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名胡桃城事件の謎 [隠れ郷土史]

名胡桃城.jpg
解説版.jpg
ある事件でよく知られています。
現在、駐車場になっている一帯を般若郭といって、そこには旧くから住居、館があったらしいが、軍事施設としてよりも境界紛争で有名になったといっていい。
でもその注目された期間は僅か10年程度でしかない。

行ってみてちょっと驚いたのだが見学できる範囲はそれほど広く大きくない。
月夜野バイパスの名胡桃城前交差点の脇にあって、道路と駐車場(般若郭)と管理棟場(もとは喫茶店だったらしい)と各郭は殆ど同じ高さにあります。UPDOWNが無く見て回れる。楽チンな散策でしたよ。
郭も平坦で、周囲を土居が囲ってるでもない。土居は先端にある笹郭に少しあるだけでした。
この城を有名にした事件の境界に当たる利根川と赤谷川の合流地点に面した河岸段丘上にあって、般若郭と本城の間にある自然地形を利用した堀が深く鋭いのが見所です。断崖の傾斜面に狭い腰郭が幾つかあるけどあまり近づいて足を踏み外したら堀底まで滑り落ちますよ。
断崖.jpg
城内の縄張りはシンプル、オーソドックスでそれほど目を惹くものはなく、ゴルフ場のような芝生の広場になっていた。
全部を見回っても30分もかからず。全く疲れませんでした。膝にも腰にも来なかった。有名になった事件の舞台という位置づけでしょうな。
素人目にも思うのではないか。小田原北条氏はこの小城をブン奪ったのが原因で、秀吉の上方軍に包囲されて滅んじゃったのか。さっさと上洛すればよかったのに。

名胡桃城は月夜野ICからすぐですが、最寄駅は上越線の後閑駅です。歩くならね。
昨日も書きましあが、電車の中で幾つかのローカル駅を見てたら、後閑駅よりも沼田駅でタクシーを拾った方がよさそうだなと気付いた。
沼田駅構内.jpg
実際、そうして正解だった。この日は夜に旅人の惑星ショウさんと初遭遇するのですが、午後から半休取ったんです。季節は既に晩秋、日の入りが早い。午後4時半にはもう暗く寒くなってしまうし、名胡桃城が雑木林や森だったら・・・実際は全くそんなことはなかったのですが・・・見に難くなってしまう。
タクシーの運ちゃんに行き先を「名胡桃城」と言ったらすぐに通じた。2016年の大河、真田丸に備えてここ沼田市も注目される筈。今はまだ静かな様相だが、いずれ町おこしPRに勤しむに違いない。
真田の幟.jpg
上州の運ちゃんはまず親切で饒舌である。
「沼田にお仕事で来られたんですか?」
「いや仕事は高崎で。ここはプライベート。仕事が早く終わったので」
「こういうのを見るのがお好きなんですか?」
「単なるヒマ人ですよ」
「よく乗せますよ。この間も東京から来た若い男女を名胡桃まで乗せました。有名みたいですね」
そう。有名は有名。ある事件だけで有名。
でもその事件のせいで、およそ100年間に渡って小田原にあった北条氏の関東統治に終止符が打たれることになった。
タクシー車内.jpg
時刻は15:45くらいだったかな。タクシーの運ちゃんに帰りもお願いした。
「1時間後くらいにで」
実際は平坦で広くないので、そんなにかからなかったのだが。
「では15時50分くらいでどうでしょう。それだと16:10の上りに間に合います」
タクシーは一旦は沼田市方面へ引き返したのだが、タクシーが駐車場の般若郭に滑り込む際、ロッジのような管理棟、喫茶室?そこに数人の初老の男女がたむろていて、降り立った私を見て大口開けて笑ってやがったんです。
ややムッとしながら、何だ?何か俺、笑われるようなことしたか?って口に出した。聞こえなかったろうけど、こっちが怪訝に思ったのは伝わったようである。
丸馬出し.jpg
歩道を歩いて、バイパス側から馬出郭へ。埋められて浅い堀切を経て三の郭、二の郭へすんなり入っていけます。
三の丸堀1.jpg
三の丸堀2.jpg
二の丸堀1.jpg
二の丸堀2.jpg
縄張り図.jpg
馬出郭、三の郭、二の郭、本郭、そして笹郭、直線に並んでいます。
歩いていて風もなく、ちょうどいい気候ではある。でもこれから夕方にかけて冷えてくるんだろう。笹郭から見た水上方面の山々には雪が積もっていた。
あっち方面には一度だけ行った尚文や、17の貸切湯の龍洞がある。高崎や新前橋の平野部では晴れていたのに、渋川を過ぎて沼田を過ぎたら雪が降り出し、水上に下りたら大雪だった。
今日もここに来るまでにタクシーの運ちゃんが、「水上方面はもう雪ですから」と言ってたな。
水上方面.jpg
この小城がいつ現れたか。
明応元年(1942年)・・・室町時代ですね。この地の豪族だった沼田氏が沼田城の支城として置いたのが最初らしい。
それからは武田勝頼の指令で真田昌幸が吾妻経由で利根川の西までやってきて、北条氏の領域である沼田を伺う為の前線基地としてこの名胡桃城を拡張した。これが天正8年(1580年)のこと。
それほど技巧を凝らした縄張りではないが、利根川、赤谷川の合流地点近くのいい場所を選んだものである。
本郭へ.jpg
本郭へ登る.jpg
その後、真田昌幸は沼田城を調略して手に入れるが、天正10年(1582年)に武田氏が滅亡し、今度は真田は北条氏と沼田や吾妻の領有権をめぐって直接争うことになった。
真田はこの名胡桃城と一帯の領有に拘った。徳川氏と北条氏の協定による、「吾妻郡、利根郡を北条に返せ」を拒絶し、天正13年(1585年)には上田城に押し寄せた徳川軍を撃退、その間、沼田領に攻め寄せた北条軍も撃退している。
小田原北条氏をサッサと上洛させて臣従させたい太閤秀吉は、大名同士の私闘を禁ずる惣無事令を時の天皇の命を騙って発令する。沼田問題は北条氏の上洛云々の条件にもなり、天正17年(1589年)頃に秀吉が名胡桃城と沼田の領有問題を調停しかかったが、それでも真田は名胡桃城に拘りその一帯の割譲を拒否した。
結果、「利根川を境として、沼田城を含む東の一帯は北条氏のもの、真田の墳墓の地たる名胡桃城を含む残りは真田領」という折衷案になった。
境界紛争地図.jpg
調停の後、名胡桃城には真田昌幸の家臣、鈴木主水(重則)という人が城代として入った。沼田城代には北条氏邦の家臣(もしくは北条本家の直臣)、猪俣邦憲という人が入った。
だが同年10月末、北条氏の運面を決定付けた事件がここで起きる。沼田城代の猪俣が夜陰に乗じて名胡桃城を一夜のうちに襲撃、奪い取った。これが名胡桃城事件。
本郭1.jpg
本郭2.jpg
笹郭を望む.jpg
腰郭1.jpg
笹郭の土居1.jpg
笹郭の土居2.jpg
ざっと廻って30分もかからず。バイパス側へ引きかえしかけたら、3人の初老の男性がこっちへやって来た。
(さっき、ロッジで俺を見て笑った連中だな。)
必然、彼らと私との距離が近づいた。心中、さっき笑われたことでやや心中に含むものがあった私は、軽い挨拶の後で、
「さっきロッジで何か笑ってましたね?」
「失礼しました。自分たちの知ってる先生か誰かが来られたのかと思って。」
そういう理由かよ。弱いな。ホントの理由は他にありそうだ。でも突っ込まずにおいた。
「何処から来られたんですか?」
「横浜からです」
「じゃぁ北条ですね」
そういう切り替えしが来たかい。確かにここは北条と真田の国境。でも3人のうち幾人かは沼田のご出身らしい。1人は神奈川県の某市在住だった。だから誰がどちらかの贔屓(北条びいき、真田びいき)という訳でもないらしい。
私だってヒネった切り替えしじゃ負けない。こう言ってやりました。
「部下の監督不行き届きで・・・」
この意はすぐ通じた。これで和んだ笑いになった。この意味は。。。???(続く)
コメント(2) 

コメント 2

のばら

やっぱり猿ヶ京温泉のほうだったんですね。水上はもう雪なんですね。
by のばら (2014-12-03 16:56) 

船山史家

のばらさん。
11月半ばですが、山の上の方は雪が積もってました。
私にとって、こういうネタに事欠かないのも上州の魅力度でした。
そろそろ平野部でも寒くなって来たのでは?
by 船山史家 (2014-12-03 20:45) 

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