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山名城 [隠れ郷土史]

関ヶ原の後半戦、小早川軍に続いて土壇場で裏切った小名4人衆の一人に朽木元綱という御仁がいる。
この人は東西いずれに付くか去就が定まらなかったので、戦後は一万石をちょっとだけ割った準大名に落ちてしまったのだが、幸いにも所領は先祖代々いた朽木谷に据え置かれた。
(後年、朽木家の所領は、庶流が本流を上回る珍現象が起きるがそれは本稿の主題ではないので割愛)
その準大名朽木元綱に粗相があって、家康の御伽衆の一人だった山名豊国という人が、元綱を「粗相人」と称した。バカにしたのである。
それを小耳に挟んだ家康が言うには・・・
「粗相人は豊国、お前の方だ」
だが名門の豊国は家康の言う意味がすぐにはわからない。呆れたか、家康は続いてこう言ったそうである。
「朽木元綱は殿中での振舞いに祖粗があっても、先祖伝来の朽木谷を今日まで守っているじゃないか。お前の先祖はかつては日本全国の六分の一殿と称されるほどの領地があったのに今は全て失っておる。なんという体たらくか。まっことこれ以上の粗相人があるかよ」
豊国は赤面しながらも、「仰せの通りです。せめて先祖の十分の一の領地を持つ身になりたいです」と大真面目に答えたと言う。

山名家は系図も古くからある名家で、祖先の系図がアヤしい家康とは比べものにならないのだが、家康が言う「六分の一殿」とは、家臣に鳥取城から追い出されてから秀吉、家康に仕えてきた豊国(因幡山名氏)から遡ること数代前の山名時義の時代、永和二年(1376年)以降のことである。
時義自身は伯耆守護、但馬守護職、備後守護、隠岐守護。。。
他の兄弟一族も紀伊守護、美作守護、丹波守護、山城守護、和泉守護、丹後守護、出雲守護、因幡守護。。。
一族の守護領国は十二ヶ国!!
西日本が山名だらけだったのである。その時代でいう日本全国六十八州の十二州だから12/62!!
おおよそ六分一殿、六分一家衆と呼ばれた。
寺尾五城の位置関係(カラー).jpg
家康が言う粗相人、山名豊国の先祖がいたのが、前Blog”船山史家の呟き”で載せた寺尾五城の東南末端にある山名城です。

(過去記事で恐縮ですが、前Blogの寺尾五城の記事)
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08-1
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-09-14-1

上信電鉄西山名駅の踏切を北へ走って、山名霊園を目指せば簡単。山ノ上碑の入り口ちょっと先に駐車場があります。
入り口には公衆WCと洗面台があってそこから先は市内自然散策道で整備されている。
細い石段を延々上っていくと、またそこにキレイな公衆トイレがある?思ったら、これが山ノ上碑という三古碑の一つだそうだが、これについては割愛。
うわぁ~いきなり階段かよ.jpg山ノ上の碑.jpg
そこから自然道、尾根を少し広げた散策路が続く。
訪城道1.jpg訪城道2.jpg
尾根に出た.jpg前方から、猿(マシラ)のように坂を下ってくる若い女性がいた。
左右に飛び、足場の悪い箇所を飛び越え、コケるでもなく、怪我するでもなく、一目散に坂を下っていった。
誰かに追われてるようだった。察するに商科大学の陸上部だろうか。
見送った私は思う。
若いな。。。
若さがウラヤマシイ。。。
こっちは山ノ上碑の階段を上がっただけでややバテなのに。

尾根を右折して山名城域に入った。
この地域は民有地だが、民有地だけに荒れ放題といった感もある。

多胡郡山名郷といわれたこの地に源義家の孫、新田義重の子、山名義範という人が作って、以後八代くらいまで山名城を護ったというが確証はないそうです。何処かで恩賞を得て西国に転じたのではないか。
山名城説明版.jpg
本郭へ歩いてたら、右斜面から落ち葉を蹴散らし、自転車に乗った完全装備の若いのが竪堀を勢いよく下ってきた。
私を見てギョッとしたらしく急ブレーキ。落ち葉の上を横滑りした。
よく踏みとどまったものである。下手したら崖下へ落ちそうな勢いだった。
男性です。上半身下半身がパンパンに張っていましたね。
「ど~も~」と彼。
「お疲れ~」と私。
見送った私はまた思った。
若い。。。
若さがウラヤマシイ。。。
こっちはもうバテかけてるのに。ここまで険しい上りも殆どないのですが、痩せ尾根を自転車で走破する”彼”の若さに驚嘆した。
その自転車の”彼”とは後刻、また再会することになる。
走り去る自転車男.jpg
彼が下りて来た竪堀です。バランスとって足で踏ん張りながら、積もった枯葉の上を下ってきた。
自転車男が降りてきた竪堀.jpg
公園として整備されているのは本郭だけ。尾根を分断した壕は落ち葉、枯葉だらけだった。
夏場には草ぼうぼうで起伏がわからないと思う。樹木が茂る山林です。
堀切1.jpg堀切2.jpg
堀切3.jpg碑.jpg
山名氏が去った後は、南北朝時代に実在したかどうか疑わしい南朝方の尹良親王がいた寺尾中城の外郭防衛ラインの一角だった。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08-1
信玄と甲州軍団がやってきて改修したらしいが異説もある。明日の記事に紹介します。
本郭1.jpg
本郭の老夫婦.jpg
山名城縄張.jpg
山名氏は応仁の乱以降は衰退する。
冒頭で家康に揶揄された山名豊国は因幡の鳥取城にいたのだが、織田軍に内応しようとして抗戦派の家臣に追い出された。
もしくは己一人で脱出したとも。もっともそのお蔭で、あの兵糧攻飢餓地獄に遭わずに済んだ。だがその後は攻城軍側にいて、追い出されたとはいえ自分のいた城の弱点をリークしたもんだから諸将の失笑を買ったかも知れない。

山名一族の中で、大坂の陣で豊臣方について城内で戦死した山名堯政という人が異質に光っている。
興味はあります。でも現時点で詳細はわからない。
その子恒豊(8歳)が山名氏を継承するが、徳川家から姓を変えろと言われた。
ここでまた粗相人豊国が登場する。
長老として助言した。「山名姓は捨てなさい、幕臣になっていた旧山名家家臣、清水家の養子となって清水姓を名乗りなさい」というもの。
豊国は御伽衆だから、生前の家康に直に口添えしたのかもしれない。
長いものに巻かれたと言ったら聞こえがよくないが、運命に逆らわず受け入れた豊国は悟りを開いたのか、風になびく葦のようでもある。
一族への精一杯の助言であろうか。
だが、清水姓になった恒豊は山名姓に戻りたかったらしい。そこから代々、山名姓への復姓を願って嘆願するが、なかなか許されなかったそうである。
二つ連なる城塞?.jpg
山名城の尾根は、もう一つ、続いている。。。
寺尾五城の四かな。根小屋城という新城に続く。。。(続く)
コメント(4) 

コメント 4

ナワ~ルド@仕事中

陸上部らしき女性が下ってきたところで山サイしたいなと思いました。

そこへドンピシャのタイミングで現れた彼、完全装備とはどんな格好だったのでしょう?

仮面ライダーみたいだったらダウンヒラーですが、たぶん単なるMTB乗りでしょう。
by ナワ~ルド@仕事中 (2013-02-15 13:04) 

おかーさん

私は ナワさんの峠越えと 遭遇したのかと
思っちゃいましたよ
画像を見る限り 普通のジーパン姿かな?
by おかーさん (2013-02-15 15:51) 

船山史家

ナワさん。
陸上部らしき女性は目が大きく、眉が濃く、口が大きい女性でした。よく見てるでしょ。猿(マシラ)というか、くの一が上忍から特訓受けてたのかも。
男性はMTBですね。ヘルメットとグラサン、ボディスーツみたいなのの上にユニフォーム?靴は・・・覚えてないです。足場が落ち葉、枯葉でフワフワですから、ズザザザザッって横滑りしてたように思いました。明日も登場します。
私はダークスーツ。山ん中に場違いなカッコです。とうとうユニクロとかで買わなかったですね。
by 船山史家 (2013-02-15 19:53) 

船山史家

おっかさん。
峠おやじさんとの遭遇??
それはスキー場でおっかさんと遭遇したのと同じくらいなトピックス、ネタになりますね。
ジーパンじゃぁなかったように思うんですがジーパンかなぁ。膝にサポーターとか巻いてるのかなぁ。
こっちは呆気にとられちゃって。向こうもそうかも。
by 船山史家 (2013-02-15 19:54) 

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