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岩櫃城 [隠れ郷土史]

駐車場.jpg
岩櫃幟.jpg
登城口1.jpg
岩櫃城は岩櫃山の中腹にあって、そこへの訪城路は岩櫃山への登山道も兼ねている。
私がタクシーから降りたところは平沢登山口といって、北側には集落もあった。生活道路でもあるから舗装されていました。
結果論で言うとここから岩櫃城本郭までは30分もかからないです。登山ルックではなく普通のカジュアル、できれば革靴でない靴なら楽勝です。その先は岩櫃山の山頂に続きますが(尾根通り)私は山頂までは行かないし、登山の知識は皆無なので、その方面のサイトに譲ります。登山上級者は郷原駅の方にある密岩登山口から登るそうですが、岩場難所の連続だそうですよ。
山に惹かれる人の気持ちはわからないでもないが、岩櫃山は滑落事故が起きることがある。上空にヘリが飛んでたらまず事故が起こったと思っていいそうです。
登城道1.jpg
平沢口から歩いてたら下山して来る登山客とすれ違った。
いずれもそれほど重々しい登山ルックではなく軽装でしたね。手に杖みたいなのを持ち、幾人かは熊除けの鈴を鳴らしてましたね。
(熊よりもカモシカが出るらしいです。)
私のカッコはダークスーツにオープンシャツ。ネクタイなんかしてないけど、前夜ショウさんと邂逅した夜に着た上着で、シャツだけ替えた。すれ違う登山客は私の恰好を見ながら怪訝そうな目をする人がいた。
何か誰何されたら、「私は岩櫃山には登りませんよ。途中の本丸まで・・・」と説明するつもりだったが、誰からも聞かれなかった。
登城道2.jpg
中城跡.jpg
最初は楽チンだった。
中城とある。
真田昌幸か、息子の信行か信繁(幸村)か、一族の矢沢頼綱がここで平時、居住していたのだと思う。
ここに居住してた?.jpg
そこまでは楽チンな坂だったが、その先で固まる。
縦堀道1.jpg
「!!!」
これは縦堀で、縦堀=訪城道になっている。
岩櫃城は縦堀、横堀、斜め堀と堀がやたらと多い城らしくそれが見どころでもあるのだが、藪蚊していて判別し難い箇所も多い。
この縦堀だって往時に比べて幾分埋まってるし、草が生えて丸みがあるが、往時はエッジが効いて鋭かったに違いない。
この縦堀を登るのかよ。でも他に道は無い。素っ気なく案内板があって→を指示している。
足を踏み出してみたら結構な坂だった。丸木の階段になっていて、丸木は腐ってないけど抑えてある土が固まっていません。土は流され、落ち葉が埋まってフワフワしている。
おそらく豪雨時は沢になるに違いない。
ゼェ、ゼェ、ゼェ。。。
体力が無くなったのを実感した。
城郭ファン、その道の達人から見たら嗤うだろう。この程度ならたいしたことないって。
その先へ1.jpg
その先へ2.jpg
ちょっと一服.jpg
上がってその先に簡易ベンチがあった。
ここで一服。持参したペットボトルの水をグビリ。こういうところは自販機なんて無いので、徒歩で訪城するからには水が不可欠というのをやっと最近自覚した。
秋の風景1.jpg
二の郭へ.jpg
二の郭へ2.jpg
二の郭へ3.jpg
二の郭.jpg
二の郭と本郭間の堀2.jpg
本郭へ1.jpg
本郭へ2.jpg
本郭跡1.jpg
本郭の解説版.jpg
本郭です。
ブルーシートで発掘調査中だった。ブルーシートの覆い方を見るとどうも建物の区画のように見える。2016年大河に向けていろいろ掘り出してアピールするのだろうな。
発掘中2.jpg
発掘中3.jpg
出土品の撮影はご遠慮ください、発掘中につき撮影禁止、と掲示してあったけどそんなモン撮りゃしないよ。
六文銭が出て来たら拾うかもしれないけど。
本郭の居館跡.jpg
腰郭の錆びた解説版.jpg
本郭土居上を歩く2.jpg
本郭土居上を歩く1.jpg
北を望む風景.jpg
やなこった.jpg
岩櫃城は真田太平記にも当然出て来る。真田昌幸や矢沢頼綱(昌幸の叔父)が忍びから情報を得る場面とかで登場する部屋は何処にあったのだろうか。
真田氏が、ウチの祖先は海野氏、または滋野氏の流れであると称していること、滋野氏が修験の神たる白鳥明神を奉じていたこと、滋野氏は修験者を束ねる大檀家だったことは述べたが、岩櫃山周辺、郷原、東の観音山辺りは修験者が潜むに恰好のロケーションともいえる。
真田氏には常に謀略、調略の影が垣間見える。ここでも角田新右衛門、弥津潜竜斎昌月(後述します)とかの名が伝わっている。それらは黒装束の忍びではなく、修験者、山伏の出で立ちで、そういうのを従えた真田氏が後年の講談で多少の誇張を持って取り上げられ大衆の喝采を呼んだ。
それらは全くの空想ではなく、修験場に相応しい岩櫃山周辺の伝承、裏付けがあってのことに違いない。
本郭背後を見上げる.jpg
降りる1.jpg
降りる2.jpg
休んだ小屋.jpg
下りは下りでキツかったので、登山道入り口の小屋で休んだ。
今すぐにタクシーを呼んでも高崎上り電車まで40分あるので、小屋の中に掲示してあった歴代城主と、岩櫃、観音山、郷原の三城の縄張りを見て時間潰し。
ヒマである。
(寒いな。。。)
暖房とかもないし。
(山の中の小屋にいて熊に襲われるのはこういう時かも知れないな。。。)
小屋の中で足を伸ばしながら、これから山を上る人も、山から下って来た人も幾人か見送った。ひと組の若い男女、女性の方は街中に買い物にでも行くようなカッコで登山道に入っていった。さすがに靴はヒールでなく紐靴でしたね。
休んだ小屋の中.jpg
小屋の中に歴代岩櫃城主が貼ってあった。
吾妻助亮、吾妻助光、下河辺行家、吾妻行重、吾妻行盛斉藤憲行、斉藤行禅、斉藤行弘、斉藤行基、斉藤行連、斉藤憲広(基国)、そして、真田一徳斉入道行隆真田源太左衛門門信綱真田安房守昌幸真田伊豆守信之。。。
五代行盛の項に、
「貞和五年(一三四九年)、碓氷の里見義時に破れ自刃。。。」
里見???
コメント(2) 

コメント 2

のばら

こんにちは。この中之条のお城の温泉行った事ありますよ。
by のばら (2014-12-23 19:40) 

船山史家

のばらさんこんばんは。
行かれた温泉は岩櫃城温泉?
コニファーいわびつ?
私はどちらも気乗りがしませんでした。あっ、年内最後の船山温泉に行って来ましたよ。
Ⅱは年内で終了なので新年からのⅢでUpします。
by 船山史家 (2014-12-23 22:01) 

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