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蕎麦宿の夜 [会津]

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ガッタンゴー [会津]

蕎麦宿を出て大川(阿賀野川)河原に下りたところ。
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河原はいつ何時増水するかわからないので気を付けてください。

湯野上温泉駅近く、W酒店脇の日光街道踏切から。
W酒店脇の踏切から.jpg

いつもの宿の窓辺から。
いつもの光景1.jpg
いつもの光景2.jpg

いつもと違うモーター音だと思ったら。。。
保線作業車?.jpg
保線作業車かな。引っ張っられているのはトロッコのような台車です。取り替えレールを積む場合はトロッコを連結します。
会津下郷駅か会津田島駅の車両基地に向かってます。
ゆっくり走ってましたよ。会津鉄道は単行鉄路で通常運行の列車ダイヤに余裕があるから合間合間に回送しているんでしょう。

タイトル借用は、地図の無い旅、監修のきくぞう氏(ぐーたら氏)の承認を得ております。(^^)

↓ このオークション広告は私がUpしてるんじゃないです。何ですかねこれ?
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會津Kitchen [会津]

お店の全体写真.jpg
小田山から下山途中でジャン妻が、
「何処か美味しいお店でランチが期待できるんでしょうねぇ。。。」
強請たかりじゃあるまいし。だがご褒美、報酬を要求されるのは想定の範疇ではあった。
和食より洋食がいいと。蕎麦やラーメンも却下。となると選択枠が限定されるが、あれもこれも選ばなくてもいいから簡単でもある。何故なら会津若松市内は駅に近づけば近づくほど空洞化していて飲食店、特に洋食系のレストランが散見されないのだ。
猪苗代や裏磐梯の方がありますよ。観光客向けにね。でも任せなさいって。ひとつの洋食屋さんがアタマん中に浮かんでるんだからさ。
入口にあったワイン.jpg
その店は有名な鈴善漆器問屋さんと併設している。
敷地内に漆器問屋、漆蔵、蔵座敷、漆資料館、そして同じようなレトロな蔵のレストランが118号線に面している會津Kitchenというレストラン。
数年前、この店の通り向かいにマーティンという店に行ったことがあって、そこの窓辺から會津Kitchenを見て、「よさそうだな、次回は行くべぇ」というのがアタマの隅にあったの。
マーティン.jpg
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-02-05
この記事の時点で會津Kitchenを意識してますね私。
1年半経って初訪問です。
パーキングは共同.jpg会津Kitchen拡大.jpg
鈴善漆器問屋さんとの共同駐車場に停めます。会津漆の蔵と一体で、幾つかの蔵を改装してそのうちのひと蔵をレストランにしたのではないか。
お店のフロアスタッフは美人でその一人は外国人さんみたいだったが、会津弁丸出しでなくともイントネーションが会津そのものだったので吹き出しかけた。
サラダバーのジャン妻.jpg
女性客多し。
殆どが会津訛りのお客さんなのが意外だった。
ラザニアが良く出てましたが、私らはランチハンバーグコースを選んだ。会津旅で肉なんて馬刺ぐらいしか喰わないからね。
照り焼きハンバーグ、目玉焼きハンバーグ、チーズとトマトのハンバーグ、フォアグラとアボガドのハンバーグ、この4種からチョイスして、前菜、スープ、ライスorパン、ミニデザート、ドリンク。プラス、サラダバーを追加。旅行や出張絡みだと野菜を採らなくなりがちになるから。ここまで行くと1399円の通常価格にちょっと加算される。
サラダバー1.jpgサラダバー2.jpg
サラダバーチョイス1.jpg
サラダバーチョイス2.jpg
サラダバーに行ってみたら、そこらのファミレスなんかとは比較にならないくらいに・・・比較すること自体がこの店に対して失礼なんですが・・・丁寧なサラダでしたよ。カブのマリネ、会津青菜と蕪菜のペペロンチーノ、キノコのバターソテー、他全部で7種。
「珍しいね。カボチャ食べるなんて」(ジャン妻)
「俺は煮物の触感(食感?)が嫌いなだけ」
焼いたカボチャか素揚げなら食べます。カボチャの上にあるのはジャガイモに見えますが大根です。
前菜1.jpg
この店、HPでは会津産食材だけで作るメニューと謳っている。
サラダバーが秀逸だったのでこの店の素材は信用しましょう。前菜から始まってひとつひとつに料理の説明がちゃんとあったし。
説明に時間を取られてご新規のお客さんがちょっとウエイト状態だったかな。

実はこの店を疑うわけではないが、昨今の偽装メニュー事件が会津若松市内でもあった。
前に利用してた会津若松〇〇〇〇〇ホテルの最上階レストラン、〇〇〇〇〇でメニュー表記と異なった食材が使用されていた。
記事によると虚偽表示は4品、既製品ウインナーを手作りウインナー、バナメイエビをシバエビ、インドネシア産エスカルゴをフランス産、トラウトサーモンを秋鮭として提供していた。
私らは数年前にそこを数回、利用しましたよ。朝メシでね。夜は「麦とろ」や「籠太」に行くから。だからそういう偽装ニュースを見て聞いてもどうでもいいやっていう気持ちだった。エスカルゴのインドネシア産、フランス産と言われても比べたことないしワカラン。そういう店は素材の説明なんかしないしね。

いつの間にか満席になった。
年配層の女性客もいて、広い客層、年層なんですな。だが気づいたのは殆どのお客さん皆、会津訛りなんですよ。
はて?観光客は俺らだけだろうか。

ハンバーグは。。。
「これって牛100%かな」
「そうじゃない?」
今はないけどハングリータイガーみたいでしたよ。ジューシー。肉の味ぃぃぃといった感じ。
チーズハンバーグ.jpg
照り焼きハンバーグ.jpg
もしかして前菜は会津漆器かも?
気付くのが遅いかな。
ウップ.jpg
デザートが甘くってねぇ。
アタリマエだって?私には拷問に近かった。披露宴なんかでもデザートで一気に腹が膨れるが、別腹のない私にはこの店のデザートは甘くて苦しかった。あっ、美味しくないってことじゃないですよっ。
お会計時に、「結構なお味でございました」と言って出ました。レジの女性は嬉しそうだった。
入口.jpg
レトロな外観、清潔感のある店内、地野菜の利用、及第点以上のものはあった。
昼時は混雑必至で客層は地元の女性客、それもやや年配の女性客が多い。
何故、地元客が殆どを占めているかというと理由は簡単。会津を訪れる観光客は洋食なんか食べないからですよ。
http://www.aizukitchen.jp/index.html
会津キッチン.jpg
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麦とろ [会津]

麦とろ.jpg
店内.jpg

大田和彦氏が日本一と謳う会津坂下の馬刺です。
馬刺.jpg
「今年は熊はよく出ったな・・・。何人か襲われて亡くなったし」
「猪は?」
「猪は前は会津にいなかったの。阿武隈系にはいるんだけどそっちのがこっちにも来てるみたい」
「捕獲して食べたりするんですか?」
「いやいや、ちょっと喰えねぇんだな。例の問題があっで・・・」

他では味わえない鰊の山椒漬。
身欠き鰊を山椒の葉やしょう油、酒、酢で漬けたもの。保存食です。
会津地方は海が無いので貴重な蛋白源だった。噛むと口中で旨味がじんわり溶け、鼻から脳天へ爽快さが突き抜けます。すぐ酒が欲しくなる。
鰊山椒漬.jpg

こづゆです。
三杯、お代わりしました。何杯お代わりしてもいいんです。
こづゆ一杯め.jpg
こづゆ二杯め.jpg
「麦とろ」は、馬刺、こづゆ、鰊山椒漬には絶対の自信を持っている。
「こづゆはオメデタイ時や法事とかで出るの。冠婚にはニンジンを入れて葬祭にはニンジンを入れないの。売ってるこづゆセットみたいなモンがあっけどああいうのはやめどき。ウヂのが一番美味ぇっがら」
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「ざくざく煮とはまだちょっと違うんだなぁこれが」
ざくざく煮とこづゆは根野菜こんにゃく、白滝を入れるのは一緒。薄い醤油も一緒。似てるんですが違いはダシです。ざくざく煮は煮干、こづゆはホタテ、貝柱の戻し汁なんです。薄味です。
「必ず水からゆ~ぐり1日かけで戻すんだ。急いでお湯沸かしだってうま味が出ねぇんだ。」
どちらも乾物ですがホタテの乾物は高価なのでこづゆは武家料理だったといいう説がある。
京都守護職だった時代を含め、京都から持ち帰られた料理だという説もあるので、薄味の京料理がベースになっているのかも知れない。

(余談ですが、蕎麦宿でも一度、こづゆ風の汁が朝餉に供されたことがある。その時は味噌汁のお椀に汁が並々入って熱々で、けんちん汁のような風味だった。)

とろろ天.jpg

「ホタテは薄く切るよりブ厚いまんまの方が甘くて美味ぇんだ」
「ウチのポテサラは魚肉ソーセージを使うの」
それと、卵を7つぐらい使って一気に焼き上げる厚焼き玉子。
ブ厚いホタテ.jpg
ポテサラ.jpg
厚焼き玉子.jpg
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実は弟さん夫婦.jpg

「日頃都会で美味いモンばっか喰っでっから、うぢで出るようなもんぐいだぐなんだっぺ?」
処理済~お婆ちゃん.jpg処理済~旦那さん.jpg

沢庵になる大根.jpg
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官兵衛さん起きてくなんしょ [会津]

御酒を賜る官兵衛.jpg
鬼の佐川官兵衛が松平容保公から御酒を賜っている。
場所は鶴ヶ城内黒金門、容保公と養子、喜徳公の戦時中の御座所だった。城内で最も安全な場所ある。
飲み干す官兵衛.jpg
慶応4年8月29日未明、官兵衛を主将に約千名の出撃隊が夜明けとともに郭外に出て、城外西、長命寺方面に展開する新政府軍を攻撃、補給路を確保しようとした。
その前夜、容保公は官兵衛他を黒鉄門の御座所に召し出し酒肴を振舞って激励した。御酒を頂いたのは官兵衛以外にもいたようである。
官兵衛は名刀正宗を賜った。他、未明に出撃する300数十人の上士たちが容保公の前で血判し、多くは懐中に、「八月二十九日討死、何ノ某」と書いた紙片を持っていた。官兵衛の父、幸右衛門直道も出撃したのだが、幸右衛門の下着には、「慶応四年八月二十九日討死佐川幸右衛門直道生年六十三歳」とあったという。
官兵衛も決死の覚悟で気合十分。御前で、「西軍を打ち払いまする。万が一失敗したときは再び入城することはない」とまで宣誓して主従別れの酒を酌み交わしたのだが。。。
殿の御前ですよ.jpg
夜が明けた.jpg
官兵衛寝坊した。[あせあせ(飛び散る汗)]
そんなに飲んだようにも見えなかったが緊張感を強いられた連日の疲労にがッと出て気が緩んだのだろうか。慌てて飛び起きて出撃したが時既に遅し。未明の夜襲が夜襲でなくなってしまい、必定、陽が高くなってからの戦闘になってしまったのである。
起きてください.jpg
こういうドジはサラリーマンだったら一度や二度は経験するでしょう。私だってある。でも若い頃です。近年は飲み過ぎて寝過ごしたなんてのはないです。
今何時だ?.jpg
ジャン妻はこの官兵衛の酔態というか、寝坊して出撃が遅れた体たらくを見て怒った。
「何これ!!」
「・・・」
「こんなのあり?」
「・・・」
「何故誰も起こさないのよ」
俺に言うな。脚本家に言えよ。
起こそうとした者はいたらしい。高木盛之輔とも井深梶之助ともいう。遅ればせながらも向かった戦線が鶴ヶ城西北の長命寺というところ。
長命寺.jpg
長命寺は現在、本町というところにある。鶴ヶ城三の丸前の道を西へ向かい、突き当りを右折、2つめの信号を左折・・・したいのですがそこは一通なのでその次の道から迂回した。
駅方面からだと桂林寺通りにある有名な味噌問屋、満田屋から4つめの信号を右折して突き当りです。
長命寺築地塀.jpg
本堂正面に入口、山門があって、そこから左右に土塀が伸びている。そこに弾痕がある。
右塀と弾痕.jpg
弾痕UP.jpg
寝過ごした官兵衛が向かった長命寺の境内に大垣藩兵他が立籠もっていた。
大垣藩と会津藩は戦前までは特に遺恨や利害関係はなかったようだが、戦時に突入してからは娘子軍と相対し、中野竹子を斃し、神保雪を捕えて自刃せしめた藩兵である。他に土佐藩兵と備州藩兵がいた。

官兵衛率いる城兵は、最も多い兵数の記録で朱雀隊、砲兵隊、正奇隊、歩兵隊、進撃隊、別撰隊といった諸隊1500人。
一度は大垣藩兵他を寺から追い出したらしいが、後方から長州藩、大垣藩の砲撃を受けて苦戦、奪回された。奪ったり奪われたりなので寺こそいい迷惑だが、塀の弾痕が新政府軍の放った銃弾か、籠城軍の放ったものかはわからない。寝過ごしたとはいえ一旦攻守が入れ替わり入り乱れての戦闘だったのではないか。
長命寺の官兵衛.jpg
弾痕は門扉を挟んで土塀に1数発あっていずれも小銃弾痕。平成○年に補強、復元されてるので弾痕のレプリカといっていい。施工業者が弾痕の穴を穿って壁を塗ったのかもしれない。
無数の弾痕.jpg
長命寺でも例の仕打ち、戦後の心無い仕打ちを訴えている。
このBlogではこれまであまり取り上げなかったが、新政府が会津藩戦死者遺体の埋葬を許さなかったというもの。
ここ長命寺に限らず城内市中にあった籠城側の戦死者遺体は賊軍ということで葬る事、手を触れる事さえ許されなかったと銘記してあった。
会津藩戦死者の墓へ.jpg
戦死者の墓説明版.jpg
当時の長命寺住職、14世幸證という僧が埋葬の為に奔走、埋葬が許されたのは明治2年2月14日(旧暦)で、埋葬の地は神指町の薬師堂河原罪人塚もしくは小田山を指定されたが、有志の奔走が実って阿弥陀寺、長命寺の2寺に限り許された。
最初は土饅頭にして三つを僧自ら埋葬した。墓標を建てることは許可されなかった。
明治11年4月になってから有志の奔走が実り、ようやく「戦死墓」とだけ記した石碑を建てることができた。戦死者の氏名など書くことはできず、埋葬者145名と記録にはある。
確かに墓があったが、「戦死墓」とだけ記したデカい碑があるだけ。ひとまとめに埋葬しただけの感がある。
随分な仕打ちではある。

隠れた挿話がある。
官兵衛が出撃する際、容保公は馬に乗って太鼓門前で見送ったという説がある。ってことは寝過ごしたのを知ってたのだろうか。
正午になって長命寺方面苦戦の報を受けた容保公は、官兵衛が自棄になって死に急ぐことを懸念して、平尾豊之助という家臣を派遣し官兵衛を制止するよう命じたとも。
しまったぁ.jpg
寝過ごしたぁ.jpg
官兵衛が主役.jpg官兵衛が寝過ごしたのを裏付ける史料が見つからないのだが、作家、中村彰彦氏は官兵衛が主役の長編を刊行している。やはり寝過ごしていましたね。
後日、官兵衛は挽回してもいる。バツ悪く城外で転戦する官兵衛は容保公の前で宣誓したとおり城内に戻らず城外戦線に留まり、9月5日、西若松駅の西方、材木町の秀長寺から出撃して寡兵で新政府軍を破り、鉄砲、弾薬、糧秣、毛布等を鹵獲して城内に収めた。
この戦闘は局地戦とはいえ、喜多方の熊倉、西若松の一ノ堰2連戦と並んで会津軍が新政府軍を破った勝利戦である。
材木町.jpg
官兵衛はその後も城内に戻らず、降伏開城後も南会津で戦う。
バツが悪くてどのツラ下げて城内に戻れるかと自分でも思ったに違いない。
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小田山 [会津]

砲撃陣地跡その1.jpg
新政府軍砲撃陣地.jpg
新政府軍が母成峠猪苗代~十六橋~滝沢村を突破して若松城下に攻め込んだ時、会津藩諸隊は四方の国境に主力藩兵を派兵していたので城内戦力は数量質量とも低下していた。
甲賀町を突破して御城下に攻め込んだ新政府軍はここまで連戦連勝だったのだが、ナメてかかったのもあって当初は1日で陥落させるつもりだった。だが北の丸前に散開したら八重が率いる守備兵の銃火に撃退され一旦は城外に引いた。
包囲したが長期戦はしたくない。殆どが南国西国の兵なので冬が来たらヤバイと思ったのである。早期に決着を付けるべく何処かに大砲を据え付ける山はないかと地理を見回したら、鶴ヶ城から僅か1.5km足らずの東側に恰好な山があって、それが標高372mの小田山。陣地は中腹にある。
鶴ヶ城と小田山の位置関係.jpg

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小田山は蘆名氏の詰城というより新政府軍が鶴ヶ城を砲撃して攻めつけた陣地で有名なのだが、現地では例によって攻められた側、受け身の立場で訪れる人に訴えている。
西軍この地より、鶴ヶ城を砲撃する・・・と書かれた説明版に気になる一行があって、地形上すぐれていることを内通する者がいて・・・西軍は小田山上に堡塁を築いた・・・とある。

誰が内通したのだろうか。
説明版には内通者がいたと簡潔に記されているだけ。どうも内通者を出したもとが現在も市内に存続しているので、敢えて詳しく触れていないようにしているかに感じられる。

会津藩は村々に重税を課したのもあって領民の心は領主から離れていた。
加えて目を覆いたくなるのが会津藩が国境守備から撤退する際にやたらと村々に放火する悪癖があって、私が見たものでは石筵村(母成峠向こう)、猪苗代、塩原、関山、栃沢・・・他にもあるかも知れない。そういうのを知ったのもあって内通したのは苛斂誅求に抗した地元農民かと思ったらそうではなく、何と城下のお坊さんだった。
現在の鶴ヶ城の東に県立博物館があって(県庁所在地でもないのに県立博物館があるという自負、プライドでもある。)博物館に併設した運動場の東にある○○寺の僧侶が内通した。
寺社に対する政策で藩に含むところがあったという。
内通した坊さんは皮肉にも蘆名家庶流の末裔とも伝わる。末裔なら何故、ご先祖さんが小田山に詰城を置いたかは承知しているだろう。
砲撃陣地跡その2.jpg
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だが坊さんが教えなくても小田山には会津藩の火薬庫が置かれてあったのでそれを手中に収めようと新政府軍が気付いたに違いない。
「会津戊辰戦争」には「小田山ノ北麓ニ火薬庫アリ。奥行十二間、間口三間半アリ、精製火薬五百貫ヲ蔵ム。小田山ノ西軍属々来リテ之ヲ奪フ、城兵之ヲ運ブコト能ハズ」
自らの火薬を会津藩は迂闊にも回収できなかったのである。回収できないうちに新政府軍が小田山を占拠した。
射撃場跡.jpg
小田山の散策路途中に、八重や白虎隊士が射撃訓練をした場所という説明版があった。畏れ多くも会津に初めて下向した蘆名七代直盛公の母、金峯尊公大禅尼の墳墓を射撃の的にしたという。射撃場にしたということは小田山から必然的に城内を見下ろしたこともある筈。火薬庫があったことも知っていただろう。具申しなかったのだろうか。上層部には届かなかったのだろうか。
火薬弾薬を回収できないなら爆破しちゃえと。これは成功した。
「廿五日決死ノ足軽二名密カニ之ニ近ヅキ火ヲ庫内ニ投ジテ之ヲ爆破セリ。此声数里ノ外ニ達シ激震鳴動万雷ノ一時ニ落チルガ如ク、四方ノ山谷に避難セシ市民モモ鶴ケ城一時に焼破崩壊セシモノト信ゼリ」
決死の足軽二名が爆破した。

恰好の砲撃場を教えて貰った新政府軍は佐賀藩のアームストロング砲の改良型(射程距離3000m以上)を主に据え付け、他にも薩摩、土佐、鍋島、松代、大村、岡山、加賀諸藩が砲門を開いた。
小田山と鶴ヶ城は直線距離1.6kmで比高差は140m。試射の段階では本丸まで届かない砲弾もあったが砲口を上に向けたら本丸まで余裕で届いた。射角を上げると命中率が低下するが別に天守閣を狙わずともよく、冬が来る前に早く降伏させるには城内の士気を低下させ銃砲を沈黙させるにしかず。届けばよかったので城内何処を狙っても同じであったろう。
以後、降伏前日まで砲門が火を吹くのである。
小田山から砲撃する新政府軍.jpg
山道脇の砲撃陣地跡に立つとここから城内や天守閣が丸見え。素人目でも直線上に位置してるのがわかり、ここからブッ放せば効果絶大なのが想像される。
鶴ヶ城方面.jpg
それでも現在は市街地なので、やや目を凝らさないと最初は見つかり難い。殆ど同行するように歩いて来たいち家族の3人さんがいて、「お城は何処だろ」とお嬢さんに問いかけていた。先に見つけた私は黙ってその方面を指した。
「届くのかな?」、「届いたからここだったんでしょ」という親子の会話が聞こえた。
Up.jpg
小山田は会津を開いた蘆名氏の聖地ともいっていいのだが、この戦闘時には地元でありながら禍の山となってしまった。だが内通者がいたとはいえ戦略的に取り込まなかった藩の責任であろう。
その小田山に対して城内も四斤砲で応戦した。
「若松記草稿」には、「敵、小田山或ハ山下、建福寺門前ヨリ大小炮発スル、雨ノ如ク。別撰組、延寿寺庭山ヲ楯トシ発炮、天神口ヨリ。隊大砲ヲ発シテ応戦ス」
四斤砲は射程距離は2000mだからまずまず届いたようである。
「会津戊辰戦史」から、「大砲隊士戸枝榮五郎、鯨岡平太郎及ビ川崎尚之助等野戦四斤砲を南門外、天神口ニ装置シテ小田山ヲ迎撃ス。西軍大ニ苦シム」とあって、ここで八重の最初の旦那、川崎尚之助さんが出て来る。
八重と尚之助1.jpg八重と尚之助2.jpg
大河で八重と尚之助が大砲をゴロゴロ引っ張って行き、夫婦揃って城内から討ち返した場面があった。あれはドラマの演出かと思ったらどうも実際にあったようで、後年の聞き取り書物、「会津戊辰戦争』には、
「砲術師川崎壮之助時ニ豊岡ニアリ性沈毅能ク衆ヲ督シテ戦フ、山本八重子曩(さき)ニ兄覚馬ニ就テ砲術ヲ練習シ其ノ技ニ長ズ、終始男子ニ伍シテ、奮闘甚ダ務ム」
豊岡とは城内三の丸にあった豊岡神社(豊岡東照権現堂付近)のことで、三の丸の南、小田山を向いた辺りらしい。
尚さん1.jpg打ち返す1.jpg
打ち返す2.jpg打ち返す3.jpg
9月14日から新政府軍は総攻撃に踏み切る。
一昼夜で小田山から2000発の砲弾が撃ち込まれた日もあったと言ったのは白虎士中一番隊生存者の永岡清治という人で、城中の惨状を記録している。
「各郭門ヨリ発スル大砲ハ、ソノ他西北ヨリ城中ニ発スル大砲ト相和シソノ破裂間断ナク、頭上、脚下、万雷ノ吠ユルガ如シ・・・(省略)・・・城中死傷算ナク火消組ハ屋上ニ上リ火ヲ防ギ、喬木倒レ建造物覆リ、ソノ音響ツギヲ追ウテ絶エズ」というありさま。
実際は小田山からだけでなく、城外の荒神という村や慶山村の畑地や、城下外郭にあった16の郭門に放列を敷き、三方から総計50門以上の大砲が砲門を開いた。被弾は天守閣や楼壁を貫通し籠城兵や婦女子を殺傷し、野戦病院に落ちて病臥していた病傷兵をも爆死させた。
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会津藩のボンクラ門閥家老たちは小田山に気付かなかったのだろうか。
歴代の城主たち蘆名、蒲生、上杉は皆、鶴ヶ城を見下ろせる小田山に気付いている。蘆名氏の詰城だった過去まで思い出さなくても上杉景勝&直江兼続のコンビが、小田山からは城内を見下ろされ天守や建造物が恰好の目標になるから最大の弱点である気付いて若松市西方の高瀬というところに神指城を建設した逸話すら思いつかなかったのだろうか。
皮肉の極みである。
かつて会津の盟主だった蘆名氏が詰城として作った小田山の存在価値が敵方新政府軍によって立証されたのだから。
ジャン妻の背中.jpg
武田宗三郎という藩士がいる。。
戦時は20歳、朱雀隊寄合隊士だった。小田山を内通した問題の僧侶に対して戦後に報復感情が芽生えて越後高田の謹慎場へ護送途中で脱走して舞い戻って報復した。
恨みを持ち恨まれる、虚しい輪廻である。
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小田山 [会津]

昭和になって復元された白亜の楼壁、赤く塗られた瓦の会津鶴ヶ城から約1.5km東に小田山という山がある。
そこにはこんなのがある。
冠木門1.jpg
前から一度、行きたかったのだが、行く前に一悶着あった。
「山に登らないって言ったじゃない」(ジャン妻)
「そうは言ってない」
「公園だって言ったモン」
「小田山公園って言ったの。小田山っていう山だけど山頂までキツくないし、道は整備されてるから大丈夫」
強引に説得して連れて来た。
いつもこうなんです。何処か取材に行くから付き合えって言うと、そこは山なの?サンダルで歩けるの?って必ず逆質問が返って来る。
以前も伊豆の狩野城、韮山城、上州の後閑城に行った時にブツクサ言ってましたね。公園化されてそれほど高くないとこでも、「まだ登るの?何処まで行くの?」ってブゥブゥ言いよるんです。
頂上まで行ったら後はサッサと下りたがる。早く降りてきなさいとまで言う。上州滞在中の天気のいい日曜日に後閑城に行った時なんか、「後で喫茶店でコーヒー飲ませてくれるんなら付き合う」とう条件付きだったからね。シブシブ付き合った感じ。
私が見ようとする世界もかなりマニアックで偏ってはいるが、これほど観光に興味がないオンナも珍しい。
風景を見るだけならいいんだそうです。湖とか、滝とか。

鴫山城.jpg解説版があればフムフムって見入ってる時もある。でも見ても忘れる。何処を見ても行っても記憶が殆ど残らないらしく、会津田島町を走る度に鴫山城(写真左)を見て思い出したようで、「そういえばあの山、天辺まで付き合ったわね。何の苦行かと思った」
越前の七尾城に行った時は他に同行者がいたのでプライドが優先したらしくさすがにブゥブゥ言わなかった。七尾城は中腹までくるまで行けますからね。
訪城口2.jpg
訪城口1.jpg
麓の登り口.jpg
小田山は公園化されています。
この山に行くには若松市街の東側をぐるっと廻る64号線を南下して天寧寺町の先、花見ヶ丘辺りを左折して小田山通りに入り、坂を直進すると右手に登山口があってそこから細い道を走ると6台ほど停める駐車場がある。そこからは歩きます。
登り口にあった案内図には頂上まで片道1kmちょっと、往復2km強あった。これを先に見せたらジャン妻は訪頂拒否するに決まってるのでさっさと歩いた。
散策ルート図.jpg
幸いジャン妻は色づいた紅葉キレイなのでそっちに気を取られたようで、「今年は急に寒くなったから(葉が)いい色をしてるわね。でも杉の木がジャマね」なんて言いながら写真撮ってた。

会津鶴ヶ城の前身は黒川城というのだが、まだ城のカタチを呈していなかった頃、会津には蘆名氏一族がいた。
蘆名氏の創設者は三浦半島を本拠とする三浦一族、頼朝創業時功労者の一人三浦義明の十男、佐原十郎(十男だから十郎?)義連という人から出ている。
義連は文治5年(1189年)に会津を拝領したが入国はしなかった。遠かったので家臣を派遣していたんでしょう。
それから20代の長きに渡り蘆名氏も疲れが見え、蘆名義広(常陸佐竹氏から蘆名氏養子に来た人)が天正17年(1589年)磐梯山麓摺上原で伊達政宗軍に大敗北するまで400年も会津にいた守護一族で、この小田山は蘆名氏の最初の詰城です。文和3年(1354年)に作った。永徳3年(1383年)に蘆名直盛という人が修築し強化した。
文和3年っていつ?
永徳3年っていつよ?
蘆名直盛って誰?
知らなくても日常生活に支障は無さそうだが蘆名氏で最初に会津に下向したのが直盛という人です。

処理済~向羽黒山城のジャン妻.jpgそれから180年ほど経って蘆名氏が名実ともに会津の盟主ではあるが、北から伊達親子がちょっかいをかけて来る頃になって、蘆名盛氏という蘆名最強の盟主が永禄11年(1568)に会津鉄道門田駅すぐ西に見える岩山、向羽黒山に移転したら小田山は殆ど捨てられた。小山田は峰々に配置された番所、烽火山程度に番付が下がった。
向羽黒山城(写真左)に登った時もジャン妻はブゥブゥ言ってましたね。高さに関係なく山や高所に徒歩で登るのがイヤらしんだな。
小郭と休憩場.jpg
郭の説明版.jpg
小田山しろ.jpg
小田山は山の峰々に小さい郭を連続して広げ、城域は山頂を中心に広範囲に及ぶが古いタイプの城塞なので、武田や北条の技巧を凝らした城塞に比べると単調でツマラないかも知れない。
会津藩の名執政と伝わる丹羽家墓や田中玄宰の墓(はるなか)、会津藩出身で最初に陸軍大将になった柴五郎の墓などを中心に平場が約25段ほどあるらしい。
柴五郎.jpg
(余談だが、柴五郎は鶴ヶ城に続いて後年、清国で二度目の籠城戦を経験、指揮する人。
彼が昇進する度に薩長閥の一部の元老は影で罵ったらしい。アイツは会津藩じゃないか、何で将校にするんだって。
柴五郎本人は、「薩長閥でないからといって軍部で迫害を受けたことは一度もない」と言ってもいる。でもそれは大将まで上り詰めてこそ言える台詞で、西郷が城山で自刃し、大久保が紀尾井坂で暗殺された時は日記に喜んでもいる。この辺り、現代人の我々からは伺えないくらいに複雑な心境であったのだろ。)

ジャン妻はイヤイヤながら登って来る。私の方が足が速い。
「ホント、アナタはこういう目的があると早いんだから」
遊歩道なんだからそれくらい歩いて欲しいね。
上州の国峰城なんかに比べりゃぁ楽チンですよ。

整備された砂利道を登って行くと復元されたこんなものが合った。
冠木門2.jpg
滑る階段を上る.jpg
門を潜る.jpg
冠木門です。当時は白亜の楼郭も豪壮な天守も櫓門もなかった時代だから。まぁ当時の雰囲気を出してはいます。
この門への階段は濡れ落ち葉が敷き積もって滑ります。
門の両側には柵や塀が復元され、蘆名の幟が所在無げに萎れて立っていた。塀の裏には土居があったが、実際は土居の上にこういた塀や丸木で組んだ柵があった筈である。
塀と土居.jpg
門内にジャン妻が入ったところ.jpg
丸太の柵.jpg
蘆名の幟.jpg
小田山城説明版.jpg
小田山城のマンガ.jpg
虎口と土居.jpg
大手口の説明版.jpg
遊歩道は未だ続く。
山頂は前述の田中玄宰の墓です。
私ん家に田中玄宰を描いた書籍があります。
田中玄宰の書籍.jpg
そこから先に物見台がある。
「未だ行くの?」
そこから先は自然地形に近かったので私ひとりで行くことにした。ジャン妻は物見台に待たせた。
山頂部.jpg
遊歩道が続く1.jpg
遊歩道が続く2.jpg
物見1.jpg
物見2.jpg
物見にある説明版.jpg

背後の尾根を断ち切った堀切らしきものは雑木林で起伏が確認し難い。後世の石切り場だったらしく地形が壊変されているようです。
その先の尾根道へも進んだんですが、途中から下りになったのでそこで引き返した。
途中で親子3人とすれ違ったので、「こっから先は何もないですよ」と余計なお世話を言ってさしあげました。
堀切跡へ.jpg
堀切は判別不明瞭.jpg
その先は雑木林.jpg
10分たらずで物見で待つジャン妻のもとへ戻ったのですが、戻る途中で、
「ちょっとぉぉぉぉ~」
物見台に取り残され焦れたジャン妻が俺を呼んでいる。
「何処まで行ってたのよっ」
時間にして10分たらずですよ。それくらい待てんのか。
「熊が出たらどうすんのよっ」
確かに麓に「熊が出ます」という表示はあった。でも、「熊の方が逃げるから大丈夫だよ」とは言わなかった。
さっさと引き上げようとするジャン妻.jpg
会津盆地を望む.jpg
磐梯山が見えた.jpg
では下山します。
遊歩道は要所要所にそこまでの歩行距離が明記してあるのだがジャン妻は今頃気付いたらしい。距離を見てジャン妻の眦が吊り上った。
「ここまで1kmちょい??」
「・・・」
「帰り往復2kmもあるじゃないの??」
たかが1kmじゃねぇかよ。文句の多いヤツだな~。
このオンナは自然散策に向いてないですね。更に追い打ちをかけるように、「ここまで付き合ったんだからお昼はさぞかし美味しいランチが待っているんでしょうねぇ」という交換条件が付随したからね。
美味しいランチだとぉ?
そのアテはつけてあるし行ってみたら実際に美味しかったのだがその前に書かなきゃならないことがある。
小田山が現代人にとって最初に有名になったのは蘆名氏でも復元された冠木門でもない。
他にも蘆名氏の廟所だったり、前述の名宰相や陸軍大将の墓があったり、古墳が眠ってたり、後述する射撃場や火薬庫があったりして盛りだくさんなのだが、それらを知らなくても、「伊達、蒲生、上杉なら知ってるし、容保公も今年見たわよ、でも蘆名なんて知らないわ」っていう人でも、会津側から「ここはこういう場所だったんだ。ここから。。。」。。。というあの場所で知られる。
新政府軍の砲撃陣地だったのである。
新政府軍砲撃陣地.jpg
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鶴ヶ城と月 [会津]

慶応から明治改元の詔書が出たのは慶応4年9月8日(1868年10月23日)で、1月1日に遡って明治元年としている。明治5年までは旧暦を使用していたので現在の西暦(グレゴリオ暦)とはややズレがある。
会津藩が降伏して鶴ヶ城が開城した明治元年(1868年)9月22日は旧暦で、現在の新暦では11月6日。そろそろ寒くなって来た頃、砲弾、食糧が尽き、降伏開城した。
降伏後の鶴ヶ城.jpg
明日の夜は何国の誰かなかむらん なれしお城に残す月影。。。
降伏開城前夜、八重さんが何処かの崩れ落ちた城の白壁に己の簪で掘った詩です。こういう詩がよく即興でサッと詠めるものですね。当時の文系教育の高さがうかがえる。
鶴ヶ城と名月1.jpg
戊辰の戦火から140数年の歳月が過ぎた。
現在の会津若松市は、福島市より観光客が多いんだというプライドがあって、震災以降に激減したが八重効果でまた増えた。でも年内で落ち着くでしょう。

都心や地方都市は時代とともに変化していくものだが、他県から訪れた私から見たら会津若松市内そのものは変化していないように感じる。観光客に向かって頑なに戊辰戦史か会津観光史学を訴えている。いつ行っても同じに見えるんです。
市内の発展もそれほど見られない。街の中心部が空洞化している。
観光の目玉は会津戊辰史が主で、当時の無念さを現代の世に訴えるものが圧倒的に多い。
(秘匿されているものもあるが。)
これから5年経って150年めが節目かもしれないが、それ以降も変わらないかも知れない。

城内公園はきれいに掃き清められ至って静かだった。酔客や騒ぐ若者もいない。
降伏開城から未だ145年と10日しか経っていない2013年11月16日夜の風景。
鶴ヶ城と名月2.jpg
今宵昇った月は140年前にも昇って荒れ果てた城下も見下ろしてた筈である。今は何事も無かったかのように影を落としている。

御城下は ときは流れど頑なに お城を照らすは白き月
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春日山城 昭和47年 夏。。。 [隠れ郷土史]

新潟銘酒館と謳った酒場記事が3つ続いた。
その店には「謙信」なんていう酒も置いてあった。マスターも「上杉謙信の飲んだお酒です」なんてホッコリしたジョークでお客さんにススメてた。
今日の記事は謙信公に関連してお蔵入りしかけてもの。

これはある資料にあった明治の頃の春日山城古写真
ハゲ山になってる。
明治の春日山は禿山だった.jpg1 本丸
2 天守台
3 毘沙門堂
4 二の丸
5 三の丸
6 直江邸
7 景勝邸
8 猛将柿崎の邸か、軍師?宇佐美邸らしい。。。



昨年秋に金沢へ行った時、上信越自動車道が上越JCTで北陸自動車道に入ったら、すぐに春日山城トンネルに入った。
春日山城近辺の地図2.jpg
謙信公の春日山城のドテっ腹をブチ抜いているのか?謙信公への冒涜だとムッとしたが、実際はさにあらず、城域のやや南を通っている。
その先、北陸自動車道は富山、金沢方面へ向かう。途中、春日山城の西、桑取には小丸山、番屋、沖見、長浜、長沢、桑取、名立、能谷と越後軍の小砦ネットワークが形成されていた。

春日山城域は後世の拡張や東西南北の小砦ネットワークも含めてかなり広範囲なのだが、最初に誰が春日山城を造ったのかはわからない。魚津方面の織田軍に備えたそれらのネットワークは、現代の建設屋さんが考える道路建設ルートと同じなのはな~んとなく頷ける。春日山城は本城だが、新潟県が細長いのもあって案外と敵国境に近いのです。
現在、春日山本城は公園化、整備されて歩きやすくなっているが、背後のそれら小砦は現在も遺構を留めているが殆ど山歩きに等しいらしい。

春日山城も昭和の頃は今ほど公園化されていなかった。私が小学校五年生で春日山城に登ったって書いたら驚かれますか?
昭和47年頃だったと思います。
ジャン父(故人)、ジャン母と行った。ジャン弟はおそらく親戚宅に預けて従兄弟たちと遊ばせていたと思う。
その時の写真がジャン実家から発見されたのでUPします。

まずこの写真。
春日山駅です。
春日山駅.jpg
今はどうだかわからないが当時はバス便が全くなく、このローカル駅からタクシーで行った。駅に春日山をアピールするものは何もなかったように記憶している。無人駅だった。今はどうなんだろう。
如何にも昭和の車輛、この電車のツラは何系ですかね。
確か無人駅だったと思う。タクシーを何処で拾ったのか記憶にないが、麓の春日山神社まで行ってそこから歩いた。

春日山と名の付くところには大なり小なり必ずと言っていいほど春日神社がある、もしくはあった。
大和国の春日大社は藤原氏の氏神だから、造った城主は必ず藤原氏を始祖とするんだと。越後長尾氏は桓武平氏の流れだが、それ以前の傀儡化する前の上杉氏が藤原氏の出なんです。
上杉家は家臣の長尾氏に取って代わられた。謙信の父親、為景という人がかなりのやり手だったのだが、謙信公や父親の為景の頃は、越後国内はスッたモンだの内乱国だった。越後国は三日月のように細長くて統一が難しい。イロんな気質の豪族が蟠踞して統一が難しかったのです。

三の丸土塁.jpg
春日山城域の縄張りとかはその方面のブロガーさんにお任せします。この写真は私が子供の頃の見学だから、三の丸、二の丸。。。当時は何でそんな〇〇の丸なんて呼ぶのかわかんなかった。〇〇の丸ったって全然丸くないじゃないかって思った。

二の丸なんか草ぼうぼう。夏場だったので藪蚊がブンブンでしたよ。
当時は防虫スプレーなんかなかったですからね。
見ても何だかわかんなかったですね。雑木林じゃんかって。
二の丸.jpg
ガキの頃、親戚の家にお城のカレンダーがあって、それには姫路城、松本城、熊本城といった豪壮建築の天守が載っていた。往時のものか、後世に復元されたかものかなんてわかるはずもなく、建物があって当然と思っていた。
カレンダーの天守は往時のものだと信じて疑わなかった。まさか近世の復元も含まれてるなんて思いもよらなかった。
なので春日山城を見て、石垣もなく、建物が建ってないのを不思議に思った。
土居を見ても、「何だこの土盛?」
空濠を見て、「なんで水が入ってないの?」って。。。
子供心の掘といえばカレンダーで見た江戸城皇居のお堀だったんです。
三の丸.jpg
三の丸に養子景虎がいて、二の丸にいた同じく養子景勝から「出て行け」と言わんばかりに鉄砲を打ち込まれたのを後年知った。そこから泥沼の跡目争いが始まり、越後全土を巻き込む。
それを描いたドラマ、言っちゃぁ悪いが「天地人」は軽かったねぇ。あれを担当した脚本家や演出家は誰なんだ?もうちょっと骨太にドロドロ描いて欲しかったのだが。。。
時代考証もイマイチ。毘沙門堂がまるで何処かの洞窟風呂みたいな毘沙門洞になってたじゃないか。
はねっ返りの本庄繁長や新発田重家は登場しないし。戦闘シーンは殆どなかったし。期待してただけに相当落胆したよ。途中で早々と観るの止めちゃったモン。
景勝VS景虎は小説の方が遥かにオモシロイと思うのだよ。
だがTVの影響は強い。近年の若い子はGacktさんの影響で謙信は長髪だったと思ってるだろうな。

本丸.jpg
本丸の標高は180m足らずだが独立した山なので見晴がなかなかよかった。
これは景勝屋敷や柿崎和泉の屋敷跡を見下ろしたものです。当時、そっち方面は全く整備されておらず、雑木林か畑だった。
天守台からの遠望.jpg
天守といっても近世の白亜の楼閣があったわけではなく、二層か三層くらいの掘立式の櫓だったという。
各郭の屋敷、建物には瓦が一枚もなく、平屋で板葺だったと想像されます。豪雪地帯だからね。

何かの資料に、天守、櫓の1階部分に金銀が仕舞われてたとか、武器庫だったとか書いてあった。景虎を追い出した景勝は真っ先にこの金銀を抑えている。謙信公は案外お金持ちだったらしく、豊穣な越後国内で採れる米はもちろん、直江津港や北陸路を通じての貿易等で戦費を蓄えていた。もしかしたら佐渡の金山も抑えていたかも知れない。

子どもの頃の私は、城のヌシは高いところ、本丸、天守で居住してたとばかり思ってた。いちばんエライ人ほど高い場所で過ごすってね。
だがそんな高いところで日常生活してたら上り下りがタイヘン。実際は麓に近い居館で暮らしてのだが、お籠りしてた毘沙門堂も本丸の峰続きで高いところにあるので、謙信公は平素の館とお堂を行ったり来たり、登ったり降りたりしてたんなら結構な運動量だったのではないだろうか。
天守台.jpg
2004年7月にジャン妻と再訪したら整備されて説明版も豊富でした。千貫門跡や竪堀、毘沙門堂や直江邸跡等、最初の訪問時に見なかった場所も見た。
でもその時の写真は殆どない。当時はこういうネットの世界にいなかったから。
その時に初めて林泉寺にも行った。お喋りなご住職がいろいろ説明して下さったがまぁ殆ど知ってる話ばかりだった。
再訪時の写真はこれだけ。
今は城外にある総構えの監物堀です。
監物堀.jpg
監物堀と東城砦.jpg
これは謙信公が作ったものかどうか。もっと後年のものだとも聞いた。

春日山を再訪した前夜は嵐渓荘という宿に泊まりました。
新潟県を襲った集中豪雨で川が氾濫して宿敷地内も泥だらけだった。
処理済~嵐渓荘のジャン.jpg処理済~嵐渓荘のジャン妻.jpg
泊まった感想ですか?
まぁ会津蕎麦宿の方に軍配が挙がったですよ。(当時は未だ船山温泉も知らなかった。)

川中島にも行ってたようです。あまり記憶にないんだが。
川中島1.jpg
川中島2.jpg
川中島に行った日の夜に泊まった宿です。
この宿は?.jpg
この宿は前Blog、呟きⅠで載せました。http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-03-09-2
私みたいな野蛮人の泊まる宿じゃないですね。意中の女性を落とすにはいい宿でしょうな。
宿のHPです。http://traumerei.jp/

春日山に初めて行ったのは日本100名城に指定される34年前だった。
セピアの写真はもう戻れない少年の頃の夏です。。。
本丸2.jpg
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新潟銘酒館&シブい肴 [居酒屋]

ジャン妻が多忙だった。9月~10月、そして11月前半。
最近ようやく落ち着いたが例年3月4月9月10月は多忙なんです。下手したら家で飯食うのは土日祭日だけになってしまう・・・(こういうことを書くと怒られるんだけど)・・・9月10月11月ってのは祭日がジャマして平日クビを締めるハメにもなった。
私もジャン妻ほどでもないがやや多忙です。上州と行ったり来たりもしている。私はある手続きで10月は忙しいんです。
「アナタは外回りで気分転換ができるでしょ」
「俺の外回りは業務だよ」
「ネタを探しながら?いいわねぇ」
「ネタ探し?仕事優先だっ」
私の言い訳は無視して、「どうせなら新規の店を探しといてよ」
新規の店を含めて外食の回数がまた増えた。新規の店もいいけど今宵は無難に済ませようと思い、知り得てそう日が経ってないがこの店へ訪問。。。
夜の長谷川2.jpg
いぶりがっことクリームチーズ.jpgクリームチーズ紫蘇巻揚げ.jpg
ジャガイモの唐揚げ.jpgつくね焼き.jpg
鱈の味噌漬焼.jpgざるそば1.jpg
ショウさん、これがサツマアゲです。↓
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シブい肴が多い。
グランドメニューやおススメからシブそうなのを抜粋すると、〆サバ、沖干しイカ、サバの一夜干し、いわし糠漬け、鮭ハラス、鰯明太子なんとか、うるめいわし、さつま揚げ、えごねり、塩辛、長芋味噌漬け、山雲丹豆腐、ホタルイカ黒造り、ばくらい、くじたたれ、鰊切込み、燻りがっこ、辛味大根じゃこおろし、ハタハタ一夜干し、炙り盛合せ、秋刀魚味醂干し、銀鱈味噌漬焼、赤カブ、栃尾の油揚げ・・・。
酒呑みのオヤジ向けですね。若い女性向きじゃない。
「焼きそば、モツ煮、ピザとかないんだよなぁこの店」
「そういうのは他所で食べなさいよ」(ジャン妻)

最近だんだんとわかってきたのだが、この店はマスターや女将さんもそうだが、ホールから厨房から年配の方々で営っているようです。だからシブいのかな。でもカウンターがない店なので、奥のWCにでも行かない限り、どんな板前さんかが見えない。
WCの遠い私はこの店ではまだ使っていないが、ジャン妻がWCに立って戻って来たら、「板前さんが年配に見えた」というのである。
フロアの女性も年配というわけではないが中年。(失礼しました。)
お客さんも年配者が多い。それもビジネス街にあるせいか酔って快気炎を挙げてるサラリーマンが少なくない。
ひとりで静かに落ち着いて飲む店ではないかも知れない。だけど窓際、細い路地に面して二本の柱に挟まれた2席だけの小さいカウンターもどきがあって窓にはスダレが下がっていて外から見えないようになっている。
このミニカウンターについては後述します。

この店は新潟のお酒と郷土料理の店だといっていい。
お品書きを見ると、新潟から海岸線を北上してギリギリ山形辺りまでを抑えているようです。お品書きを見ても最近の若い子が見ても何の料理かわからないかも。
でも若い人が、日本酒やこういう昔ながらのシブいアテをオーダーしないと次世代に文化が伝わらない。お品書きを見て迷ったら主人に訊いてみるといいです。マスターが、
「○○○なんか美味しいですよ」
「今日は○○○が最高です」
嫌味なく物静かに丁寧にニコニコしながらサラッとススメてくれます。
テーブル席2.jpg
「自分、若い頃、国際プロレスのリングアナだったんですよ」
もしかして俺らのこと忘れてるのかな。それは私が最初に突っ込んだんじゃんか。
「最初に来た時、アルバム見せていただいたじゃないスか。」
そしたら思い出したみたい。
「最近だとGスピリッ14でしょ。家から持ってきましょうか」
「奥にあります。持ってきましょうか」[わーい(嬉しい顔)]
「私も家にありますよ」[わーい(嬉しい顔)]

ビールの後、新潟のお酒、吉乃川純米酒をいただいた。
新潟に拘る理由は、マスターが興業界から足を洗われた後、新潟で仕事をされてた時期があったそうである。
長谷川.jpg
これまた別の日。
10月締めの私の仕事が無事にひと段落したので、ジャン妻が私のお疲れ様会を催ってくれるという。でもあまり高い店はダメなんだって。
「じゃぁ和食がいいからあの店がいい」
「混んでるかな」
晩秋の季節柄、店の入り口を開けっ放しにしてあって、中の奥座敷から酔いどれ客が声高に騒いでるのが路上にまで聞こえる。

この店はカウンターがないので入ってすぐのテーブル席は混んでるかな?店の曇りガラスの上から覗こうと上り框みたいな足場に足を載せ、背伸びして店内を覗いてたら背後から声がかかった。
「な~にやってんのよっ」
この店の女将さんだった。
ここに足を載せて.jpg格子の上から覗いた.jpg
↑ ここに足を載せて。。。             ↑ 黒い格子の上から店内を覗いたのよ。

「あっ!!」
大のオヤジが体裁悪いのなんの。悪ガキが他所の家を生垣から覗いたところを咎められたみたいだった。恥ずかしいったらありゃしない。
「何やってらっしゃるんですか?」
「今日は混んでるかなぁと思ってさ」
「どうぞお入りください」
「・・・」

路地を向いた2人席.jpg今日は謙信だったかな.jpg
案内されたのが前述の路地に面したカウンター席。ガラス窓があるのだが外から見えないようにスダレで隠してあるんです。
「お飲み物は?」
「ビール・・・女将さんは外で何してたんです?」
「自販機でジュース買ってたのよ」
世の大人族へ。窓越しに店内を覗くなんてみっともないことは止めましょう。
むかご唐揚げ.jpgヤッコ.jpg
刺身盛り合わせは通常1500円なのだが、中トロもしめ鯖もタコもって欲張ったらフロアの女性スタッフが困った表情である。
「それだと(1500円から)オーバーしてしまうかもしれません」。。。
こっちもそのつもりです。「いいよオーバーして。当然でしょ。1500円で収まるわけないジャン」
出て来たのがこれ。
刺身盛り合わせ.jpg
しめ鯖を見て下さい。
薄い昆布で巻いてあるでしょ。酸っぱすぎず、甘さも感じた。
佐渡産のみずダコは塩でいただいた。
「このサンマの骨とアタマを揚げてくれないかなぁ」って言いかけたが、ジャン妻にみっともないことをするなと制止された。

会津鶴ヶ城の虎口の石垣みたいに積んであるのは、太く四角くブッた切った大根をお城の石垣みたいに積み上げた大根サラダです。
大根サラダ.jpg
大根をつまむ.jpg
じゃこてん.jpg
シメは鮭茶漬けです。
お茶漬けに味噌汁ぅ?」(ジャン妻)
「味噌汁はこの店のおふくろの味だ。それを確認する」
「・・・」
味噌汁には海藻が入ってヌルヌルしていた。そのヌルヌルが表面で熱さを逃さない。熱々です。お茶漬けよりも熱かったね。
お茶漬けと味噌汁.jpg
お茶漬けUp.jpg
味噌汁.jpg
御新香.jpg

↓マスターがご新規客と交換した名刺を台帳にメモしたり、貼り付けてるところ。
処理済~何してんのかな.jpg処理済~お会計中.jpg

これはまたまた別の夜。
21時だったかな。前回、背伸びして店内を覗いて女将さんにみつかってカッコ悪かったので、この日は和式便所みたいにしゃがんで下から店内を覗いたらガラガラだった。
笑みを浮かべたマスターに「どうぞどうぞ」と通されたが、席に着いたらマスターが、「21時半がラストオーダーなんですよ」というじゃないの。
22時閉店なんですよ。早くないかぁ?
サンマとしめ鯖.jpg
ピリ辛お握り.jpg
四合瓶1本を急いで空けた。
緑川.jpgお蕎麦.jpg
処理済~拭き拭き.jpgマスターがデカくて四角い8人テーブルを丁寧に拭いているところ。
四角いリングを磨いているようにも見えます。




この店に若いスタッフはいないが、今のまま年配の方々ばかりの方がいい。
ジャン妻は、家にあるプロレス雑誌他を日頃から、「金をドブに捨ててる」もったいないと言わんばかりだったが、知り得たのはその雑誌のおかげだぞ。
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マスターの履歴書(仮題) [居酒屋]

夜の長谷川2.jpg
処理済~氏の紹介.jpg
この店のマスターは何者なのか。
家にあったのはこの本です。辰巳出版のGスピリッツ。これに店主のインタビュー記事が載っているんです。
インタビューアーはもとゴング(廃刊)編集長だった小佐野景浩氏。
処理済~氏の記事.jpg処理済~Gスピリッツ14.jpg
表紙には、「実録・国際プロレス○○○○○リングアナ」とある。
雑誌に載ってるし店の名前=店主の名前だから実名を出しても差し支えないかと思いますが、お店が新しいのでここでは伏せます。

「私、力道山時代に日本プロレスにいたのよ。何で知ってるんですか?やはりそういう関係の人?」
「ち、違います。家にGスピリッツっていう雑誌があってそこにマスターのインタビュー記事が出ていました。国際の吉原社長が興業を妨害されて、『野郎、豊登だな、国際プロレスは潰させねぇ、俺の命だ』って腹に晒巻いてドスを1本差してって凄い証言をされてましたね。ここで最初にお見かけした時、お店の名前もそうだし似てるなぁってずっと思ってたんです」
マスターはニコニコ顔で頷かれた。

そのGスピリッツ、インタビューの内容は興味深いもので見出しからして凄かった。「豊登さんの妨害が入った時、それを聞いた吉原社長は腹にさらしを巻いて・・・」とあったのである。
本部中から抜粋すると、店主は日本プロレス時代、力道山道場の練習生を得て国際プロレスに参加、リングアナ他裏方の仕事をされていたんです。
インタビュー記事には戦後の荒れた社会風潮や、力道山対木村政彦戦と舞台裏、前座試合だった芳の里VS市川登のガチンコ、国際プロレスに対する日本プロレスの妨害等、興味深い証言が満載だった。店主はプロレスラーではないけれども戦後の興業時代の目撃者なのである。

店主は奥からアルバムを持ってこられた。
中には雑誌でも見たことがない大きく拡大された写真や新聞記事が満載だった。アルバムは3冊くらいあるそうでそのうちの一冊。
「これ若い頃の馬場と猪木で、こっちが大木金太郎」
馬場の二の腕が太かった。大木は髪がフサフサしている。猪木は・・・失礼な言い方で悪いし自分のカオを棚に上げて言うと、最近の猪木って人相悪いでしょう。
でも写真の猪木は若くてカッコよく、キラキラしたキレイな目をしてる。
「猪木はいい顔してるでしょ」

別の写真を見たら、「真ん中が芳の里」
力道山亡きあとの日本プロレス社長さんですね。芳の里の本名は長谷川でこの店と同じ姓ですが、関係あるのかどうかはわからない。
次に年配の女性が写ってる写真がでてきた。
「これは力道山の○○周忌の時で、写ってるのは私と力道山の奥さん(百田敬子さんのこと)です」

新聞記事の切り抜きがあった。
「これは力道山を刺した〇〇って人」
「もう亡くなられましたよね?」
「いや、まだ生きてるんじゃないかな・・・」
今年、2013年4月に亡くなっています。
処理済~ジャン妻とマスター1.jpg処理済~ジャン妻とマスター2.jpg処理済~店主です.jpg
「当時は荒っぽっくってねぇ。力道山は木村政彦戦の前に新聞記者に何か言われたらしく、道場のドア閉めて若いのをリングに上げてバッカンバッカン。気絶すると水ブッかけて起こしてまたバッカバッカやるの。凄かったよ~。自分は(練習生だから)やられなかったけど。こういう話をし出したら3日ぐらいかかっちゃうんだよね」
「選手だったんですか?」(ジャン妻)
「ううん、自分はボディビルとアマレスだったから。でも自分も身体のあっちこっち傷だらけなのよ」

記事によると、マスターが日本プロレスの力道山道場に入ってボディビルで体力づくりを始めたのは高校1年生からで、月謝を支払う通いの練習生だったという。
道場に入った動機がふるっている。荒っぽかった当時、喧嘩に巻き込まれないで周囲から祭り上げられる手段だったという。
「これから力道山道場に行くんだ」って言うと喧嘩に誘われないでも周囲が一目置くんだと。
そのうちボディビルを教える側になった。レスラーが巡業に出ちゃうと教える者がいなくなっちゃうからです。
練習生には外車で乗り付けてくるその筋の親分さんもいたそうで、そういう人たちにもトレーニングを教えた。
道場を辞めてから〇〇大学に行ってアマレスを習得された。

女将さんらしき女性が出て来られた。
「マスター、ま~たその時の話を・・・そういう話をし出すと止まらなくなtちゃうんですこの人。マスター、ご新規のお客さんなんだからさ」
「大丈夫。この方、プロレス界の人だから」
「・・・」
違いますっ。

国際プロ時代の話や国プロでリングアナを努めた話は殆ど出なかったんです。後で調べたらマスターが国プロにいたのは1967年1月の国プロ旗挙げから同年12月、TBSが付くまでの短い期間だった。
マスターは終始、穏やかに話をされていたが、雑誌記事にはアブない話もあって、昔は相当なやんちゃだったんだろうなと。
「もうあの頃からいる人って少なくなっちゃってねぇ」
「高千穂さんって方が飯田橋でこういう酒場を営んでおられますよね」
高千穂さんってのは高千穂明久(本名、米良明久)ザ・グレート・カブキのことです
「ああ、でも彼は力道山時代ったってホントの最後の方だから、直接教わったりはしてないと思うよ」とのことであった。

インタビューの最後には「現在は都内で飲食店を経営されている」とあって、写真の背後には氏が経営されてるお店の中で、日本酒か焼酎のボトルが棚に陳列されているのを背にしてきちんと背筋を伸ばされて写真に納まっていた。
「記事にお店が写っていて、紹介文に現在は都内で飲食店を経営されてるってありましたけど、それはここじゃないですよね」
「ハイ。ここに来る前は○○で営ってたんですが。再開発で出なきゃなんなくなっちゃったの。それでここに来たの」

ええっと、ここまでマニアックなネタばかりで料理の説明が皆無でしたね。料理はいずれも丁寧な仕上がりでした。
揚げ出し三種盛、私は揚げた豆腐にハマった。
串焼き、ダシ巻玉子、締めのお蕎麦もコシがあって美味しかったですよ。
何故、ポテサラがピンク色か。何かが混ざってるんだけど忘れました。
揚げ出し三種盛.jpg
鶏串焼き.jpg
アスパラ豚肉巻.jpg
だし巻玉子.jpg
ピンクのポテサラ.jpg
お蕎麦.jpg
後でジャン妻は、「いきなり何を話し出したのかと思った」
覚えてたのは、雑誌に載ってたマスターのインタビュー記事がそこそこオモシロかったってのもある。その雑誌をジャン妻に見せたら、
「ああ、ホントだ。カッコいいね」
でもジャン妻はこういう世界に全く興味がないので、記事には見向きもしなかった。

そういえばこのBlogでもプロレスの記事はなかったですね。私は全日派だったの。旧全日本の外人対決や、四天王時代の田上明の大ファンだった。試合も幾つか生で見ましたよ。でもあまり人に言ったことないんです。
(マスターが在職していた国際プロレスは知りません。)
プロレスの世界って離合集散が激しいから、人事に通じるものもあったんですよね。
夜の長谷川3.jpg
移転前の店の常連さんはマスターの過去をご存じかも知れないが、こっちに来ての一見さんはまだ知らないと思う。私も次回以降に誰かを連れてきてもその方がプロレスに興味なければ話さないつもり。
その後、この店通いが続いておりますが、その筋の話題はしていないんです。(続く)
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何処かで見たマスター [居酒屋]

今年の夏に入院して大腸ポリープを切除しました。これは2年か3年越しの検査なのですが、いちばん最初の検査前夜、夕食の記事がこれでして。。。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-02-12-2
この時の店は蕎麦居酒屋だった。検査前夜だから20時までに夕餉を軽く済まそうと考え、蕎麦がいいんじゃないかと思って入ったんだが、同行したジャン妻が私に、「大丈夫よ平気よ」って軽く言うからうっかり鴨ネギを喰ってしまい、(食物繊維は摂取しちゃいけないんです。)翌日なかなかOKが出なかったの。
当時の店は閉店しちゃったんです。でも殆どそのまんまの内装で新しい酒処がすぐに出店した。
朝の長谷川.jpg
朝、店の前を歩いたら準備中の札がかかっていて、店主と思しき人が清掃をしていた。
その店主はシルバーな髪を丁寧に分け、きちんとネクタイを締めた老紳士なんです。私は自分を棚に上げて、ジジイは朝が早ぇんだなって内心で悪態ついたのだが、その方のお顔を見て・・・
はて?
何処かで見たな??
でもすぐには思い出せなかった。

店の前を行き過ぎてしばらくしてから思い出したのは、家の書棚にある雑誌のインタビュー記事に出て来る人とそっくりだったんです。載ってた載ってたって思いだしたの。
家で記事を見直した。よく似てる。インタビュー記事の当事者のお名前イコールこの居酒屋の店名だったのでまず間違いないと確信した。

だけどすぐには行かなかった。
行かなかったがジャン妻もこの店が気になりだしたらしく、「あの新しい店行ってみない?」って私に水を向けるようになった。
「ああ、あの新しい店か。前に検査前に大丈夫よネギ食べてもって俺をそそのかしたあの店だろ。新しい居酒屋になってる」
「メニュー見たらなかなかシブいよ」
朝、準備中、ランチ、午後の準備中、そして夜の営業中、ずっと外にお品書きが出てるんです。

私は最初はそれほど気が乗らなかった。いつか自然に行くことになるだろうって思ったのと、もし行ったら店主に「あの記事の方ですよね?」って確認したくなる。っていうか確認しなきゃ気がすまない。
私の推測が正しければ、家にある雑誌の記事と同一人物であれば、店主は戦後復興時の興業界の貴重な証人、目撃者なんです。

この店、部下に先に行かれた。
雪子がTちゃんという声のデカい女性社員(Tちゃんは過去に登場しています)と行ってる。あまり深く考えないでこの店を選んだみたい。
ジャン妻にもお誘いがかかったがその日は遠慮して、「ああ、あの店で飲んでるのね」って知りつつ店の前を通ったら、その女性社員、Tちゃんのケタタマシい笑い声が店外にまで聞こえてきた。
「もうっ、あんなはしたない笑い声あげて・・・」(ジャン妻)
クールな雪子はそんなデカい声あげて笑ったりしない。
「雪子は誰と飲んでるんだ?ハデ子は今日は現場だろ」
「Tちゃんと飲んでるみたい」
「何だか客が声高に喋ってる店だな」
店の扉が開いてたからか、サラリーマンの酔客が声高に談笑してるのが路上にまで聞こえた。

この店は閉店した蕎麦居酒屋時代から内装が同じでカウンターがない店なんです。店に入るとフロアに4人テーブル席×2席と、中央に畳2枚分くらいあるデカいテーブルがあって、その四角いテーブルの2辺をMAX8人、4人対4人で向かうような造りになっているんです。
こんな感じです。
テーブル席.jpg
こんなデカいテーブルの8人席をネクタイ族が向かいあって酒を喰らい慷慨悲憤してたら声高になるに決まっている。テーブルの端から端まで遠いから大声出さないと聞こえやしない。別々の連れならまだしも一つのグループ客8人で占拠したら8人の声が対面、対角線上に飛び交うだろう。
夜は涼しくなったので店の扉が開いてたのもああって店ん中の酔客の大声が路上にまで聞こえてたのです。
奥にもテーブル席や座敷もあるようです。サラリーマンご用達のお店といっていい。

店ん中が妙に賑やかなのは私が想像するに店主が客の大声を気にならないんだと思う。
私の推測が正しければ店主は興業界の人だった筈。体育館やホールなんかで観客がた~くさんいる世界のご出身だから多少の騒がしさは気にならないんだと思う。

ジャン妻は後日、雪子に「随分大きい声で飲んでたのね」
「あれは私じゃないですよ~」
雪子は大声あげる子じゃない。でもウルサい店なのかなって思ってしまった。
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新規OPENから私らの初訪問まで日数を経てしまったがついに行く日が来た。
ある夜、店の外に置いてあったお品書きに見入ってしまい、酒呑が好むシブい肴がたくさんあるな、入ろうかどうしようかと思案していたら中から店主が出て来られ、何ともいえない笑みで「いらっしゃいませ。如何ですか?」とホッコリとススメるんだな。
惹き込まれて入ってしまった。これも何かのご縁でしょう。
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店の中は前と同じだった。
なるほど店内は静かではなく、ネクタイ族(私もホントはそうなのだが)、それも管理職っぽい方々が飲みながら声高にワイワイやっていた。誰も私と目を合わせようとしない。
若いお客さんはひとりもいなかった。
お店側も店主他、若いスタッフはひとりもいない。平均年齢が高い店だな。
最初の膳.jpg
ヤッコ.jpgお通し.jpg
まずはビール。
お品書きを見たらお酒も肴も新潟県を意識したものが多い。それでいてシブい。
上州T市と違って焼きそばやピザ、モツ煮なんてのはなかった。でも、蕎麦はあった。
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何故に新潟をアピールしてるのか。私の本家は新潟県柿崎の出なのでその辺りから店主に話かけるのが定法だが、そんなツマンないネタで切り出すよりも、私は店主を見ながら家にある記事をときおり脳裏に見比べ、何処でどういうタイミングで切りだすか考えた。
似てる。。。
間違いない。。。
フロアを切り盛りする店主の一挙一動に釘づけになってしまい、目の前にいるジャン妻は眼中になくなりそうだった。ジロジロ観察してた。それが長く続くとジャン妻は「アタシを無視しないで」と怒り出すは必定である。早く切りだした方がいい。
何てお酒か忘れたが純米酒をオーダーした際、意を決して店主に聞いてみた。
マスター、間違ってたら失礼ですが、前に国際プロレスでリングアナをされてませんでしたか?」
マスターは満面の笑みで頷いた。よくぞ訊いてくれたとばかりに。(続く)
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やはり大将錦町店 [ラーメン]

「大将行きたい」(ジャン妻)
「・・・」
実は私、昨日行っている。
公用がてら中区から磯子区へ移動する際、市バス105系統で本牧宮原で下車してラーメンを喰ってから、再度101系統(根岸駅行)に乗車して移動した。
(合法的な昼休みなので誤解のないようにお願いしますっ)

大将に行ったら新人の男性スタッフがいた。
半年以上も求人の貼り紙がしてあったがそれもようやくにして外されていた。混む時間帯には男性4人、女性2人、計6人いるようである。
大将錦町店.jpg
おやっさんと新人さん.jpg処理済~スタッフ.jpg
やっと入った新人さんに辞められたら困るのか、まぁオバちゃんやオヤっさんが新人さんへ気ぃ遣うのはいいけど私語の多いこと。。。
券売機で食券購入する廊下まで私語が丸聞こえなので、私は珍しくテーブル席に陣取った。

その気遣われる新人さんが私んとこにご飯持って来た。
そのご飯は炊きたてだった。超熱々熱々である。
熱いなこれ。これはラーメン屋のご飯ではないなぁ。。。

余談ですが、私は滅多にこういうことはしないが相撲部屋のちゃんこ鍋の二杯目か三杯目以降だと、ご飯の丼に汁と具をぶっかけて喰うる力士がいます。その際は熱々の飯でなく冷ましたぬく飯がいいんだと。熱々の汁をかけるのにご飯まで熱々だったら早く喰えないというんだな。
部屋ではまず親方、関取衆が最初に喰うんだけど、その時は炊き立てだから熱々になっている。親方は現役は引退してるし関取衆は体ができているので早くガッついて喰わない。でも若い衆は順番待ちで空腹がピークを超え、育ち盛りだから喰う量も多いし喰うスピードも早い。
熱々を急いで喰うのは喉によくないと立証されているが、下位番付の力士がモタモタ喰ってると兄弟子に食らわされるかも。
鍋が熱々ならご飯はぬく飯がいい。ラーメンもそう。ラーメンが熱々ならご飯はぬくぬくでいいと思う。
ただ、「大将」の場合どうもそれはわかっているらしく、必ず先にライスが出て来るんです。熱々だったのは時間が11時半で、そろっそろ混む頃合いなので炊きあがった飯をよそったんだろう。

熱くて舌を火傷しちゃった。最後の方になっでもラーメンの汁より熱々でしたよ。
しかも熱々炊き立てだから水分が多い。箸から飯の塊がボロッと落ちて床に飛び散ってしまった。
できる限り拾ったが細かい粒まで全部の飯粒は拾いきれなかった。
来た来た.jpg
店を出る時、パートのオバちゃんに耳打ち。
「ゴメン、床に粗相をしてしまった」
「???」
「床にご飯こぼしちゃったのっ」
「ああ大丈夫ですよぉ」
オヤっさんは怪訝そうな表情だった。
あー恥ずかしい。。。

ジャン妻が「行こうよ」って誘ったのはその翌日で、ご飯を床に粗相した翌日だからこっ恥ずかしかったのもある。
「昨日、行ったの?」
「行った・・・」
「いいな平日行けて」
「わかりましたよ。」
行くことにした。

行くくるまの車内で、「ネギラーメンがいい」
「ネギラーメン?白髪ねぎのトッピングのことか?大将にネギラーメンはないぞ」
「なかったっけ?」
ないです。でもネギ多めってのがあって、薬味ネギを多く盛るんだけどそれは金を取らないのだ。
ホウレンソウもそう。券売機にありません。私は前に100円をカウンターに置いてホウレンソウマシって言ったら、「サービスだから(お金)いいですよ」ってややぶっきら棒に返されたので、そういうのの無料は自分の美学に反するので一度で止めた。

ネギ多めも一度だけやったことがある。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-06-23
立ち食い蕎麦、スタンドのネギ入れ放題みたいになってしまい、ネギの香に圧倒されてスープが変化しちゃったのだ。
薬味ネギ、刻みネギは多けりゃいいってもんじゃないな。ほどほどがいい。

「超かた二つね?」(オヤジさん)
「いや、超かたと固麺、固麺は脂少なめ」
「あいよ」
お皿.jpg
来た来た.jpg
海苔を移す.jpg
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キムチ投入.jpg
だけどホウレンソウにしろネギにしろ、近年の異常気象による野菜高騰になったらどうするんだろう。それでも意地でサービスするんだろうか。
今を去ること20年前か10数年前、やはり野菜高騰でネギやホウレンソウが異常に高騰したことがあった。その時のネギは少なかったように記憶している。
野菜高騰時のホウレンソウ代替はさやえんどうじゃなかったかなぁ。

先に私の超かたが供され、後から来たジャン妻の固麺には。。。
おや?何でか知らんが刻みネギが山盛だぞ?
これぞネギ多め.jpg
「???」
「ネギ多めって言ってくれたの?」
「いや、言ってない。オヤッさんの勘違いだと思う。」
出がけにジャン妻が、「ネギラーメンが・・・」とか言ってたから、
「念ずれば通じるというヤツかも?」
「笑」
「ネギ残すなよっ」
「もしかして他のお客さんのじゃないの?」
他のお客さんに間違いを修正する気配は感じられなかった。

後日、また行った時、オヤっさんが、「どっちかネギ多めだよね?」なんて訊いて来たんです。
「いやいや、フツーでいいです」
「あれ?多めじゃなかったっけ?」
もしかしたらオヤっさん、ボケが来たかなぁなんて悪口言いながら食べた。

最後にお蔵入りしてた写真を。
チャーシューキムチワカメです。1000円!!
見ためは美しくなく品の無い盛り付けだがこれが美味いのだ。通常のスープ&やや赤く色づいたキムチ周辺のスープ、2種類味わえます。
チャーシューキムチワカメ.jpg

この店には店側が主張する薀蓄は皆無です。
大盛りサービスや小ライスサービスとかもない。
何処そこのメディアに掲載されましたなんて宣伝文句もない。素っ気ないくらい何もないが、飾りなく味一本で勝負するこの店が大好きです。

さて、さすがにラーメンシリーズにも飽きてきたな。
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生駒軒 [ラーメン]

生駒軒.jpg
「あれ?」
「どーもぉ」
「久しぶりだねぇ」
「そうですね。1年転勤だったんですよ」
「ああそうなの」
覚えててくれた。嬉しい嬉しい。再会こそ人生のドラマである。ここは半蔵門線と都営新宿線が十字クロスする地下シェルターみたいな住吉駅の○番出口を出て四ツ目通りを渡った住宅地にある。
住吉駅から出たバス停を確か猿江町○丁目というのだが、私はそこからバスに乗って江東区区役所に時々行くんです。その乗り換え駅。数年前、偶然に見つけた。

別にこの店に突出した凄い料理があるわけではないし、この店でなきゃいけない理由もないのですが、何故かここと決めている。
住吉駅でバスに乗り換える時、今日の昼はこの店でって思うのは、その辺りにそれほど飲食店がないのもある。
店主とアンちゃんはおそらく身内で、親子というのではなく叔父、甥ではないかなぁ。

カウンターに座ろうとするとオヤジさんが、「空いてるんだからそこへお座りよ」って言いながら4人テーブル席をススめてくれた。
テーブル席に座って視線を正面の階段に向けると、この店は吹き抜けの天井になっている。
視線を右に向けるとカウンター上に超デカい絵画が架かっているんです。
デカい絵.jpg
店内の照明に反射して見難いですが、どこかの村の風景らしい。
日本じゃなさそう。ベトナムかタイかカンボジアだろうか。田んぼのあぜ道に水牛が荷車を引いている。
何で町の大衆中華屋にこんなデカい絵画が架かってるのかは不明です。

正面の階段は左に折れて2階へ向かう。2階はグループ客向きで、地元の客が昼間から景気よく飲ってたりする。
階段とTVと天井.jpg
おしぼり.jpg味はどれも普通ですよ。平均的レベルです。
手堅いといっていい。ただ麺が柔らかめなので、「固め」にしてもらいましょう。
炒飯と餃子が美味しいのと、半炒飯300円、小炒飯150円、餃子3個で幾らだったか忘れたが、この辺りの柔軟な対応サービスが気にいってるのと、カウンターやテーブルには無造作におしぼりが山積みになっていって、やろうと思えば使い放題。(そんなことしませんけど。)

餃子3個ってのがいいです。私は近年、5個や6個を一人で喰うのが重たく感じるようになってきました。それだけで腹が膨れちゃうし。


美味しいよ.jpg
細切焼きそば.jpg昔からその町々で頑張ってる大衆中華屋さんのオヤジが老いて腕力や筋力が衰え、手に取る中華鍋が重くなり、炒める際に中華鍋を回転させるスピードも落ちてしまい、結果、塩味加減がバラバラだったり、一部がご飯の白い状態だったりする時があるがこの店はまだまだ大丈夫。
だって普通サイズの炒飯、半サイズの炒飯、それよりもっと小さい小炒飯、どれも全体の味加減が均一でムラが全くない。
夜に一度だけ行ったことがある。中華一品料理でビールを飲んだが、料理にはハーフサイズもあるんです。

これが普通サイズの炒飯 ↓                 これが半炒飯 ↓ これより更に小さい炒飯もある。
普通サイズの炒飯.jpg半炒飯.jpg
これも美味しいのだ.jpg醤油ラーメン.jpg
最近、知ったのですがこの店、店の屋号でグループ、暖簾会が結成されているようです。店の屋号で検索したらやたらと都内に散見される。
わかっているだけで、同名店が都内にこれだけあった。

中央区日本橋、京橋、蛎殻町、八兆堀、築地、新川、日本橋浜町、人形町
墨田区月島、向島、東向島、太平、吾妻橋、立川、両国
大東区浅草雷門、三筋、東上野、蔵前
江東区門前仲町、そしてここ住吉
港区芝、海岸
千代田区神田和泉町
文京区向丘
豊島区池袋本町
新宿区大京町、新宿一丁目
中野区東中野
荒川区東日暮里
もっとあるかも知れない。

中央区、墨田区が多いですね。
その中の何処かが発祥地で1号店なんだ思う。計30軒ほどあるようだがどういうグループで何を共通しているのか調べている人もいるようです。
ただ、チェーン店ではないらしいんだな。というのは店の屋号、生駒軒だけだったり、もしくはその土地の名前をアタマにつけて○○○生駒軒という店名で、生駒軒○○○店という名前ではないようなのだ。

私がいる住吉の店は暖簾会の表示が見当たらないが何処かにあるのかも知れない。おそらく蕎麦屋でいうところの松月、更級、増田屋といった位置づけでしょうか。
私は住吉駅~猿江○丁目のバス停乗り換え場所だからこの店を利用しているだけなんです。調べてみたら過去に門前仲町で東西線に乗り換え、東陽町で下りて江東区役所に行く際、門前仲町の生駒軒を一度、利用したことがあるのを発見した。

この店のウリ、生駒ラーメンです。
細かく細く切った野菜を炒めて甘辛い醤油味の麺に載せた逸品。
神奈川のサンマーメンにちょっとだけ似ています。
生駒ラーメン1.jpg
生駒ラーメン2.jpg
住吉のこの店は上州から戻って3回ほど利用してるんだけど、この記事の冒頭、オヤジさんの「久しぶりだねぇ」を耳にした時に「おや?」って思ったのだが、それが何だったか2回めに来た時に思い出した。
「おっ、今日は早いねぇ」
「ええ、これから12時台にかけて移動するんで」
「そうなんだ。大変だねぇ」
この時、アタマん中に閃いた。誰かに似ている。声が。。。
上州T市で最も著名なこの酒場 ↓ のオヤジさんに似ているんだ。声がソックリなんです。
尺八が流れた店.jpg処理済~オヤジさん.jpg
ここの中華屋のオヤジさんが店で尺八なんか吹かないだろうけど。
だから懐かしく感じたんだな。出会ったのはここのオヤジさんの方が先です。向こうで尺八のオヤジさんと出会った時も???って思ったような気もする。
まさか親戚じゃねぇだろうな。
生駒軒.jpg
日常、そういう何気ない出会いと会話が、郷愁、プチ感動、眠っていた記憶を呼び起こすものなのです。
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ぷかぷか [ラーメン]

ぷかぷか.jpg
以前の記事。。。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-09-19
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-09-20
秋空にぷかぷか.jpg
これは○ログから転載したこの店のお品書きです。
かなり強気の価格ですよね。そうそう行けるかこんな高いラーメン屋ぁって思うのですが、私は目黒区役所に行く際につい立ち寄ってしまいます。
メニュー1.jpg
メニュー2.jpg
クリスタル.jpg
今回、私は醤油ラーメン750円。。。
大盛りにしたので150円。。。
トッピングチャーシューが3枚で350円。。。
750+150+350=1250円ですよね。加えてネギ50円をトッピングしたら。。。
1300円です[たらーっ(汗)]
高っ!!
チャーシュー入り.jpg
高級中華料理店じゃあるまいしさ。1300円という価格のラーメンを過去に喰ったことないです。
それと、おや??って思ったのが、トッピングのネギが薬味ネギだったんですよ。
薬味ネギかぁ.jpg
アンバランス.jpg
すり鉢?.jpg
ネギをまぶしました.jpg
白髪ネギじゃなかったんです。これは失敗したなぁ。
最初に確認しりゃぁよかったね。この店はすり鉢みたいな器なので全体的にボリューム不足で当然スープも少ないんです。今回はスープに薬味ネギが勝ってしまった。
白髪ネギではなく薬味ネギ、これはちゃんと表示して欲しいよなぁ。

この日は女性のひとり客多し。行列までいかないけど入れ替わり立ち代わりだった。
今日は満員です.jpg
そして後日。
晩秋から冬場になって、限定で味噌が登場したというので行ってみた。
味噌は1日10食です。
いつもの券売機に味噌が見当たらないので店のねーさんに、
「味噌始めたって聞いたんだけど・・・」
「右下の方です」
右下に目立たないように、味噌らーめんって表示してあったが値段が表示されてない。
この時点で価格不明なんです[たらーっ(汗)]
強気なのはいいけどちゃんと表示しなさいよ。そうか、時価なんだな(苦笑)。この店の場合、入る以上はそこそこ高い店なんだぞと肚を括って、どうせ高いのならチャーシューも追加した。味噌に豚肉は合うからね。
店のねーさんが、「味噌はスープが別になりますので少しお時間を頂きます」
「アイヨ・・・」
待ちながら私は会社携帯で業務指示を出していたんだが、合間に見てたらねーさんは大鍋から小さい小鍋にスープを写し、白味噌を溶ぎ溶ぎしてましたね。

私が入店時、先客は2名ほどいましたが、しばらくしたらサラリ-マン5名と高校生4名が殆ど同時にドッと来店された。
でも有名人気店だけに店のねーさんは動じない。サラリーマン5名はカウンターにズラリ、高校生4名はカウンター2名と小テーブル席2名に分けて手早く案内した。
ただですね。写真のように渋滞になっちゃって、店のドア・・・これが凄く重たい扉なんです。五十肩やケンショウ炎で肩痛の人は重くて開けられないだろうな。このドアが券売機に並んでる間に渋滞して扉がずっと半開きになっちゃったのね。
処理済~行列.jpg処理済~高校生の背中.jpg
木枯らしが吹き込んでアタマが寒いんですよ。
しかもカウンター後ろの通路は狭く、サラリーマンや学生のカバンが俺の背中に接触するんです。アタマは寒いワ俺の背中に荷物が擦るワ、それでいて券売機の前でメニューを選択するのに時間がかかってドア半開きの縦列渋滞。。。
しょーがねぇなぁって最初はガマンしてたんだがしまいに耐えかねて目が合った高校生に、「寒ぃんだよっ」って言いながら己のアタマをひと撫でしたら、最後尾の高校生が二番目のお仲間の制服を後ろに引っ張って外に引きずり出して扉を閉めました。
扉が閉まった。ゴトッって重い音がした。
その後、店側の悪戯か。私に睨まれた学生さんが最後まで空いていた俺の右隣席に案内されちゃって、ご覧の通りずーっと背中向けてましたよ。(苦笑)
限定味噌.jpg
濃く見えます.jpg
麺です.jpg
味噌の麺は太麺でした。
チャーシューの焦げた香が香ばしい。
この店の器は昨今流行りの小さいタイプなので味噌が濃く感じたなぁ。ちょっと水を多めに飲みました。
今日のグラスはグリーン.jpg
ぷかぷか暖簾.jpg
ここより2つめの駅、学芸大学にもあるそうです。
でもやはりそこも東急価格だろうな。いい店ですがもうしばらくいいかな。この店の隣にトテモ気になるビーフレストランがあるのでそっちも気になるし。
気になる店が隣に.jpg
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魚雷 [ラーメン]

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喫茶店ではありません。
化学の実験でもないです。これはラーメン屋のカウンターから見た光景。
幾つかあるフラスコが火にかけられて置いてありますがこれはラーメンの出汁を出す装置なんです。サイフォンでラーメンの出汁を煮出す。(本枯節の出汁)
サイフォン2.jpg処理済~これもセット.jpg
変わったことするラーメン屋さんですね。
何を凝ってるんだろう、ダシなんかフツーにとりゃいいじゃんかって思います?

この店、「魚雷」という凄い店名で、店の入り口上にホントに魚雷のレプリカが掲げてあるんです。
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外見はちょっとインパクトあって、海軍の軍服を着用したスタッフでもいるのかというとさにあらず、黒い服を纏ったモデルみたいな若い男性スタッフが3人いた。

店内は狭くカウンターは3席だけです。フロアに2人掛けテーブルが5卓。キレイな店内でどう見ても喫茶店にしか見えない。
スタッフは私の購入した食券を受け取り、静かに寡黙に調理にかかった。

別のスタッフが具材の一覧を私に見せます。具は炭火焼豚、鶏チャーシュー、姫たけのこ、メンマ、きくらげ、岩のり、うずらの卵、なると、青梗菜、これらから3種類選ぶんです。
私が選んだのは炭火焼豚、メンマ、青梗菜の3つだが、まてよ?、ってことはメンマはまだしも、焼豚はデフォルトでは載ってないらしいんだな。

その間、店内を物色したら、カウンター端の大皿にレタスや水菜が簡単に盛ってあって、「サラダをご自由にどうぞ」というサービスらしいが私は説明も受けなかったし、レタスと水菜だけっていうのは好まないので頂かなかった。これはサラダバーみたいに自分で小皿に取り分けるスタイルなんですが、こういうサービスをするラーメン店は初めて見ました。如何に文京区がラーメンの激戦区かということでしょうか。
魚雷.jpg
このデカい魚雷マンガ、魚はカツオです。

魚雷の神髄とある。
『全ての食材の命を感じながら心を込めて作る事』
ハァ、そうですかい。
『青森の地鶏、赤鶏と、モミジや豚足などの濃厚コラーゲンスープにカツオ、サバ、イリコ、アジなどの魚と大量の昆布を水出しし、絶妙な温度管理をして一晩寝かせた魚介スープをWスープに合せ、そのWスープをフラスコに注ぎ、更に鹿児島県枕崎市の最高峰の二年~三年熟成した本枯節と本節を粉砕した節粉をサイフォンにて魚の命を吹き込んだ五段仕込のスープです。
そして少しクセを効かせた煮干とカツオのエスプーマを添えております。』
五段階スープとはね。
そこまでするか。如何にも手間ヒマかかってるんですと言いたげです。
ここで言うエスプーマってのは、ラーメンの上に最初、ムースみたいなのがカフェオレみたいに浮かんでるんですよ。
これは少しずつ溶けていくんだけど、溶ける前と溶けた後の味の効果はちょとわからなかった。単なる飾り?溶けてくのをじーっと見てると麺が伸びちゃいますよ。
エスプーマと具.jpg
その麺にも解説があって、
『中に入る麺は余分な添加物を使用せず天然モンゴルかんすいを使用して、北海道麦「春よ恋」のストレート粉に「春よ恋」の石臼挽き粉を織り交ぜて、香、触感、甘味を最高の状態で最高のバランスを引き出す為に製麺した麺でございます』。。。

しっかし自信満々能書きの多い店だな。
素材に拘るのはいいけど、殆ど多くのお客さんはそういうのを求めていないと思うんだけど。(^^;
店員さんが寡黙だけに、能書きタレないで黙ってたらカッコいいのにね。
おシャレだけど.jpg
つけ麺でもないのに選んだ具は別皿に前菜のように盛られて供されます。
どれも一口サイズ。
盛ってある白いお皿は「さらの木」か、もと田舎娘さん宅のお客さんようのお皿みたいだった。

最初っから器に投入すりゃぁいいのに。チャーシューやメンマはともかく、細かい刻みネギを箸で摘まんで丼に移すのが結構めんどくさいのさ。
結局お皿を片手で掴んで器に流し込むようにドバドバと投入したよ。
エスプーマはいつの間にか溶けてなくなってました。
ドバドバ.jpg
私が注文したのは「本枯節中華そば」700円というもの。
ホホウ、なかなかいいスープでございます。
でもコーヒーサイフォンで出汁を取る効果はようワカラン。
鶏豚コラーゲンスープ+魚介スープを合わせたWスープ。最初は魚介風味を強く感じたのは醤油がそれほど濃くない。魚介ベースの主張が強いけど、全体としてはライトに感じた。
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入口に魚雷が2.jpg
店の外観、店内、サイフォンで出す出汁等、他にない斬新で独創的な店なのはわかります。
TOTAL的にも丁寧、手間ヒマかけた完成度の高いスープとラーメンです。だけど如何せんボリューム不足でさぁ。
草食系男児や女性向き??(笑)工事現場で身体を酷使している肉体労働者さんには向いていない。
美味しいです。美味しかったけど、腹五分か六分くらいだったなぁ私には。
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汐そば屋 [ラーメン]

これまた文京区役所近くの店。
都営三田線、春日駅の6番出口。外見に騙されて・・・冗談です。惹かれて入った。
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こぎれいな店内は厨房に男性2人、フロア(といってもカウンターだけだが)に男性1人。L字型のカウンター10席程度で3人も人件費をかけるのは珍しい。
このキャパなら2人で充分だろうと余計な詮索をしてしまった。(1人は見習いの外国人さんらしい)
汐=汐ではなく塩がウリかな。券売機を見たら写真入りの「特製何々」が上からズラッと並んでいる。
左上に「特製塩そば」が目についた。特製とはチャーシュー、半熟茹で玉子、海苔、具が一揃い入っている。

950円ねぇ。
特製でなくてもいいんだけど。でも普通の塩そばが見当たらないなぁ。さてはこれがこの店のやり方、儲け方なんだなと邪推したがそれに乗った。特製にした。
3人いる男性店員さんはトテモ感じがよく、
「大盛りになさいますか?」
「いやぁ、普通でいいよ」
この時私はかなり機嫌が良かったので穏やかに笑って応えました。
この時はね。
喰った後で上州の某女性社員からくだらない問い合わせ電話があたのでカーッとなったんだけど。

それにしても大盛り無料の店、小ライス無料の店って昨今増えましたね。
激戦区で○○支店とか謳ってる店によくありがち。集客の為、生き残る為とはいえそういうのばかりに頼ってると本来の味がオチますよ。
他の店の名前を出して恐縮ですが、私とジャン妻が人生のラーメン最高峰と位置付ける本牧の「大将」はそういう無料云々っていうような余計なサービスはないですよ。味のみ直球一本勝負です。だから味がブレないんだと思う。
でもこの店で他にいたお客さん・・・サラリーマンか現場作業に来ていた工務店、電気屋さん?ラーメンフリークっぽいおひとり客はALL男性で、皆さん大盛りばかりだった。
普通は私だけだった。こりゃぁ普通だとボリューム不足なのかな。でも特製だから麺の少なさは券売機の写真にもあったが、一揃い載っかってる具でボリュームカバーできるだろう。

私はカウンター右端にいる。
そこからだと厨房が丸見えで、大盛はかなり大きい器が並んでる。やっぱフツーでいいやって思った。
丼をお湯で湯がいて温めて順次盛っていく。
そんなに待たない。そろそろ私の番かなと見てたら大盛の丼を出した。
ちゃう、俺は普通だぞ。特製を選択させられた?のに続いて大盛かよと思ったが、別のスタッフから「5番さんフツーです」と声がかかり、普通の丼に取り換えてた。
処理済~カウンター.jpgスタッフA.jpg処理済~スタッフB.jpg

特製です.jpg
キレイな盛り付けだねぇ。
何たる美しさ。スープの底が透けて見える。十兵衛さんが、東京M市の「透明湯スープに勝るラーメンってないの?」と仰せですが、勝らないまでもそれに近いです。
麺はやや細目。中くらいの太さ。チャーシューは柔らかい。半熟茹で卵は茹で卵でしかないが、スープが美味しい。
ある程度のレベルはクリアされていて無難な味以上という印象。
キレイなスープ.jpg
余談ですが、アサリそばなんてのもあった。
私は喰ってもいないのに、ちゃんと砂抜きをしているかな?殻は割れて砕けてないだろな?な~んて余計な心配をしてしまった。
浅利そば???.jpg

たいして具が入ってない炒飯が美味しいらしい。炒飯を頼んでいないのも私だけだった。麺担当、炒飯担当、だから厨房に2人いるんだな。
チャーシュー.jpg
麺.jpg
私は気に入った。平均的レベル以上です。
塩味ってのは難しいものなのだ。平均的レベル=無難でいいと思う。それでいて深みが足りない、決め手に欠ける、物足りない、って言う方が多い。逆に尖がってて濃かったりすると、しょっぱい、で終わりだからね。
お店側はこの塩らーめんに柚子胡椒を入れるのを勧めているけど私は入れなかった。これで充分です。

後日、調べてみたら、発祥ジャンルは函館に属するんだと。
函館に行ったことないが、函館開港150周年記念サイトにはこうある。
「函館のラーメンは潮風と一緒にすするとより美味しくなるんだよ。港町だからこそ生きて来る味があり。ラーメンといったらそれは塩のことなの。函館ではね。うちのメニューには塩ラーメンとは書いてないだろ」
函館は港町で海産物の貿易関係で華僑との繋がりが深かった。広東省や中国南部の支那そば塩味だったというがそれが理由だろうか。札幌が味噌ラーメンだからそれに対抗して塩で行こうというのもあるのではないか。
この店、汐そばやは北海道函館出身とは何処にも謳っていない。本店は多摩プラ。田園都市線です。私は醤油味だけが支那そばだと思っていたがそれは改めなければならないようです。

と、ここまで書いた後で。。。
先日、また行く機会があり、今度は醤油をオーダーしたのです。
「醤油は太麺なので少々お待ちください」と言われて出て来たものは。。。
醤油です.jpg
う~ん残念。醤油が強くダシに勝っちゃってダシの風味が消えてたの。濃いめの醤油スープに太麺ともやしだと巷にあるサッポロラーメンの醤油味ではないかなぁ。
私はこの店、函館(塩)と札幌(醤油)のコラボだと思いますよ。
太麺だった.jpg
う~ん.jpg
やっぱ塩がいいや。
その後、もう1回行ってますが塩に戻りました。その時は撮影してません。
ラーメン屋さんって難しいもんですね。醤油がウリだと塩がイマイチだったり、その逆だったり。

この店2回行ったのですが、3人いる男性スタッフが丁寧口調でお互い気を遣ってたのが印象に残った。
私より一回り若い男性が胸に「研修中」の札をされていて、その方に対して他の店員さんが、・・・です、・・・お願いしますね、慇懃で丁寧なんですよ。
若い衆が年配のスタッフにイラついて声荒げたりする光景を某ラーメン屋や居酒屋や吉野家で目撃したことがあるけど。この店はお互い支え合っているという感じがした。

笑っちゃたのは3回め、私の隣にやや太めな中年女性が座ったんだけど、その女性に対しても「大盛りになさいますか?」ってマニュアル通りに聞いてたからね。
女性は「いいわよフツーで」憮然としてましたよ。私は肚の底からこみあげる笑いを必死にこらえました。
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ラーメンと缶コーヒー [ラーメン]

見上げる文京区.jpg
文京区役所を含むセンタービルが都民を見下ろすようにそびえ立っている。
地上28階地下4階、高さ142m。23区役所の中ではダントツに高い。何かエラそうだな。
上州から戻って来てから公用で行くようになった。

センターの右向こうには東京ドームの屋根が見える。
ドームが見える.jpg
文京区役所の最寄駅はメトロの後楽園駅か都営の春日駅。この2駅は地図で見ると合体してるようだが実際は別々の駅です。便利なようで不便でもある。
現都知事の猪瀬氏が副知事時代から、「地下鉄は旧営団地下鉄が東京メトロになったが、都民から見れば都営地下鉄と一元化していくべきです。乗り換え部分の二度払いを安くするところから始まっているけれど、もう少し一元化できる筈だし同じ会社にしてもいい」と仰っている。
私は東京都民ではないが好悪感情で言うと、猪瀬さんは石原氏よりはまぁまぁマシかなって。ここで氏が仰っていることについては同感です。氏が言うように同じ町でちょっとだけ離れて別々の駅が並んでいるんでるのは如何なものだろう。
メトロと都営は別々なので、駅が近くても、連絡してても乗り換え時には出費が増えちゃうんです。
駅の位置関係.jpg
この2駅は繋がっている部分もある。
でも地上の出入口にはどっちかしか行けない旨の表示があったりする。これが不便なのと構内を延々歩かなきゃなんない。
(地下鉄の駅なんかみんなそうだけど。)
市ヶ谷駅なんかもそう。都営とメトロは別々で壁一つだけしか隔ててないくても乗り換えができない構造が多い。
連絡通路.jpg
外出が多い私は会社を出て最初に文京区へ行き、そこを起点にしてさぁ次は何処へどういう路線で行こうか。自分は後楽園駅だったり春日駅だったりまちまちで、そこから次は何処へ行くのか、帰社するのかによってどっちを利用するかを決めます。
というのはオモテムキな理由でして。実は私がメトロを利用するか都営を利用して文京区へ行く場合、後楽園駅の436号線(何通りというのか?)に出るか、春日駅の301号線(白山通り)に出るかでその界隈のどのラーメン屋に行くかが決まってしまうんです。会社で書類を整理して外出するとちょうどこの辺りで昼時になるわけです。

公用外出の楽しみといえばそりゃぁその地にわざとランチ時に下りていろいろ物色すること。この界隈には有名どころがあって、「魚雷」、「信濃髪麺烈士殉名」、といった凄い名前の店や、「丸味」、「汐そば屋」、幾つかご縁があったのでUpして行きますが、今回は地味に行きます。
くたびれた店に見える.jpg
オールドファッションのラーメン屋、「一八」です。
水曜日だった。狙ってた店、「魚雷」が定休日だったので、その前向かいにある如何にも古びた看板の店に入った。

色褪せた赤い看板だな。
でも昔は真っ赤だったのかも知れない。今は錆びがにじみ出てて侘しく感じる。
とんこく.jpg江戸だし.jpg
とんこくとは何だ?書き間違いではないのか?
江戸だしとは何なのか???
よくワカランのでどうしようか躊躇したのだが、ここは賭けだな、この店、老舗かも知れないと意を決して入った。前に与野本町で外見を小馬鹿にして入ったら大当たりだったのもあるからね。
処理済~テーブル席.jpgカウンター正面.jpg厨房側.jpg
中も古びた感じだった。
立ち飲み屋みたいな高いカウンター席によじ登った。L字のカウンターは5席でやや狭く、お隣と近づき難くもある落ち着かないレイアウトではある。
テーブルは4人×1、6人×1(4人×1と2人×1)。
薄暗い店内は昼から飲んでも違和感ない店。漫画とかも置いてあった。
ラーメン.jpg
江戸だし???
ええっと、昔ながらの醤油ラーメン薄味でした。
可もなく不可もなく。600円です。これだけだったら取り立ててUpすることもないんだけど、実はこの値段で何と缶コーヒーがついてくるんですよ。お店の女性が勘定の時に、「お好きなのを1本どーぞ」ってススめてくれるんです。
かんこーひー.jpg
缶コーヒーねぇ。
上州でラーメン&漬物、ラーメン&煮物ってのはよくあったけど、東京のド真ん中でラーメン&缶コーヒーってのはここでなくとも初めて。
ホットではなくアイスでした。こっちは外回りだから喉を潤すのにはいいけど、何処で空き缶を捨てようかってそっちにアタマがいっちゃって躊躇しかけたがせっかくなので1本貰いました。

缶コーヒーは有名銘柄ではなく安い自販機にあるようなバッタ・・・失礼、無名もの???手に取ったら冷たいの。中はキンキンに冷えてましたよ。ちょっとだけ凍ってたし。
渡される前はカウンター上の濡れたダンボールの上にギッシリ隙間なく陳列されてたので、この冷え方は冷凍庫に入れといたのを店ん中の常温で溶かしたんじゃないなぁ。
600円で缶コーヒー付というわけですよ。
空き缶は近くのコンビニにポイ。
とんこく、江戸だし、初めて目にするものに期待はしたのだが、その片鱗すらわからず。。。(^^;
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しんの助 [ラーメン]

再開発された戸塚駅西口、もと西友のあった場所にサクラスという地元で有名なT商事運営の複合テナントビルがそびえ立っています。
そのサクラスの駐輪場に面した「藤乃屋」・・・(・・・何回かUpしましたが、最近はちょっと足が遠退いたな・・・)・・・その先のくるまは絶対に通れない車幅の細い細い裏通りの途中に5階の雑居ビルがある。
複合テナント雑居ビル2.jpg
前からこの2階が気になっていた。夜だとムーディな灯りが点いて、Cafe?BAR?に見えるのである。
2階に見えます.jpg
この2階は裏の細い路地からも入れるが、長後街道側に回ると雑居ビルの入口があって1階奥なんです。何だ2階じゃないんだって気付く。今まで見過ごしていたが、戸塚駅西口では有名な「しんの助」というラーメン屋さんです。
ビルの1階と言っても通りに面していません。奥まったところにあるので知っている人しか近付かないだろう。
私も表にあるインパクト皆無の看板を見逃していた。これまで何回通り過ぎただろうか。普段、市営地下鉄を利用してるのでこの辺りを歩かなくなったってのもある。
複合テナント雑居ビル1.jpg
入口の入口.jpg入口.jpgそれほど目立たない看板.jpg
以前のしんの助.jpg前は横浜新道入口辺りで営っていた。
そこは今よりもっと駅から歩くんです。今はサーファーショップになっている。どの頃、私も酔い覚ましに駅から歩いてフラッと入ったことが2回くらいある。
遅い時間なのに混んでた記憶が・・・。
とは言っても酔ってたのでかなりアヤしいですが・・・。この頃は休日になると歩道に行列ができてた。
移転前は長後街道の拡張前か、戸塚駅西口が再開発されかけていよいよラーメン不毛の地になりかけた頃だから、この店は数年前から戸塚駅西口、それも駅から遠い界隈で頑張って営業していたことになる。

今の店は狭い雑居ビルの奥まった1階ワンフロア。11:30開店なのに、11:40でほぼ満席でした。
”ほぼ”ね。後述しますが厳密に言うと満席ではない。4人テーブル席に3人、2人だったから。

入口付近とドアにはこんな貼り紙が。。。
その①
「お客様へ。この付近で待ったり並んだりしないで下さい。この奥右側の外階段の方で一列に並んで下さい。ご協力お願いします」
ははぁん。。。
さては正面入り口側にズラッと並んで他のテナントか家主、管理会社からクレームでも来たのかな。
私も仕事柄、管理会社や組合との折衝経験アリでよくある話です。外に看板を置く場所とか、ここは非常口だからモノを置かないようにとかね。
確か2奥右側の外階段にも冒頭の写真のように勝手口みたいなのがあるんです。そっから外の非常階段に並べってかい。冬場は寒そうだな。
貼り紙1.jpg貼り紙2.jpg外階段(勝手口?)から.jpg
その②
「全員おそろいになってからの入店をお願いします」
私みたいな1人客は100%カウンターだが、2人客だと4人テーブルに案内される時もある。その後に4人客がいたら、先の2人客の後になるのかもしれない。店のスタッフは既に喰ってる客の進捗状況によって判断するので、揃ってないと案内し難いということか。
わざわざこんなこと書かなくてもいいようにも追いますが。時折、廊下に向かって「何名様ですか?」と確認してましたがそれでいいのに。
こっちだって喰ってるのに「もうすぐカウンターが空きますから・・・」なんて声が聞こえたぞ~。

その③
「店内の待ち席は2つしかありませんのでその他のお客様はしばらくお待ちください」
何処で待つのか。
①の廊下から階段です。この店はビル全体がヘンなフロアのカタチでして、6席座れそうなカウンターだが3席しかなく、カウンター席の間にラーメンを受け渡しするスペースも広く取ってあった。私はカウンター右端だったが、すぐ左隣で喰ってる客との間に余裕でもう1人分の空きがありましたよ。
窓に向いたカウンター2席も間に余裕がある。この男性、余裕で足を組んでましたからね。
妙に余裕がある.jpgここも余裕がある.jpgカウンター.jpg
カウンター席に座る私の背後、壁側には4人テーブル×3つあって、こっちとテーブル席の間もかなり広く空いている。
席と席の間は余裕があってゆったりした雰囲気の店内だが、店内全体の面積は狭く入口側も狭いので店内で多人数はWaitできないのです。

「カウンターでお願いしますっ」、もしくは「カウンターへどうぞ」って切り口上で言われるかも。私も含めて何人かの一人客に言ってましたね。
私は内心、何を言ってやがるっ、こちとらほうぼうの居酒屋でひとり酒○○年、カウンター大好き人間なんでぇっってややムッとした。
1人でテーブル席に座るのって嫌いなの。空いてるからってテーブル席をススめられても周囲からジロジロ見られてるようで落ち着かないの。カウンターだったらそこは自分だけの世界であって、他人に背中を向けて自分のものに集中できるからね。
だったら④お一人様はカウンター席へお願いしますって貼りゃぁいい。(笑)

支那そばや.jpgまぁ④はともかく、どうも①②③みたいなウルサい貼り紙がある辺り、さてはいろいろトラブったなっていう臭いがプンプンするので私はニヤニヤした。
だがこの店、「しんの助」は移転前から戸塚駅西口方面では1位か2位を争う店・・・というか、西口はラーメン不毛の地なのでここと「支那そば屋」(左写真)しかないともいえる・・・。
味もかなりいいです。




手書きの絵コンテのメニューを見てた。誰が描いたのかトテモわかりやすいなって見てたら眠くなってしまい危うくオチそうになった。
ラーメン二郎なんかによくいそうな気合系のスタッフ、アンちゃんに「お待たせしましたっ」で起こされた。満席なのとメニューが多いせいか待ち時間は15分。早いとはいえないが喰う前に寛いじゃいました。
解説図1.jpg
解説図2.jpg

中華そば.jpg
スープ.jpg
豚骨とカツオだしの豚骨魚介です。
あっさりか濃厚か。私はやや濃厚と感じました。コッテリではありません。
焦がしネギの風味が加わる。麺は中細ストレート麺。
小さめのチャーシューがトテモ良い食感でトロけるのだがちょっと難があって、チャーシュー、木材系のメンマ、これらが冷えちゃってるのでスープが一気に温くなっちゃったな~。
器も小さいからスープも少なめだしね。
チャーシュー.jpg
「肉そば」だと一口サイズのチャーシューが一面に浮いてるそうですよ。
材木メンマ.jpg
麺.jpg
美味しいには美味しいです。
どれも○○そばと銘打ってあって、○○ラーメンとは書いてないけど、アッサリ醤油の中華そばのイメージで入店すると裏切られるかもです。中細ストレート麺だしね。

ランチ時、特に休日は店内でWait1人か2人、外の廊下で2人、階段で2人か4人と並んでいるのでちょっとビックリしますが、結局のところ店内のレイアウトがイマイチなのと、狭いながらもフロア全体を見たら席数が少ないのと、麺もご飯も種類が多いので回転率が悪いのよ。だから行列ができているの。
相席は極力しないのかも。当然、客待ちができるんです。

行列ができるのは良く言えば店内に余裕があるから。そうでなければ無駄な空きスペースが見られるオモシロいレイアウト、空間でしたよ。
木を基調とした和な空間で客席がゆったりしているから落ち着けます。天井も高いのでダイニングバーか喫茶店みたい。居心地はかなりよかったです。
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