帰宅したらバタンキュー。記憶が途切れ途切れだった。
昼酒で記憶がトブほど飲むなよっ。
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九つ井 [グルメ]

九つ井本店は最寄の大船駅から遠く、利用するとなるとコース料理、お酒、離れのサービス料、往復のタクシー料、もろもろ含めてバカ高くなるのでそうそう滅多に行けない。
日頃、平日のランチでも、値段の割にボリュームが少ないと思うの。店の前の県道をくるまで走ったことは何回もあるけど、過去に利用したのは法事か接待で数回。
九つ井本店.jpg
九つ井の由来や、ホンモノの九つ井の存在をレポートしたのでヨロシかったら。。。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-08-28-2

今回は法事、墓参です。
こういう時でないと弟夫婦も含めて一同に会する機会があまりないので久々に予約した。
打ち合わせの段階で幾つか葛藤があり、
「店何処にする?」(私)
「別に九つ井でなくてもいいワ。高いモン」(ジャン妻)
これはジャン兄弟への牽制です。ジャン母の言う「高い」とは炭火焼16500円~コースのこと。神戸牛だか近江牛だかの串焼きステーキが美味しいのだが、口中で咀嚼したその感動は一瞬のウチに消え、高い請求金額を見て「!!!」ってなる。
「アンタたちあの高いお肉の量じゃ足りないでしょ。」(ジャン母)
そりゃ足りないっちゃぁ足りないけどさ。ジャン母が「足りないでしょ」と言うのは、ジャン弟の嫁がジャン弟に、「あの量じゃぁ足りないと思うよ」って言ったんだと。
それと過去に無謀にも追加で注文したことがあったのね。そしたら16000円×人数分プラス追加の肉、サービス料金、税金、酒だって昼酒とはいえ私とジャン妻、ジャン弟と3人飲んだら結構な料金になり、結果、5人で1〇万超になったことがあったのだよ。

他にも候補はあった。
「梅の花は?」
豆腐懐石ですね。この辺りだと立場にある。でもジャン弟が豆腐料理をイヤだと。
「温石は?」
前に利用した。信頼できる店だがジャン母が「前に利用したじゃない」他にしようと。
「きじまは?」
これは私が半分冗談で言ってみたが、ジャン妻が「ヤダ」
私は地元で最も高いお蕎麦屋さんと思っているが、結局、九つ井になった。
外門.jpg
数年ぶりです。
3.11震災直後の休日に法事後の会食で予約していたのですが、震災でキャンセルして以来の訪問です。
笹.jpg
九つ井の由来にはこうある。
東国における有力な戦国大名、小田原の北条氏が相模の国を平定し、武蔵まで進出するようになりますと、鎌倉山に連なる戸塚一帯の山なみは、戦略要地としての重要な拠点となり、戦略要害として玉縄城を築城いたしました。
丁度その頃、この玉縄城に相対して、ここ田谷の山上に平戸御前という豪族が居を構えていたのです。 しかしこのあたりは高台のため飲料水に事欠き、麓一帯に湧き出る泉が館の大切な飲料となり、泉には水番人を置き管理したそうです。
この沢山の泉にちなんでいつからとはなしに、この辺りを九つ井(ここのついど)と呼ぶようになったということです。

九つ井のある町を田谷町というのだが、その名の通り田の谷、多い谷、が変化したものらしい。田の谷だけに湧水が多く、今でも長尾台方面の昔ながらの住宅地には井戸が散見される。なので実際に井戸が九つあったというよりは、谷のあっちこっちから湧き出る水が豊富で多くの井戸があったという語源らしい。
由来.jpg
山上にあったらしい平戸御前館の飲料水だった井戸は現在、田谷町の谷戸、水田の奥の山裾に一つだけ残存している。
ジャン家に40年前に撮影した井戸のモノクロ写真があった。
40年前の九つ井.jpg
これは2011年9月に再訪した時のもの。
この時は井戸の番人だったU家のご子孫、女性に案内していただいた。その女性が言うには、
「ウチの祖先がこの辺りの山を管理していたんです。」
「九つ井さんの最初の経営者の方がウチに来て、お店に名前を下さいって・・・」
名前を貸したとか、売ったとかではなく、あげちゃったんだと。
現在の九つ井です-1.jpg
現在の九つ井です-2.jpg
HPでは、井戸の山上に住んでいた平戸御前を豪族と言っているが、浅野さん(仮名)という地元のもと教師さんが言うには平戸御前は女性で、現在清泉女学院になっている玉縄城の三代目城主、北条一門の綱成という人の夫人のことだという。
北条綱成は純粋な北条一族ではない。駿河国今川家の内紛で国を追われた福島(クシマ)一族の流れです。二代目・氏綱の婿になって一門に取り立てられた。氏綱の娘が嫁いだのです。
綱成は幾つかの小説、ドラマで登場するようになった。三代氏康の義兄弟の位置づけで描かれている。よく知られているのが関東管領軍に包囲された川越城に半年間籠城し川越夜戦まで頑張ったこと。
史料によると、婿になった綱成の嫡男を氏繁といって母は氏綱の娘で大頂院殿という。ということは平戸御前は北条一族の女性で氏綱の娘だったのだろうか。
氏綱の娘・大頂院殿が平戸御前なのかどうかはわからない。

平戸御前=女性なら、御前は綱成が亡くなった天正15年後、玉縄城を出て隠棲し、井戸の残る山上に移ったのではないか。
ただ、この辺りの地理関係は、麓の谷戸にある九つ井~平戸山~長尾台砦~玉縄城と続いていて、この辺りも玉縄城の外郭、防衛ラインだったと思っている。別郭一城というのではないが同じ城域といっていい。
株式会社九つ井はそこまで詳しく触れていないが、平戸御前のいた館は単独の館ではなく、城粋の一隅を与えられていたのだと思います。

当日は雨だった。
春の嵐の中を某お寺に集合して墓参の後、2台のタクシーに分乗して向かった。
母屋に行くと待ち客でいっぱいです。
「この雨風でも混んでるね」
混んでる。でもそれは俺たちも同じだけどね。見たら九つ井本店の客席フロアってそれほど広くないみたいですね。満席です。
こっちは旅館でチェックインを待たされるようなものだが、すぐに係りが出てきた。「離れへご案内します」
では離れへ向かいましょう。
いざ.jpg
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壁紙 [風景]

松井田バイパスから1.jpg
登ったことはないけど。
近くまで行ったこともないけど。
見ると何故か心が安らぐ山でした。
松井田バイパスから2.jpg
次回はいつ見られるかな。
少し拡大.jpg
PC壁紙.jpg
私のPC壁紙です。
これを見ながら無聊をなぐさめています。
私はこの壁紙を見ながら、ある女性スタッフに言われた言葉が支えになっているのですが・・・。
「会社に群馬が好きだって言いなよ。そしたら群馬の担当にして貰えるよ・・・」
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-03-30-3

「アナタは現地のオンナに好きよって言われたらアタシを捨ててそっちへ行くの?」(ジャン妻)
「いや、さような意味では。。。」
「もう振り切りなさいっ」
「そ、そうはいっても・・・」
「未練たらしいんだから」
「・・・」
厳しいですねぇ。(^^;

しばらくコメ返しが遅れますがご容赦。。。

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GO-GOぐんまちゃん [コラム雑記帳]

ぐんまちゃんがいくっ.jpg
群馬のマスコットキャラ、ぐんまちゃんは2代めです。
初代は平成6年に四足キャラ、ゆうまちゃんとして生まれた。県内で幾つかのスポーツ大会、レクリエーション大会、イベント大会でマスコットとして活躍した。
平成20年(2008年)7月、東京都中央区銀座5丁目に群馬県からの情報発信を目的とした「群馬総合情報センター、ぐんまちゃん家」がOPENし全国に打って出る。この時に群馬県外の人々に注目されるようわかりやすく、それまでの「ゆうまちゃん」(友愛と群馬)だったのを現在のデザインに変え、2足歩行の「ぐんまちゃん」に改名した。
(ぐんまちゃん家、最寄駅はメトロ日比谷線・東銀座駅4番出口か、銀座線&丸ノ内線&日比谷線・銀座駅A6番出口です。)
人間と同じ2足歩行にしたのは、どうも「ゆるキャラ」・・・ゆるいマスコットキャラクターの条件として、「着ぐるみ化されている」のが必須だからだと思います。4足歩行だと中に人間が入れないからね。
他にも条件がある。
着ぐるみ、ぬいぐるみ、マンガ等でそのキャラの立ち振る舞いがユニークであること。
愛すべきゆるさ(これは怠惰という意味ではない)を持っていること。
郷土愛(村おこしといった地域振興性も含む)が盛り込まれていること。
企業が営利目的とするもの、例えば製薬会社のキャラクターとか、JRのSUICAペンギンのようなキャラは対象外と思われます。
レントゲン車のぐんまちゃん.jpg
レントゲン車のぐんまちゃん2.jpg
ぐんまちゃんの誕生日は2月22日で年齢は7歳、いつまで経っても7歳です。平成24年12月21日から群馬県宣伝部長に就任したが今後、昇進を重ねても7歳です。
ぐんまちゃんは群馬だから馬、ポニー。基本は、緑色の帽子を被っている男の子です。他に男女あったり年齢も様々でして、リボンをしている女の子や赤ちゃん、おとーさん風とおかーさん風、白いヒゲを生やした高齢者タイプもまれに見られるが、それらは一つひとつに別々の命名はされていない。全てをひっくるめてぐんまちゃんです。
ぐんまちゃんはイロんな服装を着ている。
白衣だったり、和服だったり、作業服だったり。制服だったりする。人間と同じ行動をしています。そういうデザイン使用は申請が必要だが無料でダウンロードすることができます。
群馬県は県全体でぐんまちゃんを官公庁舎、駅構内、公園、観光地や温泉施設、病院、工事現場といった県内あらゆるところにポスター、幟、看板、パンフ等、ありとあらゆるものを貼って置いて県内に大アピールした。
「何処に行っても必ずあるもんね」
ジャン妻は感心してました。

これは県庁他、行政所に鎮座しているもの。
安中市役所のぐんまちゃん.jpg県庁のぐんまちゃん1.jpg
県庁のぐんまちゃん2.jpg県庁のぐんまちゃん3.jpg

これは駅構内です。
高崎駅のぐんまちゃん2.jpg高崎駅案内所のぐんまちゃん.jpg
高崎駅のぐんまちゃん3.jpgゆる~り旅しようぐんまちゃん.jpg
SUICAペンギンとぐんまちゃん.jpg何処かの駅のぐんまちゃん.jpg
高崎駅ホームのぐんまちゃん.jpg
高崎駅垂れ幕のぐんまちゃん.jpg
県庁や高崎駅にはぐんまちゃんと受付の女性がいます。
「撮っていいかな?」
「どうぞ~」
と言いながら、正面へ向けてくれたり、周囲を軽く片付けてくれました。

高崎駅改札から出たモールには、ぐんまちゃんショップもオープンしています。
ぐんまちゃんSHOP1.jpg

県内何処でも何かしらの掲示物や啓示文句には必ずひとつか二つ、ぐんまちゃんを使用している。
ぐんまちゃんが活躍するのは地域の観光名産アピールとかもそうだが、人間に対する啓示、注意、換気を促すものも多いので、ぐんまちゃんはポニーでありながら人間界と同じ格好、服装、行動をとるわけですよ。
「ようこそ群馬県へ」以外にも、交通安全、インフルエンザ予防、手洗いとうがいとマスク推奨、危険地域に近づかないで、消費者金融センター相談、これこれこういう工事を行っています、といった類のぐんまちゃんがたくさんあります。
お医者さんのぐんまちゃん.jpgぐんまちゃんとおくすり.jpg
マスクをしようぐんまちゃん.jpg予防対策ぐんまちゃん.jpg
手洗いぐんまちゃん.jpgAEDぐんまちゃん.jpg
子ども救急相談ぐんまちゃん.jpgぐんまちゃん手帳.jpg
川に近づかないでぐんまちゃん.jpg
年齢が永遠に7歳なので、さすがに酒気を帯びたぐんまちゃん、喫煙しているぐんまちゃんは見たことないな。
くるまのハンドルを握ったり、作業車を駆使するぐんまちゃんはいるようですけどね。
土木事務所のぐんまちゃん.jpg
土木事務所のぐんまちゃん.jpg
ググッとぐんまちゃん.jpgスタンプラリーぐんまちゃん.jpg
シニアパスポートぐんまちゃん.jpg女の子のぐんまちゃん.jpg
ぐんまちゃん一家.jpgパスポート申請をよびかけるぐんまちゃん.jpg
磯部駅のぐんまちゃん.jpg温泉に入ってるぐんまちゃん.jpg
交通対策協議会のぐんまちゃん.jpg
ぐんま県民マラソンぐんまちゃん.jpg
近年いわゆる、ゆるキャラ、ゆるいマスコットキャラクターを最初に有名にしたのは滋賀県彦根市の「ひこにゃん」か、熊本県の「くまもん」かと思われます。
全国各地のゆるキャラのアピールは人気投票という形で加速、加熱します。埼玉県羽生市で開催された「ゆるキャラグランプリ」で、ぐんまちゃんは2011年に18位だった。
翌2012年、群馬県は県の公式HPで投票を呼びかけた。
清き1票を呼びかけるぐんまちゃん.jpg
そしたら3位に入賞した。
翌2013年も引き続き3位入賞です。
ゆるキャラ3位.jpg
2013年の上位は、
さの丸(栃木県)1204255票
出世大名家康くん(静岡県)1,148,585票
ぐんまちゃん(群馬県)752,789票
ふっかちゃん(埼玉県)425,694票
ぐんまちゃん3位.jpg
キャラクターを票の数で競うのはそれだけだとちょっとクビを傾げないでもないが、他県の人達の目を群馬県に向けたのは間違いないでしょう。

県で制作した、ぐんまちゃんダンスというのがあります。
ぐんまちゃんダンス.jpg
(GO-GO-ぐんまちゃ~ん)
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマCHANCE!
(みんなのぐんまちゃん)

みんなのぐんま みんなの地球 地球がくれた湯のめぐみ
わくわくあふれるほっこり笑顔、ゆるゆる可愛いぐんまちゃん
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマCHANCE!
(みんなのぐんまちゃん)

みんなのぐんま、ぐんまのみんな、人情に厚い打ち解けやすい
涙の時は一緒に涙、うるうる優しいぐんまちゃん
何処までも広い空の下から日本のまんなかで出会えた喜び繋がり、いつまでも大事にしたい
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマ
DANCE DANCE DANCE ミンナノグンマCHANCE!

みんなのぐんま、季節は巡る、みんなのぐんま、自然は歌う
振る舞う形、振る舞う心、くるくる踊るんぐんまちゃん
光と風のきらめきに 水のささやきに
生きてる幸せときめき 手を広げ分かち合いたい
みんな みんな 一つのハート ハートとハートは繋がっている
みんなとぐんま (ネッぐんまちゃん) いまこの時に結ばれている
可愛い優しい (ネッぐんまちゃん) 一緒に踊ろう (ありがとう~)
http://www.youtube.com/watch?v=Oi-JQaRp0Ls

職場でぐんまちゃんを鼻歌で歌ってたら、「そんな歌があるんですか?」
「あるよ。振付もあるんだから」
「〇〇さん(私のこと)踊るんですか?」
「踊れないけど歌えるよ」
「すっかり群馬の人じゃないですか・・・」
「・・・」

処理済~ボードのぐんまちゃん.jpgこれは私の行き先ボードに貼りっ放しのぐんまちゃん。
「ちゃんと行き先を書きなさい」(ジャン妻)
「ぐんまちゃんでわかるじゃないか」
「だめっ!!」
この記事以来半年近く貼りっ放しになっています。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-10-25
高崎駅ホームのぐんまちゃん.jpg
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上信電鉄 [鉄路と風景]

これは昭和60年に刊行された故・宮脇俊三の監修による写真集です。
終着駅2.jpg
終着駅の下仁田駅が取り上げられている。地味なカラー写真です。
この写真集とは別に新潮文庫から「終着駅に行ってきます」が刊行されていて、それはこの写真集の紀行本です。
現在、この写真集の終着駅は、そこに至る鉄路とともに廃止になった路線が多いが、旧国鉄→JRに移管されて何とか存続している路線や、第3セク化して存続している路線もある。
この写真集で初めて上信電鉄を知ったのです。
終着駅3.jpg
これは昨年撮影した下仁田駅。
何だか明るくなった。
下仁田駅構内3.jpg
下仁田駅構内1.jpg
下仁田駅構内2.jpg
冒頭の写真集が発刊された昭和60年というと私は20台前半だった。この時は、上信電鉄?自分には縁がないだろうなと思ってたのだが、まさかまさか50歳前になってこの鉄道に触れることになるとは。。。
銀河鉄道999号1.jpg
南高崎の踏切.jpg
富岡駅近く?.jpg
上信電鉄、いい名前です。
その名の通り、上州の高崎と信州の佐久方面、小海線の羽黒下駅(南佐久郡佐久穂町)までを結ぶ予定だった。
だが結ぶには至らなかった。マニアの中ではこういうタイプの鉄道を婚約不履行型と呼んでいる。前述の宮脇氏かマニアが名付けた造語ですね。始点と終点の地名から一文字づつ採って名付けたが、実際は結ばれていないタイプです。

上信電鉄の前身は上野鉄道という。
明治28年(1895年)12月に敷設免許が交付されている。明治30年(1897年)5月に高崎から現在の上州福島が暫定開業して9月に下仁田まで全通した。
軌間は762mmの軽便、動力はSLだった。以下のモノクローム写真は、市内の銀行待合にあった地元の写真集からです。
当時の機関車.jpg
鏑川か烏川鉄橋架替工事.jpg
鏑川鉄橋電化工事.jpg
大正13年(1924年)中に軌間が現在の1067mmに改軌、電化されている。
その痕跡が千平駅から終点の下仁田駅に向かう途中の鬼ヶ沢橋梁跡として残っている。
鬼ヶ沢橋梁.jpg
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-12-14
下仁田から先は現在の南牧小学校のある辺り、磐戸まで工事免許を持ってたらしいが昭和12年(1937年)に失効している。信州佐久群までは免許申請にも至らなかったようです。
佐久の羽黒下駅までの未成線、計画線路線はちょっとよくわからない。地形図をトレースしてもわからない。仮に実現したとしても下仁田から先が山に次ぐ山々だから相当な難工事になっただろう。
デイリーフーズ号.jpg
こんにゃく博物館号.jpg
昔からある地方鉄道だが、乗客のピークだった昭和41年(1966年)から減少傾向に入る。
沿線住民はくるま社会に移行していく。並行する道路(254)の整備も進んでいく。そしたら昭和59年(1984年)12月21日、千平~下仁田間の赤津信号所で下り電車の運転士が居眠りして上り電車と正面衝突事故を起こし、上り電車の運転士が死亡、125人が重軽傷を負った。
おそらくこれが低迷に拍車をかけたのではないだろうか。翌年昭和60年(1985年)4月に急行電車が中止になる。

上信電鉄に急行が走っていたって?
今になっては急行が走っていたなんてちょっと信じられないくらいなノンビリしたローカルムードだが、当時の急行の停車駅は、高崎~吉井~上州富岡~下仁田の4駅。僅か1往復だったそうです。
快速もあった。高崎~山名~馬庭~吉井~上州福島~上州富岡、上州一ノ宮~何蛇井~下仁田に停車した。
準急もあった。高崎~山名~吉井~上州富岡から下仁田の各駅に停車した。
前述の事故の影響か、快速は準急になる。高崎~山名~馬庭~吉井~上州福島から下仁田の各駅に改編された。
薄暮の高崎駅1.jpg
薄暮の高崎駅2.jpg
上州新屋駅1.jpg
吉井駅.jpg
平成4年7月15日に正式に急行が廃止。平成6年10月に貨物営業が廃止。平成8年には準急も廃止になってALL鈍行、普通電車になりワンマン運転が始まった。
苦しい時代に突入する。追い打ちをかけるように平成10年10月の南蛇井~下仁田間の落石や、平成13年(2001年)9月の台風で上州福島~東富岡間の鏑川鉄橋橋脚の破損による全線不通、平成19年9月の台風9号により道床流出のアクシデントが起きている。
でも発生後2ヶ月か3か月で完全復旧を果たした。決して首都圏の路線ほど復旧は早くはないが、よくある赤字ローカル路線で台風や土砂災害で復旧せずに、これ幸いのようにそのまま廃止申請を出すケースがよくある。いつからだったか、廃止が届出制になり、地方の赤字線の廃止に拍車をかけた。
でも上信電鉄は懸命に復旧しよう走らせようという姿勢は維持してきた。沿線住民の嘆願を容れ、東富岡駅を新規開業したり(平成2年4月)、最も乗降者の多い高崎商科大学前駅を新設したり、近年には上佐野町に新駅の構想がある。おそらく現在の佐野信号所の辺りかと思われます。
カラフル車輛に塗り替え、群馬サファリパーク、こんにゃく博物館、世界遺産登録申請中の富岡製糸場といった沿線の見所をアピール。昨年度は新車も発注した。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-12-14
上信電鉄1.jpg
ローカル.jpg
サファリパーク号1.jpgサファリパーク号2.jpg
サファリパーク号3.jpgサファリパーク号4.jpg
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サファリパーク号6.jpg
サファリパーク号7.jpg
富岡の洋食屋新洋亭のママの発案による絵葉書(絵手紙)電車を走らせたり、それなりに努力はしているんですが、なかなか爆発的人気にまでは及ばないようです。製糸場が世界遺産になったら上向くだろうか。
絵手紙列車1.jpg絵手紙列車2.jpg
これはジャンの資料棚にある「ローカル線で行く秘湯」という冊子からなんですが、ゴテゴテにペイントしてる現在よりひと時代前の車両が鬼ヶ沢辺りを走っています。
写真の右後方に古びたガーダー橋が写っています。これが呟きⅠで最後にUpした上野鉄道時代の鬼ヶ沢橋梁跡なんですが、手前の本線を走っているのは3輛編成ですね。
三輌編成?.jpg
現在はすべて2輛編成です。

先日の大雪の時はさすがに運休になった。
公用があったので、根小屋駅辺りに住む従業員に訊いたの。「動いてるか?」って。
「間引き運転かもしれません」
「間引き運転?」
私は声が裏返った。
「ただでさえ1時間に1本しかないのにそれをこれ以上どう間引きするんだ?」
「朝夕は学生が使うんですよ。そこは運行するんです」とのことであった。
朝夕のラッシュ時には1時間に2~3本、昼夜遅くを除いた時間帯には1時間に2本の列車が運行している。
高崎~下仁田間の通し運転以外に、高崎~上州冨岡の区間列車が平日3往復、休日1往復ある。
前にいつだったか、深夜に下仁田方面への臨時夜行がありましたね。
深夜臨時電車.jpg
私は2年間で数回しか乗車しなかった。もっぱら眺めただけ。
あまり利用しなかったのは運賃が高いんだよな。誰かが「上信電鉄は世界一運賃が高い」って言ってた。
(どういうキロ数に対しての運賃だろうか?実際は上には上があるらしい・・・)
・・・高崎から南高崎までが170円、根小屋までが200円、高崎商科大学前までは240円、この辺りまでは相手が通学生なので手軽に見えるが、高崎~上州富岡までが770円もする。首都圏の東京~大船間より10円低いだけ。終点の下仁田まで1080円もするのだ。(この文章は4月の改定前の原稿です)
改札では「高ぇな」と思う。でも乗車するとローカルムード満点なので気が抜けてしまい、いい旅夢気分か、ぶらり途中下車の旅モードになってしまう。
お料理は人数分の店から撮影.jpg
田舎のローカル線なので、乗客は高崎商科大学生、近隣の高校生、高崎まで出た買い物客、地元のお年寄り、定年過ぎて散策中の初老のご夫婦といった田舎のローカル線にありがちな光景。
学生さんがフン反りかえってたりするけど、サッと席を空けたり、飲んでたペットボトルなんかは潰して持って帰ってますね。
ワンマン運行なので、無人駅では運転手自ら運賃を徴収しています。なので降りる時は前方車両まで歩いて行かなきゃならない。
降りる乗客が多かったりすると発車時間を余裕で過ぎてしまったりするが、そこは田舎のローカル線だからのんびりしたもんです。
運賃箱.jpg
ガラガラの車内1.jpg
さっきから田舎田舎、ローカルローカル言ってますが別にバカにしちゃいないのよ。素朴でいい電車です。いいんだけどこの電車、あまり車中で眠れない。揺れるからです。
世界一揺れる電車だってこれまた何かに載ってた。レールが細いからか車体の特製か、カーブにさしかかると左右に振られます。高崎を出て最初の鉄橋、烏川鉄橋に差し掛かる前と後で突然左右にブンと振られ、山名から西山名感の緩く大きいカーブでも振られる。
吉井から南蛇井までは国道254号と並行して走っているが、南蛇井を過ぎると国道から離れて終点下仁田までは山間部を走るので左右に振られまくりになる。
直線でも時折振られるような気がする。真っ直ぐ走ってて何で揺れるのかワカラン。江ノ電や東急世田谷線はここまで揺れないだろう。
乗り心地はまぁ・・・よいとはいえないです。揺れるから眠れない。でも寝てる人もいて、爆睡してるツワモノもいます。こんなに揺れるしガタンゴトンうるさいのによく寝れるなと思う。

多くは無人駅だが、日中だけ駅員や女性の係員がいたりする。地元ボランティアに委託してるようです。
上州一ノ宮駅.jpg
上州一ノ宮駅構内1.jpg
上州一ノ宮駅での待合風景です。
学生さんの通学定期を母親が支払ってるんだが、何しろ運賃が高いだけに半年定期だとバカ高い金額で、この駅にしては結構な金額の札束が動いていた。時間がかかってましたね。
上州一ノ宮駅構内2.jpg上州一ノ宮駅待合1.jpg
上州一ノ宮駅待合2.jpg処理済~上州一ノ宮駅待合3.jpg
SUICAは使えない。現金です。高崎駅で購入した乗車券は薄い再生紙もどきの乗車券だが、上州一ノ宮駅で購入した乗車券は昔ながらの厚紙切符だった。
昔ながらの切符.jpg
ジオパーク号1.jpg
ジオパーク号2.jpg
電気機関車が2種残っている。
デキ1形です。
マニアの中では上州のシーラカンスと呼ばれる。
デキ.jpg
大正13年(1924年)に電化されたタイミングでドイツのシーメンスシュケルト社(舌を噛みそうだな)から購入した小型の凸型機です。上信電鉄には3両あった。デキ1、デキ2、デキ3が貨物列車牽引に使用されていた。
何を運んでいたのか。
製糸場の燃料であった石炭、薪炭、木材、製糸場の繭、地元産こんにゃくです。
あまり知られてないが、上州各所には良質の亜炭埋蔵地域があって、観音山丘陵には高崎炭田があった。私が訪城を果たせなかった難城中の難城、乗附城の近隣にも炭鉱跡があったという。
産出した亜炭は各地の製糸所で使用され、上信電鉄の場合は山名駅で積まれ、富岡製糸場に運ばれた。
だが第二次大戦後は石油や天然ガス普及に押され、平成6年(1994年)に貨物営業が廃止される。デキ2は富岡市の公園に静態保存されたが、デキ1とデキ2はまだ車籍が残っていて、線路工事用の作業列車や臨時のイベント列車などに使用される。
デキ・イベント.jpg
ED316形です。現役かどうかはわからないです。
これは留置されていたのをたまたま撮影したんだが、確か上州に初めて降り立った平成24年3月某日でしたよ。某不動産屋さんと住まいを探してた時、この駅構内に面したマンションも候補だったのです。
ED316写真を撮影してる私から離れた場所にはジャン妻と不動産屋の営業さんを待たせていて、私はちょっと待っててくれ、撮影してくるからとも何も言わずにスタスタ線路まで歩いて撮影してたら・・・
「何やってんの。早く戻ってきなさいよ」
不承不承戻る途中、ジャン妻は営業マンに、「すみませんねぇああいうの好きなんですよ」とか言い訳してましたね。
この駅構内に面したマンションは外したんだが、もし借りてたらあれだけ沢山の酒場とはご縁がなかったかも知れない。
ED316.jpg
貨物の廃車体.jpg
これは何処の駅だったか。吉井駅だったかなぁ。車両記号は「テ」、鉄製有蓋車といって車体全体が鉄なんです。木材は一切使用していない。
主に生石灰(酸化カルシウム)を運ぶのに用いられる。全体が鉄なのは、生石灰は水分を含むと発火する危険性があるからで、雨にぬれないように有蓋構造にして車体全体を鉄製にして万が一に発火した際の被害を抑えることができる。
現在は上信電鉄に1両が残るのみだが、営業用としては使われていない。
住んでた頃、貨車の廃車が吉井インター近くの民有地に置いてあったのを見たが、先日そこを走ったらコンビニになってた。

西へ向かうほど人影がさびれて来る。近隣の住民は殆どくるまなのです。
神農原駅です。先日も載せました。
上り電車が来た.jpg
神農原駅は3回来たことがある。
1回は公用で、2回めはチエお嬢様のご先祖が戦った宮崎城を訪問した時。
2回めん時は往路の車両&運転手さんと、帰路の車両&運転手さんが同じだったの。向こうも一瞬、ギョッとしてましたね。乗客のカオを覚えられるんだからね。

これは千平駅といって、終点下仁田駅のひとつ手前の駅。1日の平均乗降客数が10人だか11人だかの駅です。
鬼ヶ沢橋梁散策の帰途に立ち寄ったもの。
千平駅1.jpg千平駅2.jpg
駅にネコがいました。それとご老人、爺さんが駅構内に座り込んでた。
電車待ちでもなく、徘徊老人という風でもなかった。自分のテリトリーで座ってただけみたいだった。こっちは、アンタ何してんの?と思ったし、向こうは向こうで、おヌシは何しに来たんじゃい?とでも言いたげな表情でしたね。

夜の吉井駅です。
よしい[グッド(上向き矢印)]ではなく、よしいぃ[バッド(下向き矢印)]です。いぃはイントネーションがやや下がるんです。良い飯→良いいい→よしいぃに変化したの。
どうですかこのムード?
上信電鉄で.jpg
ローカルムード満点1.jpg
ローカルムード満点2.jpg
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ローカルムード満点10.jpg
言葉は要らないでしょう。
拙い写真ですが上州のローカル線ムードを堪能できましたでしょうか。
この記事、写真を見て旅に出たくなった方がいたら嬉しいですな。その際は地方の片隅で懸命に頑張っている鉄路も見てあげてください。
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Last Wanderer [居酒屋]

七.jpg
最初の膳.jpg胡麻豆腐.jpg
またこんなお通しを出してからに。
生ビールに合うわけないでしょうよ。もうちょうっと考えて欲しいよなぁ。(苦笑)
お品書き.jpg
「お疲れのようですね?」
「うん、ちょっとね」
疲れています私。今日は定期出張ラスト日で従業員といろいろあったのですよ。殆どがくだらないネタ、揉め事なんですが、「もう俺は担当から外れるんだからいつまでもそんな子供みたこと言ってるんじゃないっ」って言いたくなりました。
「もう俺は外れるんだからなんて言っちゃダメよっ」(ジャン妻)
「何でダメなんだ?」
「つれなく思われる。裏で受ければいいの」
そう言われても。私はどう振る舞えばいいのかわからない。

今日のNANAは2階で宴会客が入っているようで嬌声がする。
2階から時折、呼び出しの鈴音がする。
「商売繁盛で何より・・・」
「この時期は歓送迎会の時期ですから、稼がないと・・・(笑)」
「そうか。歓送迎会の時期だもんな。」
珍しく女性のアシストさんがいる。いるけどあまりフォローになってないな。慣れてないのかも。

おや?時折、赤子の声がするぞ?
マスターの子供か?といいかけたが、こんなバカなジョークを言ったら疲れた自分が余計に疲れそうだから言わなかった。
キンメと真鯛.jpg
「ワサビが足りなくなったんだけど・・・」
「あっ、すぐ摺ります摺ります」
「チューブでもいいよ」
「いえいえそんな。大丈夫ですすぐ摺りますから」
追加のワサビも全部使ってしまった。あまり効かないなぁ。
金目鯛が脂が乗ってるから、キンメに浸けたワサビの量をそのまま真鯛に浸けたら刺激するかもと思ったのだがそうでもない。単に効いてないだけです。
醤油も足りなかった。ベチャベチャ浸けませんよ私。最初に渡された時点で少なかったの。
ワサビ追加.jpg醤油も山葵も足りん.jpg東一純米薄にごり.jpg
ヒレカツはヒレカツだけどそれ以上でもそれ以下でもないなぁ。
トンカツ屋さんと比べちゃいけないかもな。
ヒレカツ.jpg
2階から赤子の声が聞こえる。2階のお客さんには悪いが、酒場で赤子の声がするってのは興を削ぐんだよなぁ。

東一純米薄にごりを頂いたが結構効きました。疲れもあって1本飲んでホロ酔いになってしまった。
改めて私の名刺を渡し、これまでのご縁にお礼を行って出ました。
「じゃぁまた・・・」
サッパリして気を遣わなくていい店だった。

しばし外で一服して酔いを覚ましまし、NANAからほど近い○潮へ。
青い灯.jpg
おすすめ1.jpg
このおすすめメニューはおっちょこちょいAさんの筆跡だが、何かヘンだぞ。
「裏もご覧ください」とあるからこれが表なのか?でも表に書かれているのは冷や奴、塩辛、くらげ酢、山芋磯辺揚げ、湯豆腐、トマトアボガドサラダ、豚角煮、鮭ハラス煮、あら煮、ふきみそ、牛しぐれ煮、ホヤ塩辛、長芋焼、厚焼玉子、ぎんなん、サバフグ唐揚げ、鯛かぶと焼、カキフライ、エビフライ、エビ天ぷら、生カキ、焼カキ。。。
カキ以外は脇役の肴ばかりだな。刺身とかこの店の主役が書かれてないじゃんか。でも裏を見たら刺身や魚がズラリ。。。
おすすめ2.jpg
刺身盛り合わせ、イカ刺、マグロ赤身、ハマグリ焼、旬の筍焼、ネギとろ、中とろ、〆サバ、大好きなキンメ刺、マス焼、青柳、タコ刺、平目刺、煮こごり、天豆、ソイ刺、カレイ刺、サザエ、はまぐり酒むし、うに、穴子白焼、穴子柳川、穴子天ぷら、ホタテ刺身、ホタテ焼、ホタテ天ぷら、ホタテフライ、ホタテ塩麹焼。。。
こっちが表じゃないの???
ガラガラ.jpg
熱燗でいきます.jpg
西京焼.jpg
牛しぐれ煮.jpg
処理済~親分.jpg親分が4月~の増税でボヤくには。。。
「4月から値上げ?」
「いやぁそれも考えてざるを得ないかなと。サラリーマンは賃上げUpって言ってますけどウチは関係ないですからね。結局仕入れでも何でも3%分が乗っかってきますから・・・」
「今回の増税は政府が儲かるだけですからね」
「そうなんですよ。ウチら何にもいいことないですから」



「大雪の時、どーでしたか?」
「お客さんが来るわけないです。仕入れたネタは殆どだめになりました。ウチは築地から宅急便で仕入れてるんですが、トラックが雪で市内に入れないんです。雪のせいで3日間休業で、その間私は〇〇〇〇〇〇〇に罹って休業しました」
「〇〇〇〇〇〇〇に?」
「そうなんです。熱が3〇度出て・・・」
「でも休業したのに何で?感染経路は?」
「わからないです。誰から、どっから貰ったんだろう?」

春は別れの季節でもある。昨年もそうだった。
「転勤されたお客さん、もう来なくなったお客さんより新規のお客さん増えませんから。もう来れなくなるんですか?」
「これまで最低月1回は来てたんですが、もうすぐ自分の役割は終わるんで今後は定期的には来れないかな・・・後はプライベートで来るかな・・・」
「そうしてくださいよ」[わーい(嬉しい顔)]

この店には間に合わなかった。
点いてないぞ.jpg休みだった.jpg
まぁ出会えてもマスターは酔っ払ってるだろうし。

ママ.jpg
うさこのCafeへ向かう途中、細い路地を曲がったらGETU。。。のママがいて、お客を見送るとこだった。
「あら?」
「・・・」
私は黙って右手を軽く挙げた。
(写真はボケボケですが。。。)

おやぁ?
うさこのCafe隣に建ってた古い住居がなくなってサラ地になっているぞ。まさか再開発、移転に向けて動き出すのかな。
近隣がサラ地に.jpg
CAFE.jpg
自転車.jpg
「隣がサラ地になってるけど。いよいよ再開発で移転すんの?」
「いいぇ、まだ決まってませぇん」[わーい(嬉しい顔)]
なぁんだ。
うさこ.jpg
店は若者たちで混んでいるのでオンザドック1杯で出ました。
「せんぇぇん(千円)で・・・」[わーい(嬉しい顔)]
「せ、せんえん?」(苦笑)

豪快だった味一味も元気に営業中。そろそろ看板だろう。
味一味.jpg
いつかまた行けるか.jpg
道端に○ツレの○郎さんがいた。
「おや?」
「ああどうも。あれ?出張か何かで?」
「そうです。定例会議で。自費で泊まってるんですよ」
「そうですか。時々来ておられたんですか?今、どちらかへ行かれてたんですか?」
「○○○Cafe」
「ああ、○○○ちゃんのとこ。前は行ったけど最近は行ってないなぁ」
「体調はどうです?」
「あまり変わらないんですが少し体重が増えました。最近食べるようにしているんですよ」
確かにちょっとふっくらしたような気がする。
「ファンの為にも細く長く営ってください」
「ありがとうございます。お元気で。。。」
ロツレ.jpg
ジャン妻の声が聞こえる。
何を未練たらしく彷徨ってんの?はやくホテルへ戻りなさいよと。
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人生は微睡(まどろみ)の旅
水先案内ないままに
手探りで歩き始める 風の轍が聞こえる

人生は流離いの旅
暗闇の海に船を漕ぐ
身を任せゆらゆらと、星のように流れていく

何処までも渇き癒せぬ彷徨いを続けるのか
追うものはいつも幻・・・求めると消えてゆく、泡のように・・・

星降る夜の街
冬空を仰いで そっと一人溜息つく・・・人生全て旅なのか・・・
(柳ジョージさんの詞です。)
彷徨い2.jpg
ドーミイン.jpg
1年住み、1年定期で出張し、計2年、上州の旅が終わろうとしている。
だが、ホントにこれで終わりなのだろうか。。。
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ご縁がなかった酒場たち [居酒屋]

今日はついぞご縁が無かった店を集めました。
でも最初の写真のこの店は一度、入ってるのを思い出しました。通町にある「やたい屋」といって、もとは屋台発祥だというんです。
粋のいい魚介が中心ですが、下仁田ネギのピザなんてのもありましたね。でも板張り座敷で腰が痛くなっちゃってそれきり行かなくなった。
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入らなかった店1.jpg
入らなかった店2.jpg

この店はかなり気になっていたんだが未訪に終わりました。ショウさんが時々行かれてますね。
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中華キッチンライチは夜に一度入ったのを思い出した。夜に喰うにはちょっと重くて濃い味だった。
祭りの時に屋台を出していて、生ビールを買うと、お店の人とジャンケンで勝ったら小っちゃい唐揚げパックをGETできますよ~の催しをやってた。
「どうですかぁ?」
「いやぁ、俺はジャンケン弱ぇんだよ」
と言いながらジャンケンしたら珍しく勝っちゃったのね。唐揚げをGETして生ビールの肴にしました。
わざと負けてくれたのかも知れないね。

この店は味一味の前にある店なんだけど、店の入り口に写真撮影お断りってなってので入らなかったの。
写真撮影禁止の店.jpg
入らなかった店13.jpg
一度入ったけど・・・2.jpg
団体で利用しました.jpg
入らなかった店14.jpg
入らなかった店15.jpg
これ以外に、成田神社近くの「三月兎」、「ひもの屋」という店が有名ですが、「三月兎」は料理が殆どないらしいので行かなかった。「ひもの屋」は行ったら休業中だったのです。それきりになってしまった。

今日の記事はご縁がなかった店だから文章としては殆ど書きようがないのですが、何か思い出したら追記します。
良さげな酒場、Cafeがたくさんあったんです。若くて独立した店主も多い。それでいて利用客が少ない。もっともっといたかった。。。
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一期一会以上で常連以下だった酒場たち [居酒屋]

私はこの街で、梅ふく、NANA、〇潮、うさぎCafe、GETU。。。、くいもの屋R、6店舗の末端常連客だったと自負しておりますが、今回は一期一会か、常連にはならなかったけどそれなりのものを持っていたなぁと思い出される店を簡単に紹介します。

上州で初めて入った酒場、こむぎ。
短髪で黒服のママが妙にカッコよかった。最初にボトルキープした店です。
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下仁田ネギのパスタとやらを初めて食べました。
刺身が全然なかったので、そうかぁ、ここって海無し県だから刺身ってないんだなぁってそん時は思ってテンション下がっちゃったんです。でもこの店の肉料理が私好みだったので、何とか自分の中でのテンション上をげよう上げようと無理してたんだな。

上州で2番目に入った酒場。WH隣の路地にあります。
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下仁田ネギのサラダなんてのが出ました。
この店には幾つか刺身もあったので、あるじゃんか、って安心したの。
会計伝票を待ってる間、店主が、「もう1杯どーです」と升に入れたお酒をサービスでくれたが、今思えばそのお酒は群馬泉だったような。
店内ガラガラだった。この頃は自分が上州にトバされたという都落ち気分を引きずってたので何だか寂しく思ったもんです。

ゆう.jpg
ヤキソバ.jpg
このドロッドロの焼きそばを出す店は私らが住んでた社宅の近くでした。
店主がラガーマンで声がデカい。お客さんもラガーメン関係が多い。ラガーメンはダダっ広いトラックを走りながら叫ぶ人たちだから店ん中も野太い声が飛び交っていた。3~4人のグループ向きかな。
店主は自分の声がデカいせいでお客さんの注文が聞き取れなかったりして笑えた。

市内でも有名な店です。
店の外観は何だこりゃ??だが、入ってみるとコの字のカウンターを囲む下町スタイル。
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おでん.jpg
ホッコリしたママでした。
おでんの味はちょっと塩気が強めで、薄味おでんの〇ふくを知ってから行かなくなってしまったけどいい雰囲気の店でしたよ。おでん汁に浸した焼きおにぎり茶漬けなんかサイコーでしたね。
この安兵衛さん他2軒を知ったのが5月末で、その頃から、それまでは「この地にいつまでいなきゃなんないのかなぁ」だったのが、「この地にいつまでいられるかなぁ」に変化したんです。
店名は真庭念流堀部安兵衛から来ていて、討ち入りの夜は酒が安いとか。(ホントかな?)

この店は閉店してしまった。
上州で牛タンは流行らなかったのかな。牛タン、ベーコン、カレーうどん、なかなか美味かったんですけどね。
たんぐ.jpg
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これは主にランチで利用。夜はグループか、社内接待で利用した。
いいモン出すんだけど、夜は高いです。
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〇〇牛タタキ.jpg
赤城牛や何とか豚、何とか鶏といったいいネタを食べ過ぎたら4人か5人でひとり1万円以上したよ。
私とソリの合わなかった〇長は目をまん丸くしてた。

お世話になったホテルドーミインの前にある店。
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キンメ炙りと鯵.jpg
フロアが板張り座敷で奥に細長く、カウンターが店奥にあるんです。カウンターが4席しかないのと、靴を脱いで座敷の間をぬってそこまで歩いていかなきゃなんないので私には合わなかったな。
グループ向きですが、私の部下の女性が昨年ひとりで出張で来て、ホテルの真ん前だからという理由でひとりで入ったそうです。

前述のラガーマン焼き鳥屋と同じ通り、すぐ近くにあります。
IZAKAYA.jpg
ビーフシチュー.jpg
一度しか行かなかった。店の前は毎日歩いてたんですがね。
味も悪くないんだけど、洋食の路線としては〇〇〇〇や亮さんの方が上かなぁ。
店主は若いアンちゃんで俺らが入った時はちょっとグチっぽかった。今でも若い女性客でそこそこ混んでますよ。

これは駿河大納言卿が眠る大信寺の大通りに面してる店。
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カレイ唐揚げ.jpg
寿司屋なのか居酒屋なのか、居酒屋だけど寿司も出すのか、どっちなのかわからなかたけどいいネタ出してました。

この店は鞘町だったかな。酔月亭といいます。
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やきそば.jpg
肉料理がメインですが、店内がトテモ薄暗いので写真撮影が難しい店だった。
一期一会で終わったのは、カウンターがショボいのと、ボックステーブル席が垂直でやや窮屈だったの。接待か何かで個室を使えばまた違った印象が残ったと思う。

この店は3月に行ったらクローズしてました。〇〇〇〇や亮の近くです。
大瀧.jpg
生姜焼き.jpg
私はこういう店は好きなんだけど、ジャン妻が「う~ん。。。」だったみたい。

鞘町の柳という店。
柳?ジョージさん?じゃないけど、それにつられて入った店。家族3人で営ってました。
柳.jpg
ロースハム.jpg
「ポテサラある?」
「ハムについてるわよ」
そう言ってくれる辺りは良心的。
お客は常連さんばかりでしたね。特に会話するでもなく黙~って飲みました。一期一会で終わったけど、この後に紹介する、まる、を探し廻ってたらこの店の前に出た。地道に営ってましたね。

この店は酒場ではなくカフェなんだけど、NANAの通りにある店です。
クルカフェ.jpg
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昼しか利用しなかった。夜は9時くらいでクローズなんです。
店のママ・・・といっていいのかな、お若い女性なんだけど、ちょっと不思議な空気を醸し出す女性でした。

ショウさんこの店でよく召し上がられますよね。ウチらのすぐ近所だったんだけど、上州を去る前、記念に行ったホントに一期一会だった店。
江戸吉寿司.jpg
鯵&〆鯖.jpg
店主の外見は叡山の僧兵みたいだが、声音、仕草、腰が低いの。いっつも混んでますよ。一見高そうですがそんなに高くないと思う。
うさぎCafeの斜め前にあります。

雪に埋もれた味一味。。。
雪に埋もれた味一味.jpg
今は甲斐の国へ去ったチエさんと、もと田舎娘さんと出会った店。
この店を知ったのは滞在中のホントに後半で、確か四期四会だったと思う。店主に覚えられた頃、無情にも去る時が来てしまった。
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マスターも料理も豪快でカッコよかった。しんみりしたのは似合わない店なので何も挨拶せず黙って去ってしまったのが今では心残り。

夜遅くまで営ってる蕎麦屋さん。舞鶴。
舞鶴.jpg
ダシ巻きと蕎麦焼味噌.jpg
結構混む店です。1軒めに何処かで飲んで、締めに蕎麦を狙って来るサラリーマンで賑わっていた。
〇〇レの〇郎さんと閉店後にカウンターで飲んだことがある。

私は蕎麦だったらこっちの方が好きだったな。銀座アーケード、梅ふくの路地入口にある深夜蕎麦、幸盛。
幸盛.jpg
焼き味噌.jpg
昼夜が完全に逆転した営業形態です。梅ふくに18時か19時に入る時は暖簾が出てないのに、梅ふくを21時に出て路地を振り返ると暖簾が出ているんです。20時~深夜3時頃までの営業だったと思うがよくわかりません。
舞鶴は細い蕎麦で、幸盛はしっかりしたコシのある蕎麦でした。

私はこの店にはやや厳しいですよ。おちょこ。
おちょこ1.jpg
カレイ(しおもん)唐揚げ.jpg
おでんの煮込み、味の浸み方にムラがあり過ぎです。ネタもあったりなかったりだし。
ちょっと独立が早かったんでないかいかと思う。店内の空気とママのお人柄はトテモいいです。でもお客さんに助けられてばかりじゃいけないよ。

ショウさんの記事で知ったまる。
まる2.jpg
熱燗と豚味噌.jpg
小さい店です。カウンターの座布団が湯たんぽで暖めてあり、着座すると湯たんぽは掘り炬燵式の足元に移すんです。こういう細かいもてなしをする店が初めてみました。小さい店だから可能なんでしょう。
何でまるって名前なんでしょうね。

先日、UPしたKAMIKAZE。
KAMIKAZE.jpg
ネギ.jpg
スタイリッシュな焼き鳥屋でした。カッコ良過ぎです。
在住時は毎朝毎晩この店の前を歩いて事務所まで通っていた。

最初のドリンクをオーダーするとすかさず店主から、「焼ぁき物は何ぁにいたしますかぁ?」
鳥久1.jpg
刺身と燗酒.jpg
ここは人情酒場でしたね。店主の豪快なダジャレは流してあげてください。自分で言ってひとりで笑ってますから。それを横目でジロッと睨む知性派娘さんの対比がオモシロかった。
ジャン妻は前述の理由であまり行きたがらなかったが、私が先日Upした記事を見てニヤニヤ笑ってました。覚えてはいるようです。
「覚えてるけど、食べ物の種類が少なくってさぁ。。。」

では郊外へ。
群馬八幡の和が家です。
和が家1.jpg
熱燗とお通しアンコール.jpg
我が家ではなく和が家です。和は若女将さんの名前の一部だそうです。
100%地元の常連さんの店で、店内で子供がいたりして最初は「???」だったんだけど、店主、若女将さん、お客さんの雰囲気が店名の通り和気藹々で癒されました。
3月に再訪しようとしたんですが、タッチの差で電車に乗り遅れてしまったのです。目の前で信越線のドアが閉まって悔しい思いをした。

磯部駅から徒歩15分、ショウさんご用達のなすび
なすび.jpg
またモツ煮.jpg
ショウさん、言っちゃぁ悪いけど、この店の料理って素人とまでは言わないが、主婦の料理に毛が生えた程度じゃないですかねぇ。(笑)
こっちがオーダーする料理より、ママがススめるサービスの方が印象に残ってますよ。プロなのか、アマチュアなのかようわからん店だったが、ママと地元のお客さんたち、磯部駅タクシーとの一体感、連帯感を感じた不思議な店だった。

前橋の有名酒場、つくし
つくし2.jpg
地鶏塩焼き.jpg
上州に赴任したら、「つくしには絶対に行かねば」と意を決したものです。永遠のライバル?太田和彦氏と吉田類氏ともに推奨する店。
「何でウチなんか紹介されたんかワカラン。1県につき1軒取り上げないかんから無理くり紹介したんじゃないかなぁ」
2回行って2回とも帰りは終電でした。周囲に「群馬で終電?何処の帰りよ?」って言われたからね。
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上州ラーメン総集編 [ラーメン]

私が2年間に喰った上州ラーメンの総集編といきます。
有名店.jpg
コーンバター.jpg
ジャンボ餃子の店です。
久々に入ったが相変わらず店主は客に愛想はいいけど店スタッフにはチョー厳しいね。ぶっきら棒に取って投げつけるように、
「ご飯お願いしますっ」
「○番さん出してっ」
「お座敷○番さん注文取ってきてっ」
特にオバちゃんに厳しい。言ってることは間違ってないんですけどね。
私はいつもオバちゃんに心中で声援を送っている。ガンバ!!って。

青竹手打ち麺.jpg
これは確か桐生だったか太田市内だったか・・・店の名前を忘れました。赤い看板のラーメン屋さん。
青竹手打の佐野ラーメンです。
メニューを見ると、トマラー、カレーラーとかもあった。
餃子もまぁまぁ。モツ煮がサイコーに美味かった。醤油ラーメンとモツ煮だと、醤油味と味噌味の両方が楽しめる。
だがジャン妻は麺がイマイチだったようで、「やはりストレート麺がいい」だそうです。

幸来軒.jpg
幸来軒の醤油ラーメン.jpg
これは太田駅近くの某病院裏にある店。
お客さんの殆どは患者さんのお身内か、病院のスタッフだけといっていいです。
麺が独特でした。ザラついているんです。
この店にサンマーメンがあるんですが、横浜発祥のサンマーメンが何故ここにあるのか。それをネタにしても店側は「???」で全く会話が発展しなかった店。

磯部駅前いまい食堂。
ここにもサンマーメンがあった。店主が神奈川で修業されてたそうです。
いい店なんですが何せ夜の閉店時間が早いんですよ。19時には暖簾が下げられちゃうので。
いまい1.jpg
いまいのサンマーメン.jpg
いまいのラーメン.jpg

これは呟きⅠで掲載しましたがその時は店名を伏せました。司という店です。
安中市へ抜ける県道沿いに突然現れる店で古びた雑巾みたいな暖簾が無造作にかかっている。まず若い女性は入らないだろう。
美しくない店内で人情オヤジがきりもりしています。
古びた暖簾.jpg
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ラーメンに漬物が付いてきたのに驚いたもんです。

ショウさんも時々行かれる焼きそばで有名な永井商店のラーメン。
ラーメンの中に玉子が落としてある。
ショウさんは永井商店の記事で私んとこにたどりついたみたい。(ですよね?)
永井商店は営業時間が日に日に不定期になっているようでちょっと心配です。いつも思うのですが、廃線前のローカル線、終着駅のような香がするのです。
永井商店.jpg
永井商店のラーメン.jpg

スープはもちろん、麺、具の野菜、水、電気、ガスに至るまで全てが自給自足の自給屋。
自給屋3.jpg
自給屋の醤油ラーメン.jpg
地元での評判は半々といったところ。自給やエコを高評価する声があってその反面、身体に悪くてもいいから美味しいものを求める人には向きません。

富岡製糸場の女工さんも通った歴史ある新洋亭。
現在は洋食がメインですが冬場だけラーメンが登場する。
新洋亭1.jpg
新洋亭のラーメン.jpg
これがメチャ美味しいんです。チャーシューが塊肉で豪華。
今は製糸場の世界遺産登録秒読みで大賑わいだろうな。

店舗はプレハブだが、駐車場がダダっ広い進龍という店。
働いてるのは向こうの人で何を喋ってるのかさっぱりワカランです。私は数回行ったが、行ったタイミングがビミョーというか、いつもTVで尖閣諸島や竹島、ミサイルの報道が流れていて何ともいえない店内の空気だった。
プレハブ?.jpg
Bのタンメン.jpg
ちょっと塩胡椒の主張が強いでしたね。でもランチがワンコインなんですよ。500円。
この春の消費増税で値上げしたのだろうか。

リンクしてるみみんさんじゃないけど、春夏秋冬という店。
斎場の近くにある店で、法事客の精進落としでそこそこ客入りがある。
夜は居酒屋になるのですが、店内に掲示された本日の刺身のおススメが何とマグロだけだった。その潔さに「さすが上州海無県」と変に感心したのと、ラーメンにレモンが入っているんですよ。他でこういうの組み合わせは見たことないなぁ。
春夏秋冬.jpg
ラーメンにレモン?.jpg

有名チェーン店ですが、一度、ニヤニヤ笑いながら店側のミスを指摘したら無料になってしまった山岡家高崎中尾店のネギラーメン。
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私がオーダーしたのはネギラーメンだが、オバちゃんが白髪ネギのトッピングと間違えたのね。口頭ではなく食券だったから言い訳の仕様がなく、殆ど全額返金されたのです。
ジャン妻に無銭飲食呼ばわりされた。後で再訪しましたよ。昨年の晩秋に再訪したらオバちゃんいたいた。頑張ってた。

市内繁華街へ。
真っ黒に煤けた看板、すみれ食堂。
ここは最も安いラーメンで確か400円しなかった筈。350円じゃなかったかなぁ。
そりゃ350円だから豪華じゃないし、フツーはあって当然の具もあまり載ってません。メンマが少しとチャーシューというかバラ肉がペラッと載ってるだけです。
でもスープがかなりしっかりしていました。市内では珍しく店内完全禁煙なのは、値段が安いから食べ盛りの高校生も利用するからではないか。だから禁煙にしたのかも。
真っ黒2.jpg
350円ラーメン1.jpg

駅近くの牛骨ラーメン。
「らぁめんまん」というこれまた何かのマンガからパクったようなヘンな店名。
滞在時に数回、行きました。明らかに業務用のスープではなく、何処かでスープを仕込んでいると思われますが、何処から運んで来るのか、隣りの焼肉屋、朝鮮飯店さんから運んで来るのか、全く不明なんです。
2階にあるらぁめんまん.jpg
らぁめんまん鶏塩.jpg

呟きⅠでは店名を伏せましたが、焼きそば&味噌汁(冬場は豚汁)で有名なもりや食堂の近くにある「可楽」という店の醤油ラーメン。
ラーメンに煮物が付いてくるんです。おでんだったり、カボチャの煮物だったり。それと漬物も。
もりや近く可楽の醤油ラーメン2.jpg

もしかしたらこの店は今はないかもしれない。
中央銀座アーケードの南入口近くにあった真味という店です。
真味.jpg
真味のラーメン.jpg
やはりラーメンに漬物が付いてきました。この店は私の前を歩いていたお婆さんの2人連れが、「この店は昔から営ってて美味しいのよねぇ」という立ち話にソソられて入ったらの。
タクアンが付いてきました。

銀座中央アーケードにある夜だけ営業のてっちゃんラーメン。
ヒロ兄さんが見たら怒髪天を衝くは必定ですが、スタンドと割り切ればなかなかイケたんです。
赤と黄色.jpg
スープに浸して食べます.jpg

たかべんの朝ラー.jpg
たかべん.jpg
これは上信電鉄ホーム改札入口にある立ち食いスタンド、たかべんの醤油ラーメン。
たかべんってのは峠の釜飯を販売している会社です。スタンドにしてはしっかりした味だった。

NANAの通りにある有名な東竜。
東竜.jpg
東竜の醤油ラーメン.jpg
3月に久々に行きました。ホイコーロが麺に載った肉味噌ラーメンで有名です。東竜といえば肉味噌、肉味噌といえば東竜、東竜で肉味噌を喰わないヤツはバカですなんて言われたことがある。
老夫婦がお互いを労りながら仲良く営っている。見てて微笑ましい。細く長くいつまでも営っててほしい店。

この店は私が里見橋台にハマっていた時の貴重な栄養源だった。
愛華飯店.jpg
ネギラーメン.jpg
ランチがALL580円という驚異の値段で、それでいてしっかりしたお味でした。でも春から値上げしたかなぁ。。。
お店の人はやはり向こうの方なので、母国でのお正月期間は休業です。

「お料理は人数分でお願いします」の中華屋さん。
私とジャン妻はこの店が大好きだった。本格的な中華料理で胃にもたれない素晴らしい味だった。何を喰っても美味しかったね。
呟きⅠhttp://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-11-23
呟きⅡhttp://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-15
お料理は人数分.jpg
至ってシンプルなラーメン.jpg
オバちゃんといろいろ会話した。ボヤきも聞いた。
この店のラーメンは隠しメニューで、まず昼に注文する人はいない。「飲んだ後のラーメンなのよ」・・・具は殆ど無いんです。これを昼に出したら客が怒って帰っちゃったという伝説もあるからね。

写真が残ってないのですが、北高崎の先にある「なかじま」という支那そば屋さんは美味かった。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-08-24
向かいの大型複合商店にくるまを停める。店は道路向かいの正面にある。ところが信号機のある横断歩道までが遠いので、殆どの客がくるまがビュンビュン飛ばす片側2車線、両側4車線の広い道路をダッシュで横断して店にたどりつくのだ。命がけの店でしたよ。

他にも、ご当地ラーメンらしいがちょっと塩気がキツかった安中市の「扇屋」
メンマだと思ったらごぼうだった「なかじゅう亭」
スープが異様に少なかった「大大坊」
煮えたぎる石焼ラーメンの「火山」
スープが熱くて熱くて喰い終わるまで冷めなかった激熱の「やまちゃん」は閉店してしまった。次のテナントさんの工事中でした。
やまちゃんは閉店~工事中.jpgやまちゃんの跡には2.jpg
工事のアンちゃんに、「何て店が入るの?」
そのアンちゃんはその道に詳しいらしい。
「みなせです。けんしょうけん系かな」
湊生、景勝軒系です。1軒高島屋の近くにあります。今頃はもう開業しているかもしれない。

最後にこれ。2月に載せたオカシな店名、あってりめんこうじのこってりめんです。
店舗外観1.jpg
こってりめん.jpg
3月に3回めの訪問をしました。ネギだらけあっさりめん塩味。
ネギだらけあっさりめん塩味.jpg
あっさりしているあっさりめん、こってりしているこってりめんがレギュラーベースになっていて、あってりめんというこの店にしかない謎のラーメンが限られた日や時間帯に(主に夜)ある。
聞くのもバカバカしかったが聞いてみました。
「あってりめんって何よ?」
「ええっと、あってりめんってのはですね。あっさりして、こってりもしてるんです」
何だそりゃ?
「あっさりだけどこってり?」
「あっさりとこってりのいいトコどりというか。。。」
そんなラーメンがあるのか?
あってえりめんという変極まりない造語の新ラーメンも登場していた。この店ほど私を悩ませたラーメン屋はない。今でも謎だらけの店です。
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名和無理之助・・・他 [隠れ郷土史]

上州で私が関わった歴ネタはおそらく今日の記事で一旦はお開きになるかと思いますが。。。

高崎市郊外にある清掃工場、クリーンセンターがドーンと建っている。
クリーンセンター1.jpg
私が上州滞在時におじゃました安中市のローズベイカントリークラブゴルフ場。。。
グリーン3.jpg
ゴミ焼却場とゴルフ場がどう関係あるのか???
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-01-13
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-12
あずま屋?.jpg
このゴルフ場には蔵人城という上州一揆衆(盟主は長野業政)の小城があた。説明版は8番コース内にあり原則、ゴルフプレイヤーしか見学できない。
私は支配人さんに手紙で見学を申込み、運転するカートに同乗して行ってみたら、コースの片隅、あずまやに碑と解説版があった。ゴルフをやらない私はその後も数回食事だけ利用して、上州を去る前に見学のお礼に蔵人城を知った小説を贈ってお別れした。
国を蹴った男.jpgその小説の主人公は武田軍の正規軍ならに傭兵の頭だったナワ~ルドさん・・・ではなくて・・・名和無理之助という人。名和さんはゴルフ場の蔵人城を落として次なる標的は冒頭の写真、ゴミ処理センター近くの高浜という小塞へ向かうのだが、そこへ行くには峠を越えなければならない。

名和無理之助とは名前からして創作小説の主人公のような名前だが、実在の人物です。名和宗安といいます。(那波ともいう。)
小説では雇われ部隊長のような位置づけで実際は外様の家臣だったらしい。もとは伊勢崎市堀口町名和の名家の出身だが、永禄年間に長尾景虎に攻められ城を脱出、武田家に流れた。

武田信玄は上州一揆衆の盟主、長野業政亡きあと好機と攻め込み、ナワさん・・・無理之助は甲州軍の先手となる。
「お前は上州出身だから地理に詳しいだろう」とでも言われたのだろう。
無理之助は長野氏の本城、箕輪城を目指す過程でゴルフ場の蔵人城(守備隊長・島崎蔵人)、ゴルフ場すぐ目の前の礼応寺城(守備隊長・赤見藤九郎)他を抜き、僅か200の手勢で安中アルプスの雉ヶ尾峠を越えた。 [バッド(下向き矢印)]
現在の雉ヶ尾峠.jpg
安中アルプスには長野や里見の哨戒兵が守備していたが、無理之助はその名の通り夜間に無理して
雉郷峠を突破。烏川を越えて対岸の高浜クリーンセンターに渡り、センターすぐ隣にある高浜砦に攻めかかった。
烏川から.jpg
前述の小説では高浜は単郭の小城だったという。
そこには鷺坂常陸守介長信というローカル武将が守備していたが、放火されて兵が動揺、反撃しようにも単郭だけに退去するしかなく、無理之助の無理強い作戦は成功した。

無理之助率いる牢人部隊は誰よりも先に奥深い高浜まで単独で送り込まれたので殆ど捨て石に等しい。
だがこの無理な奇襲が成功したことで、高浜の前衛で雉郷峠の守備兵は、北の高浜から上がった炎でいつの間にか背後に回られたと気付いたのです。
その後で甲州軍は峠の正面から悠々本隊を送り込む。雉郷防衛ラインの守備兵はいつの間にか背後に敵に廻られ、高浜が炎上し、前から甲州軍の本隊に押し寄せられ、峠の薄い防衛ラインはロクに抵抗できず四散した。
この時、里見も落ちている。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-10-30

無理之助の敵中突破はたまたま成功しただけなのだが、このクリーンセンター傍の高浜陥落が、ここからすぐ西にある長野氏のナンバー2・鷹留城兵を動揺させて陥落させ、箕輪城陥落を早め、長野氏は滅んでしまった。

小説では、無理之助率いる牢人部隊は川窪兵庫助信実(信玄の弟、信虎の十男)に外様以下、牢人の寄せ集めのように上から目線で扱われている。
無理を押し通すように峠を突破したが、上司に無理強いさせられたのかも。無理なのは名前だけだろと思われたくなかったのかも知れない。

高浜の記述はクリーンセンター近くにある高源寺の一画に一枚あった。
この寺と、道を隔てた高台に赤いお堂があって、その一帯が無理之助が攻め込んだ高浜の激戦地と推定されます。
高源寺.jpg
高源寺由来1.jpg
高浜砦1.jpg
高浜砦2.jpg
クリーンセンターの巨大煙突が見えます。
高浜砦3.jpg
クリーンセンターは市の運営で、市内で発生した一般廃棄物のみ搬入できる。
料金は100kgから1kg辺り15円+消費税額で有料になるが、100kg以下だと無料だとか。
もう時効だから書いちゃいますが、2012年春に上州に赴任した最初の頃、ウチの社の市内の現場で、20台半ばの女性写真が自分の車(軽)に支店ゴミを大量に積み込んでるのを目撃した。
「何処へ持って行くのさ?」
「このゴミをセンターに持って行くんです」
助手席、後部座席、小さいながらもハッチバックに、ビニール袋にぎゅうぎゅう詰めしたゴミがパンパンに積載されていた。
「自分のくるまで持って行くの?」
「そうです」
「往復どれくらい?」
「時間ですかぁ?45分もあれば戻ってこれますよぉ」
当時は今ほど信頼関係ができてなかったので面倒くさそうに返ってきましたね。その後、「ゴミ出しに行くガソリン代って清算されないんですか?」と言って来たので、東京の社内規定を流用して、キロ数×〇〇円で清算できるようにした。
でも自分のゴミでもない産廃ゴミを自分のくるまに積むってのは抵抗ないのかな。紙ゴミだけではなさそうなので夏場なんかニオわないか?
業者と契約すればいいのに。でもそういう発想もないまま数年間自家用車によるゴミ搬送を繰り返して来たというんだな。

後日その女性社員が新人後輩社員にゴミを持って行かせる指示を出した。私は幾つか持って積んであげたんです。
「いつも自分で持って行くんか?」
「そうです。アタシにばかり言い付けるって思う時があります」
そりゃぁ新人だから仕方がないだろ。でも哀しそうな物言いだった。
私はその子のくるまが出るのを見送った。そしたらその子に「持っていきなさい」を命令した先輩女性社員が私の傍らに来て険のある言い草で、
「○○さん」
「何だ?」
「あの子ちゃんと全部積んでった??」
後輩を疑うような文言、私は仮にも上役なのに、友達に話しかけるような言いぐさに私は眉を険しくした。
「積んでったよ。でもこういうのはよくない。業者と契約するから」
「何スか?何の業者スか?」
「ゴミを回収する業者だよ」
「???」
わからなかったみたいなので契約しました。なので現在はセンターへの自家用車による搬送、搬入は特別なことが無い限り停止しています。
口の利き方がなってないこの子は登場しています。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-03-30-3
クリーンセンター1.jpg
このクリーンセンターから東へ1km辺り走ったところに景忠寺というお寺があって、どうも人の名前らしいので調べてみたら、長尾氏がいたのを知った。
長尾氏はもとは神奈川県横浜市戸塚区長尾台という地にいた。九つ井戸(レストランではなくホンモノの井戸)の隣にある高台の出身だが、ここにいたのは長尾景忠という人。
知らなくても日常生活に全然、影響のない人。
ただ、景忠という人は2人いて、長尾台にいた鎌倉時代の御家人の景忠と、南北朝時代の左衛門尉景忠と二人いる。ここにいたのは後者で、長尾氏中興の祖と言われてる人。
中興というからには没落していたのだろうか。まさにそうで長尾氏は宝治合戦(北条氏が目障りだった三浦一族を滅ぼした戦闘)に巻き込まれて一族は四散する。景忠さんは唯一の生存者の流れで名跡を継いだ。中興の祖と言われるのはこの人から幾つかの長尾氏が分かれて世に出て、その中にはあの長尾景虎に繋がる家系もあるからです。
長尾景虎.jpg

このお寺は高台にあり、標柱が建てられていた。
由緒はかなり古いようだが詳しい来歴がわからず。周囲をウロついてみたのだが、困ったことに保育園の敷地なんです。お寺が経営してるみたい。
標注.jpg
寺の周囲.jpg
土塁がわかりますか?.jpg
平日の午後だった。中に踏み込むのも躊躇われる。お迎えのお母さんも来だしたのでウロウロしてたら胡乱なヤツと見られる。ぐるっと一周してそそくさと退散しました。

何だか今日の記事はカテゴリがゴッチャになってしまった。
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火祭り~多胡羊大夫のこと [隠れ郷土史]

九州の別府八湯温泉祭り開催中、別府警察署に外国人が駆け込んだそうですね。
その外国人が言うには、「山が燃えている」[あせあせ(飛び散る汗)]
事情を聴いた署員は山が燃えているのは扇山の火祭りであることを察し、英語で、「ノーノーフェスティバル」と説明して帰したそうだが、観光PRにはなったに違いない。その別府温泉火祭りは京都大文字焼きほど有名ではないが、上州富岡にも火祭り行事がある。
これです。
大島の火祭り.jpg
富岡市の大島というところで例年8月16日、日没になると文字が点火されます。その山の斜面は上信越道甘楽富岡IC~下仁田ICの間辺り。
文字は縄で作られるが決まった文字はなく今年に相応しい一文字を決めるんだと。1200年だか1300年以上続く伝統の行事だとか。
1300年前といったら平城京の頃ではないか。

盆に火を焚くのは先祖の霊を迎え、送り出す行事。ウチでもその時期になると売ってる盆グッズを買って迎え火、送り火をします。
祭りも同じです。大島火祭りの当日は大島地区の各家から1人ずつ道具を持って山に登って文字をカタチ作ります。
この火祭りが起こったのは1300年前だから遠い奈良時代まで遡る。
大化の改新後、都から離れた東国は大小様々な戦乱が繰り返され、それは東国の豪族同士だったり、中央からの討伐軍相手だったりする。史上に現れないのもあるだろう。その戦乱で亡くなったモノノフや民人の霊をなぐさめる為、大島の山の斜面に火を焚いて供養したことが始まり。
大島の火祭りは、吉井町に有名な多胡碑(日本三古碑、上野三古碑のひとつ)という碑文があって、それに因む部分がある。
多胡碑.jpg


この碑が有名なのは、日本書記に続く「続日本紀」に記載される多胡郡の存在を裏付けるからだが、そこにはこうある。

弁官符上野國片罡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊

意味は、都の弁官局(朝廷の政治最高機関)からの命令で、上野国片岡郡、緑野郡、甘良郡の三郡から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せるというもの。

成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊
郡の名前は多胡郡としなさい。布告年月日と発令者の名前、官位が記されている。

碑文2行め最後に、「良郡并三郡内三百戸郡成給羊」←羊とあるが、これは動物ではない。多胡羊大夫(タゴヒツジダユウ)という人のことです。
この多胡羊大夫は実在の人物なのか伝説上の人物なのか、今でも様々な伝承の域を出ないが、上州のあちこちに伝説、伝承が多くあるから実在したと見ていいのではないか。もしくは何かモデルがいたかも知れない。
私は学者さんではないので間違った記述があったらご容赦願いたいのですが、碑文では上野群多胡郡の郡司を賜った人となっている。多胡郡の戸数は300戸、任命した高官の名前も刻まれている。
多胡羊大夫という人は、古代にこの地を治めた人だが、ある方面からの讒言により朝廷から疑われ、最後は官兵に討伐された。ここ大島もその戦乱に巻き込まれ、近隣の小幡、天引といった要害も落とされる。
多胡羊大夫は自害し、その魂魄は大島に舞う蝶となった。大島の火祭りはこの多胡羊太夫をなぐさめる祭りが発祥だという。
高橋克彦さんの小説で、陸奥の豪族が東夷と蔑まれ、中央集権に馴染めず反乱を起こし、結局は討伐軍に攻められるストーリーがあるが、多胡さんが討伐されたのもそれと似たようなものかも知れない。
大島の火祭り2.jpg

写真は多胡羊太夫の要害があった大島地区です。現在は畑になっている。畑を耕していた人に聞いてみた。
「ここって何か館があったのですか?」
「いや、そういうのは知らないなぁ」
言葉を濁されちゃったんです。
「浅間山が噴火して、門が埋まって。。。」
全く会話にならず。だがここの集落には小間(コマ)さんという姓が数軒あって、小間姓の先祖は多胡羊太夫一族の生存者もしくは遺児、男子だというんだな。
火祭りの斜面を望む.jpg
長閑なもんです.jpg
この近隣に大島鉱泉という温泉があって、それもあって事前に調べてこの地に来た。(入りませんでした。)調べなければここが多胡羊太夫の要害だったなんて絶対にわからない。
これが大島鉱泉です。大島鉱泉も小間さんです。
大島鉱泉.jpg

この石垣は後年のものか1.jpg
以上は古代の話だが、ここ上州が武田北条上杉長尾、各氏の草刈り場だった時代も長いし、その小間氏がその時代もこの地で館の主だったという記事も見た。今は畑だけで要害に見えないがそれは後世に成らされたに違いない。館跡の南端部は吸い込まれそうな深さ、広い幅の水堀になっており、鏑川とその支流、舟川の合流部近く、二つの河川に挟まれた段丘、細長い台地にあった。
自然の堀.jpg
そういえば上州は各地に多胡姓が多い。私の知人にも2人いた。それもご先祖さんが多胡羊太夫だったという伝説にちなむのではないだろうか。
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まぁむ [Cafe]

神農原駅.jpg
神農原(カノハラ)という地にいます。
神々しい名前ですが地名の由来はわからないです。ここには上信電鉄がまだ軽便の上野鉄道といった明治の頃から駅がある。今は片面ホームの無人駅で1時間にだいたい1本停車します。
この時は水洗WCの設置工事中でした。
ここから終点の下仁田駅まで駅3つです。

今日はくるまで来た。お世話になった方がこの界隈にお住まいでご挨拶をしに来たのです。
それ以外でもこの地には2回か3回来ていて、ここから15分ほど歩いた西中学校に宮崎城の説明版があります。でも学校敷地内なので不審者は警察に通報されかねない雰囲気。
宮崎城と西中学校校舎.jpg
前に載せた。地元のBloggerチエ嬢の遠いご先祖がこの城塞に籠城し、侵略して来た外敵の軍勢を迎え撃った。それはおそらく武田軍に違いない。
だが陥落した。ご先祖は甘楽郡南牧村に落ち、転々と居を変えていつしか帰農した。
その後、宮崎に小幡氏の一族が詰めたが、小田原攻め東山道軍を迎撃した時に二度目の陥落をする。その後は廃された。
学校内、校庭にはもちろん入れない。来たという証だけ。説明版を撮影してサッと引き上げる。

中学校の敷地になっている宮崎城から急坂を下りると、主婦が手作りで営っている田舎Cafeのような食事処、お惣菜屋さんがある。
おそらく宮崎城の大手で、敵が攻め登って来たら迎え撃つ郭があったと思われますが、そこにある田舎Cafeはまぁむといいます。
まぁむ1.jpg
前回は電車で来たので1時間に1本しかないから訪問を見送った。写真だけ掲載しています。おそらく今日で一期一会になると思うので入ってみたんです。
何だか健康嗜好と手作り感がプンプンするお店だが(いい意味でね)、この店にしたのは神農原駅前に「麺家おとみ」というラーメン屋があって、
麺家おとみ.jpg
おとみかまぁむ、どちらにしようかなと思ったのだが、麺家おとみは11:30~らしいくまだ営ってなかった。この30分の差でまぁむにしたというわけ。
(神農原はこの2軒以外に街道沿いに神農原ラーメンがあります。)

トトロ果樹園登り口.jpg
まぁむ2.jpg
駐車場は「まぁむ」から道を隔てた向かいにある。そこから上り口があって自家製の果樹園と畑になっていた。食後に登ってみよう。
駐車場から道路を渡って店内敷地内に入り店の入口に向かって歩く。どうも同じ敷地内にオーナーさんとおぼしき住居とお店、まぁむが一緒みたいですね。
お母さんが外で水仕事?洗い物をしている。
「営ってますか?」
「ハイ営っておりますどーぞ」
どーぞと言いながら水仕事の手入れを止めないので誰が店にいるのかと思ったら、嫁さんらしき女性と他に2人の女性スタッフが厨房にいて迎えられた。
男性の先客も1人いたし、外から近隣の主婦がお惣菜を買いに来たりして、まだ11:00過ぎの早い時間帯に私を入れて3人の客、3人のスタッフ。僅か3人とはいえ賑やかで楽しそうだった。
店内.jpg
お惣菜ケース.jpg
ショーケースにお惣菜がある。
今日のお惣菜は、おから、かぼちゃ煮、松前漬け、金時豆腐、なます、こうや豆腐、里豆煮、ひじき煮物、かぼちゃチーズケーキ。。。
俺の嫌いなものばかりだなと思ったが、ポテトサラダ、ジャガころ煮、ミートソースパスタ煮、ホルモン揚げ、ちくわフライ、コロッケもあった。
海産物は一つもなかった。さすがは上州富岡西である。
おしるこなんてのもある。これは西中学校の生徒さんか先生のオヤツ用ではないかな。
ボード.jpg
一応はグランドメニュー?.jpg
さて、食事のグランドメニューもあるにはあるのだが。。。
ひれかつ定食1080円、ひれかつ丼1180円、おたのしみ定食980円から、やきにく定食980円、お惣菜定食680円、ギョーザ定食880円、手作りギョーザ1人前420円、手づくりコロッケヤサイ付120円、ヤサイのかき揚げ200円。。。
ところが次の但し書きに、
誠に勝手ながら、只今都合によりメニューの数を減らして営業しております。定食メニューはショーケース後方のホワイトボードをご覧ください。万が一、食べられないものがございましたらスタッフへご相談ください。
但し書き.jpg
こりゃ訊いた方がいいな。
「食事のメニューはどれよ?」
「あっ、レジの後ろにございます」
レジの後ろ、言われなきゃ気付かないところにあった。
「今日は、きのこのクリームシチュー、プラスお惣菜何とか何とかと、チキントマト何とかカチャトラ定食、カチャトラとは・・・(説明聞いたけど理解できなかった)・・・やきにく定食です」
「じゃぁ一番下」
「ハイ、やきにく定食でございますね」

無難なところにした。だがお惣菜は何が付くんだろう。ポテトサラダならともかく、かぼちゃの煮物か里豆煮が出たら困るな。
でも任せた。何も言わなかった。
やきにく定食.jpg
やきにく.jpg
手造り感満載の定食です。
肉厚保だけどやわらかい豚肉にドロッとした甘辛く濃いタレでした。
野菜も瑞々しい。

食後にはホットコーヒーが付くけどこの店、さすがに主婦が営ってるだけにしっかりしてるところがあって、
アイスコーヒーへの変更はプラス50円デス。
コーヒーのおかわりもプラス100円デス。
お惣菜の追加注文はプラス100円デス。
ライス(大盛)はプラス100円デス。
ライス(おかわり)は150円デス。
デスがやたらと多いのだよ。

水、お茶、コーヒーが並んだ。
お茶と水とコーヒー.jpg
テイクアウトのミートソースパスタ煮が積んであったので、
「これ、今そこで喰っていい?」
「ハイ。では軽く温めますね」
ミートソースパスタ煮1.jpg
ミートソースパスタ煮2.jpg
レンジで軽くチンしてくれた。でもあまり温かくなかったのね。スパの量に比べてソースが足りないぞ。
まっいいか。懐かしい味だったし。

11:00~16:00までの通し営業なのは、主婦だけで営っているから16:00過ぎたら皆さん家事に戻るんでしょうな。
下校した西中学校の生徒さんが喰いに来るのかも知れない。

駐車場上の畑に登ってみた。
ととろが威嚇するように番人をしていた。案山子の役目です。
トトロ果樹園と畑.jpg
トトロ.jpg
駐車場脇に自販機があってALL100円だって。これも中学生が対象かと思う。
上信電鉄の走行音がカタンカタン聞える。
100円自販機.jpg
まぁむ3.jpg
いわゆる地のもの、有機野菜を使った健康嗜好的な店です。この店、利益は薄いだろうな。儲け優先ではなく近隣とのアンテナショップや交流場を兼ねて営っているんでしょう。
http://sanjiemei.blog122.fc2.com/
http://mamnooaji.gunmablog.net/C
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陸軍中野学校終焉の地 [隠れ郷土史]

富岡高校(七日市藩邸跡)2.jpg
七日市藩邸のあった県立富岡高校にはもう一つ秘められたネタがある。
昭和史です。それは陸軍中野学校終焉の地というもの。

陸軍中野学校の創始~詳細についてはその筋の専門家に譲ります。簡単な表現をすれば諜報機関養成所のようなものです。
諜報・・・情報収集のこと。
謀略・・・情報操作。誤った情報や宣伝工作で敵を攪乱する。
防諜・・・敵の仕掛けて来た諜報、謀略を探知し、こちらが偽情報を流して混乱させること。裏の裏を掻くわけですよ
戦争末期には以上3つに実戦として遊撃が加わる。本隊とは離れた奇襲、破壊工作、いわばゲリラ戦ですね。

今年になってからご逝去されましたが、昭和49年(1974年)ルバング島から帰国された小野田寛郎元少尉は陸軍中野学校二俣分校の卒業生だそうです。だが中野学校は軍内部でもその存在が極秘にされ、卒業生は学歴や軍歴を伏せなくてはならない。なので退校という名目で事実上の卒業をされたとか。
日本軍の通常教育とは異質で、捕虜になってもいいから生き残って任務を遂行するよう徹底教育されたという。それもあったから小野田元少尉は島内で生き延びられたのかも知れない。

中野学校の学生は、自分は諜報に向いているからと志望して入校したのではないらしいのだ。
いろんな士官学校出身者からも選抜されたが、それより一般大学生や高等専門学校の出身者が多かったという。如何にも叩き上げでバリバリの軍人らしい人は諜報活動に向いていないということだろうか。
私の素人考えですが、外見や醸し出す雰囲気で正体がバレてしまったら諜報任務にならないと思う。むしろ軍人に見えない、ホントは軍人なんだけど民間人にしか見えないような人、例えば表向きは新聞記者とか、商社マンとかなら情報を得やすいのではないか。

昭和41年に映画化されています。
DVDで復刻されてます。
DVD2.jpg
DVD1.jpg

ここ七日市藩邸跡、現富岡高校が陸軍中野学校終焉の地だというのをさる資料で知った。
くるまを学校敷地内の正門入った正面の駐車場に仮停車。平日なので校内は学生さんが闊歩している。富岡高校の学生さんは大変礼儀正しく、「こんにちはぁ」、と挨拶してくる。こちらもぎこちなく、「お、おう、こんちは・・・」と返すが、現在の学生さんに「中野学校を示すものって何処?」と訊ねるのもなぁ。躊躇した。
存在を示すものが何処かにあるのだろうか。ウロウロ探し廻って不審人物に見られて通報されるのもイヤだし、手っ取り早く受付を尋ねた。
富岡高校.jpg
私は上州に関わる者として敢えてこっちの名刺を見せた。
「個人で訪ねて来たんですが、陸軍中野学校の跡というのはここでしょうか?」
ハッキリ言いました。男性の職員さんが2人出て来られ、
「池の周囲の道が雪で倒れた松で通り難くなっているんですが、そこにこれくらいの(腰の辺りを指す)低い碑が建っております」
「行けばわかります?」
「すぐわかりますよ」
「ではサッと見てそのまま引き上げます」
塞がれている.jpg言われた通りの場所へ向かったら、池を廻る散歩道は折れた松の枝や赤いコーンで塞がっている。

学生さんの安全対策で通行禁止の様子だったが無理に分け入った。そしたら土塁跡か櫓台跡のような土盛の手前に「陸軍中野学校終焉の地」碑があった。国道を背にして正門を入って左です。

折れた松で通行止め.jpg
散歩道の脇に.jpg
これぞ陸軍中野学校終焉の碑.jpg
陸軍中野学校はいつ、何故?ここに移転して来たのか。
移転してきたのは米軍が沖縄に上陸した昭和20年(1945年)3月~4月頃です。陸軍中野学校の学校本部、学生隊本部、見習士官学生、将校学生、実部隊の一部がここ富岡に移転、疎開してきた。
全部は収容できず、当時の富岡町を中心に甘楽郡や現在の高崎市吉井町といった上信電鉄沿線に職員や将校学生600人が分宿した。
移転した目的は米軍が本土上陸して来た場合を想定して遊撃戦(ゲリラ戦)を関東平野各地で展開するというもので、東京の大本営も移転する構想だった。東京から撤退後の大本営移転先は信州松代で現在でもその遺構がある。
写真は信州松代舞鶴山に設けられた大本営移転候補地、天皇の御座所と地下トンネルです。(日本史謎解き史跡探訪から)
大本営トンネル.jpg御座所.jpg
ここ富岡が選ばれた理由は何か?
製糸場があったから?違います。大本営移転予定地、信州松代と東京のちょうど中間地点だからだと思う。
富岡に移転後、泉部隊、関八州部隊といった作戦部隊が新設され、関東を席巻するであろう米軍の後方攪乱、民衆の武装蜂起、遊撃戦の展開を目論んでいた。
だがすぐ終戦になる。昭和20年(1945年)8月14日、日本はポツダム宣言の受諾を中立国に打診、8月15日、昭和天皇による玉音放送により日本の降伏が国民に公表されるが、その数日前の8月11日には中野学校で解散準備が発令され、機密重要文書は焼却処分にされ、通信機器は開発中の兵器も破却されたという。
戦後、前橋に駐屯した進駐軍の追及があったと思われるがその詳細はわからない。
地下に潜って活動を続けた隊員もいたのではないか。
これぞ陸軍中野学校終焉の地.jpg
現在、その存在を示すものはこの碑だけのようです。
いつ誰が建立したのか訊くのを忘れてしまった。私の腰より低いその碑はあまり目立つことなく静かに建っていた。
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小さな前田藩 [隠れ郷土史]

上州に加賀前田家の支藩がありました。
加賀102万石の分家です。七日市藩、加賀藩祖前田利家の五男、利孝が藩祖です。
金沢城内の家系図にも小さ~く載っていた。
1万石です。(寛文4年の調査では12036石、貞享元年の調査では13135石)
系図.jpg
藩祖・利孝の母は「利家とまつ」ではなく、お幸和(明運院)という人です。だが、「利家とまつ」のまつ殿が養育したという。

加賀藩祖・前田利家が死んだ後、家康は豊政権の諸大名に難癖を付けるのが常套手段になっていくのだが、家康が前田家に謀反の嫌疑をかけた時、まつ(芳春院)が人質になって江戸に下る。
その時まつは利孝を連れてった。江戸で養育した。
江戸で暮らした時期の長い利孝は大阪の陣で何かの戦功をたてたらしいが、その功と、おそらくは養母、芳春院の口利きもあったと思われるが、本藩と比べて僅か1/102とはいえ、独立した藩として七日市藩を興した。(元和2年、1616年)
金沢城2.jpg
上が本家です。
下が分家、七日市藩です。
比べるのもヤボだが城持ちと陣屋の違いは歴然。
富岡高校(七日市藩邸跡)2.jpg
越中富山藩や大聖寺藩と違って本藩から分知されたわけではなく幕閣から直々に与えられたので、厳密に言えば加賀藩の支藩でないという意見もあるようである。
僅か1万石の小藩なので内情が苦しく、加賀本藩の援助を受けていたことや、本藩が江戸出府の折は中山道を通るので中継地として利用されていたので、本藩から見たら支藩扱いだったといえそうである。
おそらく藩ご用達商人からの借金も、加賀本藩があってこそ可能だったのではないだろうか。

天明・天保飢饉に悩まされたが幸い何処へも転封、移封されずこの地上州七日市に代々根付いた。藩祖・前田利孝(としたか)の次からは、利意(としもと)~利広(としひろ)~利慶(としよし)~利英(としふさ)~利理(としただ)~利尚(としひさ)~利見(としあきら)~利以(としもち)~利和(としよし)~利豁(としあきら)~利昭(としあき)と続く。

1万石で加賀藩の支藩的な扱いだった為、城主格ではなく陣屋だった。現在は富岡高等学校の敷地になっていて、製糸場に至る旧国道を西に走ると「七日市藩邸」のデカい縦看板が目につく。
富岡高校(七日市藩邸跡).jpg
入ると当時の陣屋が建っている。
東には当時の黒門があってそこは生徒が自転車で出入りしていた。
陣屋の建物3.jpg
黒門.jpg
他にも民間に払い下げられ移築された門が幾つか残存しているそうである。

これは藩邸の土塁跡の土盛り。
陣屋は東西方形だったそうです。
陣屋の土塁跡1.jpg
陣屋の土塁跡2.jpg
1万石とはいえ、長く続いていたので多少のお家ゴタゴタはあった。
第9代藩主、前田利以という人がいる。利以=トシモチと呼びます。
この辺りから世情の不安定もあってゴタついて来る。
利以という人は、天明6年(1786年)・・・というと天明の大飢饉の最中に加賀大聖寺から七日市に転籍(といっていのか?)して来た殿様です。この人の代になって加賀本藩からの援助が受けられなくなったというのだ。
駿府加番(駿府城に派遣され駐屯する役)以外はさしたる実績が見当たらない人だが、文化5年(1808年)に隠居した後も藩政の実権を離さず江戸に別邸を建設して贅美な暮らしに甘んじた。
利以さんはどこのお家にもいる困った殿様だが、いろいろな史料を見ると江戸詰の家臣が隠居した利以と10代藩主利和(利以の養子)との仲を裂こうとしたという陰謀説に必ず行きつく。でも、二人の仲を裂いて、誰を擁立しようとしたのかはわからないのだ。

困ったご隠居様で、浪費癖で藩財政が逼迫した。これが加賀本藩を怒らせ、藩主利和の本家出入りを禁じた。
利和は困った。
養父の浪費癖に手を焼いているが自分は何も悪いことはしていない。でも当主として藩政不行届のように見られたのである。
何とか本藩との関係を打開しようと文化9年(1812年)4月、御側御用人格の須藤という家臣が諫言の遺書を書き夫妻で自害した。辛いことではある。
これで本藩出入り禁止は解けたのだが、隠居した利以の贅沢はその後も続き、文政11年(1828年)に死去するまで藩財政が再建の方向に向かなかったそうである。
そしてその後を継いだ10代藩主の利和は聡明だったらしく、文化13年(1816年)に藩内から集めた6万両を基金として貧民救済への手当、妊娠や4人以上の子供のいる家族に手当したという説がある。これを「生育講」というそうです。農民が他領へ逃散すると人口減が収入減になることを知っていたか、君側が具申したのを取り上げたのだろう。

次が11第藩主の前田利豁という難しい漢字の名前の人。としあきらと読みます。
この殿様は天保11年(1840年)2月に家督を継いだが翌12年に七日市藩は火事で殆どが焼失してしまった。そこへ追い打ちをかけるように大阪城警護を命ぜられ、翌13年(1842年)に無理して成器館という藩校を創設し、焼けた藩邸を再建した。
現在、富岡高校敷地内と各所に現存している建物はこの時の再建です。
嘉永2年(1849年)2月には領内が旱魃に見舞われた。本家加賀藩から援助を受けている。

幕末、元治元年(1864年)11月15日、水戸天狗党が上州七日市にやってきた。
僅か1万石の七日市藩兵力だけでは抗しがたい。かといって領内本街道を通すのを潔しとしなかった横尾鬼角という家臣が。。。
「僅か1万石の小藩とはいえ弓矢もござれば、手をつかねてお通しもなり難し!!」
と啖呵を切り、間道を案内して僅かに面目を保った。
その後、下仁田で戦火になる。七日市藩は参戦しなかった。単独で戦った高崎藩は撃退される。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

天狗党を間道に案内した横尾はこの時は藩を救ってカッコいいのだが、その2年後の慶応2年(1866年)、藩内部の陰謀に加わって失脚するから世の中どうなるかワカランものである。
この事件は江戸詰留守居役の芝塚助八とその党派が藩主利豁(トシアキラ)を廃立し、若年の利昭という幼君を擁立して藩政を独占しようとしたもの。芝塚は横尾鬼角を派閥に誘った。
だが一連のアヤしい動きは本藩の知るところとなる。芝塚と横尾は俸禄を剥奪され永蟄居を命ぜられ、その後すぐに明治新政府の時代になって明治6年1月に最終処分が言い渡された。内容は、放免される代わりに民籍に編入されたというもの。士族を剥奪されたのである。
でも時の司法省にしえは寛大な処分ではないだろうか。
横尾にしてみれば派閥を間違えたとしか言い様がないが、天狗党を七日市に入れなかったことで罪一等を減じたのかも知れない。

七日市藩内が佐幕派と尊攘派に分かれて抗争したかどうかは私の調査では不明のままに終わったが、藩としてはいち早く新政府側についた。

最後の藩主前田利昭は七日市藩知事になるが、やはりここでも加賀本藩の後見を受けている。
藩創始時には江戸幕府から直々に領地を貰ったが、その後は本藩あっての七日市藩という位置づけでしかも1万石の小藩の悲哀も感じられる。本家加賀藩はある時はトテモ頼りになるが場合によってはいろいろ容喙もあっただろう。でも本藩があったのは七日市藩にとってはうるさいながらも幸運ではなかったか。そういう後ろ盾が無い小藩は直に商人から借金するしかなかったのだから。。

(本家加賀藩が江戸出府の折に七日市に宿泊したら大勢の一行を饗応したのだろうか。宿泊費はどっち持ちだったのかな?)

七日市から北に群馬100名山のひとつ崇台山(そうだいさん299m)があって安中市と接する境です。その山の中腹に長学寺というお寺がある。
長学寺入口.jpg
長学寺1.jpg長学寺2.jpg
創建以来1000年、曹洞宗の古刹で七日市藩前田家の菩提寺です。
そこへ至るまでの里と一本道の周辺には人家は殆どない。人もいない。対向車ゼロ。この道はその寺へ行く為だけの道といっていい。
里の風景.jpg
そこへ至るまでの道1.jpg
そこへ至るまでの道2.jpg
前田家と七日市藩解説版.jpg
前田家の墓所解説版.jpg
前田家の霊廟案内.jpg
七日市藩前田家の廟所は山の斜面の段にあった。お墓なので写真は撮っていません。
前田家の霊廟へ.jpg
墓所入口.jpg

七日市藩は富岡高校の敷地になっているが、ここにはもう一つの史話が眠っている。
それは昭和史、秘匿された軍部のものです。
これぞ陸軍中野学校終焉の碑.jpg
陸軍中野学校??
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